●最古の人類チャデンシス
2011年現在、最古の人類とはアフリカ・チャドで発見されたサヘラントロプス・チャデンシスで、700万年前とされているが、それが人類であるとされた理由は二足歩行していた可能性が骨格から推定されたからであって、脳の容量はチンパンジーと大差ない。(竹岡俊樹2011)

●アウストラロピテクス・ガルヒの最古の石器
「(アウストラロピテクスは)石器はほとんど作っていないと考えられているが、最後期の種 (アウストラロピテクス・ガルヒ) では原始的な石器を使っていたと考えられている。かつては猿人と呼ばれた。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%A6%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%AD%E3%83%94%E3%83%86%E3%82%AF%E3%82%B9

この石器はエチオピアで発見されており、年代は260~250万年前のものだという。
同時代年表で確認→http://www.oct-net.ne.jp/~hatahata/doujidainenpyou.html
この自前の年表は三年ほど前に作ったので最古の石器をそれまでのホモ・ハピリスのオルドワンで発見された石器(200~180万年前)としてあるが、その後ガルヒの石器が見つかった。

●オルドバイ渓谷の獣骨の傷
180万年前のホモ・ハピリスが食べたおびただしい数の獣骨には石器でつけた傷が多量についていた。
●アシュ-レアン石器で精製加工登場
きれいに仕上げるという行為が60万年前に出現する。
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●オーカーの登場
7万5000年前、象徴的器物オーカーの登場。
オーカーとは黄土=オーカーで作ったペンダント装身具。
同時に巻貝製玉飾りもブロンブス洞穴で見つかる。
http://www.geocities.jp/e_kamasai/zakki/acces/accessories.html

石器に意匠を凝らした時から人類は、一気にアクセサリーを持つに至り、そのとたんに爆発的に芸術に目覚めていった。このとき猿人たちは「人間」として目覚めたと言える。美意識が生まれ、同時に超自然=神の存在を感じ始めたと言える。これが人類のビッグバンで、約4万年前のことである。ここから人類の大移動が始まり、1万年も経たないうちに世界中に拡散した。日本へは4~3万年前に最初の「日本人」が訪れていると言われている。



●金属器の登場
紀元前9500年、西アジアで自然銅を使ったペンダントが登場する。
最古の金属は砒素銅である。
この技術は紀元前6500~5200年頃までに中近東一帯に拡散する。
紀元前6000年頃、銅を500度くらいまで熱する、いわゆる人類最初の冶金加工、鍛冶が登場。
前4100年頃にはやはり西アジアから近東地域で銅鉱石を7~800度まで溶かす「精錬」開始。
燃料が開発され、銅融点である1083度まで加熱できるまでになって鋳造技術が生まれる。

●最初の”合金”
それが砒素銅である。前3500年~400年間
砒素が入ると銅は丈夫になる。
ところが製品自体が毒素を持ち、加工上も有毒ガスが出るために実用に耐えず、すぐにスズ合金が発明された。前3000年頃の近東である。
これが最初の青銅である。圧倒的に強靭さを増した。
人類最初の実用合金は銅とスズによる青銅であることになる。

●なぜ近東地域で金属が最初に登場するか?
それは言うまでもなく最古の穀物栽培がレバントで始まるからである。
必要がより丈夫な素材を探させた。金属農具の登場である。

●密閉式鋳型の発明
最初の加工品はただの銅板だったが、すぐに二枚の板を組み合わせて複雑な加工品を作り始める。金属にも意匠が加えられていった。最初の鋳型は平らな石を道具の形に彫ったもので、開放型鋳型である。
これがじきに密閉型鋳型に進化。上下に同じ鋳型を合わせて穴から流し込む今のスタイルである。
これで金属器は立体にできるようになり、クワなどの木製の柄を差し込むソケット部分が作られた。
パイプ状の銅器である。また斧などの根元にヒダをつけて抜けにくくしたり、突起をつける工夫も始まった。
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●金属交易集団登場
紀元前2500年頃には金属加工の行商人がキプロス・シリア・トロイ・シュメールなどに登場。シルクロード交易の一歩手前である。ヨーロッパ中を渡り歩く、いわゆる漂泊技術者の登場である。いうならば理系人類の分岐とそれが漂泊民になること、さらに錬金術への道である。こうしてやがて銅に代わる金属が発見される下地ができていった。

●工夫と思考が人類を「人間」にした
道具を工夫し、装飾を加えたり、使いやすくし始めたとき、人類には「悩み」が生まれるようになる。まさに悩ましきジレンマであるが、ものごとを論理的に考えるようになる反面、これまでの自然な感性とのギャップに悩み始めたのである。これが哲学への道である。そしてその空白と寂寥感を埋めるかのように人類はコミュニケーションの道具を作り出す。文字の登場である。

そして逆に文字に書き残すことで自らの悩みや思いが言えるようになった。記録とは独白でもある。それは科学と信仰という相反する矛盾を包含できる新しい人間の始まりだった。こうして聖書や経典が世界中に出現し、信仰と哲学・・・つまり感性と理性は人間というどの動物とも違う生物の中で、矛盾せず同時存在を許された。それはやがて信仰と科学の相克する中世を迎える宿命にあった。次第に人間の中で感性と理性が喧嘩を始める。世界戦争時代の幕開けでもあった。この問題だけは、数千年経った今でもいまだに解決できていない。つまり人類の根源に触れる基層部に根付く「けだもの」としての生き方をまだわれわれは捨て去ることができないままなのだろう。

理念、哲学、科学をつきつめていっても、人類はまだ完全な「人間」にはなり得ていない。

そういえば、いくら書物を貪欲に読み漁っても、私も酒を飲めばトラにもサルにもなる。御しがたい存在――人類。


●おまけ 最古の鉄器出土地
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カマン・カレホユック遺跡・・・トルコ共和国首都アンカラから南東に約100km南下したクズルマック(赤い河)の内側に位置。これまでここはヒッタイト帝国の領域ゆえにヒッタイトこそが最古の製鉄者とされてきたが、
発見された人工鉄の残骸が帝国成立の「400年前に作られたもの」である(朝日新聞)ことからそれ以前のものと考えられ始めている。まあ、プレ・ヒッタイトかアッシリアか、どちらにせよバルカン半島。中東が安定してレバントの発掘が進めばもっと古いものが出てくるのかもしれない。それが人類の歴史の必然だが、もちろん鉱物そのものが近くにある場所になろう。また中国あたりでも独自の発見もあるかも知れない。中国政府の発表は信憑性という問題も抱えているけれど・・・。

参考文献 竹岡俊樹『旧石器時代人の歴史 アフリカから日本列島へ』講談社選書 2011



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