●縄文早期から前期の海洋民による航海貿易は確実に存在した。
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■櫛目文土器とその系譜にある曽畑式土器の流通

 「九州の縄文土器のうち、大陸、半島との関係ありとされるものに櫛目文<くしめもん>土器がある。直入郡荻町龍宮洞穴は阿蘇溶岩台地の東辺にできた浸蝕谷にある岩陰遺跡である。河川は急流であるが岩陰前面はわずかな増水でも侵入できるほどである。このような岩陰遺跡ではあるが土器をはじめ石器などがまとまって包含されている。



土器は一般に二股の櫛歯状施文具をもちいて器面全体に細線刻文を施している。これを櫛目文と総称し、朝鮮半島東南部一体に広く分布していることがわかっており特に釜山市郊外東三洞遺跡の土器と類縁関係にあるといわれている。最近中国黄河流域において同種文様の土器が出土して注目されているが河南省裴李岡遺跡から櫛目文土器の祖型とみられるものが見つかっている。細線刻文を施す櫛目文土器の構図が二本線を基調に列点文、平行沈線<ちんせん>文を併用した各種の構図からなる。この土器は一見原始的な文様にみえるが、幾何学的に整備された構図とみてよい。」
『大分の古代美術』より

櫛目文や細線刻文を持つ土器は朝鮮半島南岸地域から発して九州にやってくる。それが熊本県の有明海で曽畑式土器へと発展し、今度はそれがはるか南西諸島を経由して沖縄本島にたどり着くのである。そしてあたかも当時の流通を物語るように、沖縄あるいは沖縄を経由した南島地域にしかなかったはずのヒョウタンの栽培技術が曽畑へ。それはやがて遠く滋賀県などへと伝わった。
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■「名も知らぬ遠き島よりたどりつ」いたのは椰子の実だけではなかったのである。

■のちに魏志が「倭の北岸」と書いた朝鮮半島の金海沿岸地域は縄文時代から日本海側九州や有明海地域と交流していたのだ。
その痕跡は船の部材である。
長崎県の諫早湾にある伊木力遺跡から縄文時代の丸木船の部材が出土している。



■こうした縄文流通を証明するものは土器だけではない。
金海沿岸域と西北九州沿岸からはまったく同じ形式の釣り針や擬餌針(オサンリ型結合釣針)が出る。さらに海の民が祭祀に用いたであろう牡蠣殻に目穴をうがった仮面も両地域から出土する。





■また最古の陸稲稲作栽培はすでに縄文時代前期からあったとも言われるが、今から6000年前の縄文時代前期の土壌から最初に出たプラントオパールはなんと岡山県赤磐郡(寝花貝塚の土器付着)から出ている!赤磐郡といえば今でも古代赤米の赤磐小町米が栽培されている。この陸稲はいったいどこから日本へたどり着いたのか?このコメが国内で栽培されたのか、あるいは海外から持ち込まれたのかは今後の問題である。

■こうしたことから縄文時代中期にはもう、海の向こうからの技術交流のやりとりがあったことがわかる。これらの人々は「倭人」と呼んでいいのであろうか?いずれにせよ釣り針の類似からは、彼らが海の民だったことが偲ばれる。海の民であるのならやはり倭種の白水郎だったのではなかろうか?
水稲稲作の開始は縄文時代晩期にすでに佐賀県唐津湾の菜畑で始まっている。水稲の伝来は中国南部の長江流域から半島経由あるいはダイレクトで来たとされている。南方系植物である稲は、気温の低い半島経由よりもダイレクトであるとの意見もある。しかし半島南部の沿岸地帯は気候が温暖だったからこちらが早いという意見もある。決めがたい。
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■もっと不思議なのは最古の縄文遺跡はでは北西九州から出るのかと言えば、もっと南の鹿児島県から出たのである。それが有名な上野原遺跡や加栗山、掃除山遺跡である。この縄文早期の人々は、これまた不思議なことに桜島の火山灰台地に長く暮らした後、いずこともなく消えてしまう。いったいどこへ行ったのか。仮説では南西諸島へ南下したか、あるいは北上して三内丸山まで行ったのかも知れない。それも不思議だが、では彼らはいったいどこから鹿児島へやってきたのだろう?



■弥生時代に長江からやってきた雲南や四川の倭族は倭人と書かれた。彼らは遺伝子的に胴長短足の北方系の血脈を持った人々だったと言われている。縄文時代にやってきたはずの金海の倭種たちもやはり倭種の海人族だったのだろうか?
倭人と縄文人の違いはいったいなんなのだろう?その遺伝子には南方系倭族の遺伝子はまったく含まれなかったのか?
なにゆえ日本人の遺伝子には今でもわずかながらの南方系遺伝子が存在するのだろう?またまた日本人起源は薄明の中に紛れ込んでしまう。またでは北の縄文人と南の縄文人は違う民族だったのか。それは舟の交流で混血しなかったのか?アイヌは縄文人なのか、それとも北海道から出なかった特殊な種族なのかという、さまざまな問題が山積したままである。

■いずれにせよ、列島と大陸との丸木舟の交通は縄文時代前期には存在していたことがわかった。
それは陸稲米が見つかった6000年前に遡れるのである。

参考文献 小田富士雄・別冊太陽『古代九州』2005

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