■租
租は米
田1段につき2束2把
これは収穫量の3%~10%に当たり、原則として9月中旬から11月30日までに国へ納入され、災害時用の備蓄米(不動穀)を差し引いた残りが地方行政の主要財源とされた。
しかしながらこれでは歳入としてはあまりに不安定であったため、律令施行よりまもなく、これを種籾として百姓に貸し付けた(出挙)利子を主要財源とするようになった。
一部は舂米(臼で搗いて脱穀した米)として、1月から8月30日までの間に、都へ運上。これを「年料舂米」という。
このように奈良時代の米は租税としては非常に少なく、これは中世になっても荘園へ献上される全租税品目676種類のうち38%に過ぎない。
租は貴族の食を支えたというよりも、そのほとんどは神への捧げ物の意味が強かった。

■庸
本来は労役=歳役であるが替わりに布・綿・米・塩を納めた。
正丁(21~60歳の男性)・次丁(正丁の障害者と老丁(61歳以上の男性))へ賦課。
元来は、京へ上って労役が課せられるべきところを、その代納物として布・綿・米・塩などを都へ納入したもの。
庸は、衛士や采女の食糧や、公共事業の雇役民への賃金・食糧に用いる財源とされた。

■調
繊維製品が基本=正調
正丁・次丁・中男(17~20歳の男性)へ賦課。
本来繊維を基本とする。
内訳は
1絹で納入する調絹(ちょうきぬ)
調絹は長さ6丈・広さ1尺9寸で1疋(1反)となし、正丁6名分の調とされた。

2布で納入する調布(ちょうふ)
調布は長さ4丈2尺・広さ2尺4寸で1端(1反)となし、正丁1名分の調とされた。

代わりに地方特産品34品目または貨幣による納入も認められていた。これを調雑物という。
中央政府の主要財源として、官人の給与(位禄・季禄)などに充てられた。

■中世荘園時代の租税
租税は年貢と公事の二種があった。
年貢は物納で平安時代から存在した。
公事とは労役である。
年貢の中心は地方によって違い、多くは絹・布・そして地方の産物と米である。
このほか、塩・炭・鉄素材・銅などの鉱物。
中世の地方豪族においても、米の献上はそれほど多くなく、むしろ豪族も地方では農業に自主的に参画し、自家の米だけで充分事足りている。

米の代わりに金銭や産物で払うことの方が多く、これが江戸時代になって中心は米に変化する。
江戸時代の200数十年間のみ米が租税の中心であり、ここから平民が米を食えなくなるわけである。そして「水呑み」「ひゃくしょう」という言葉が生まれる。しかし最新の調査では、江戸時代の米の収穫量は充分に農家や平民にも行き渡る量だったことがわかっている。対外貿易で外貨を稼いできたのは、奈良・平安・中世・江戸を通じて銀・絹・布・工芸品・金箔・漆などである。
このように米は日本人の食の中心にあったけれど、国家が外貨を稼ぐのに貢献はしておらず、ほとんどは国内で消費される食材であった。

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