◆劔(つるぎ)神社(福井県丹生郡織田町)
織田一族発祥地の碑(劔神社) 現在の本能寺(京都市)
「 織田家の歴史を遡るときに必ず出てくるのがこの福井県丹生郡越前町織田(おたと読む)である。織田家の先祖はこの越前織田庄で1800年の歴史を持つ劔神社(つるぎじんじゃ、延喜式内社の織田神社)の神官を務めた忌部氏(斎部、いんべ)であり、後に越前守護職・斯波氏に仕え同氏が尾張守護職を兼ねると尾張に移った。尾張の国に出てから忌部常昌が故郷の地名をとって初代織田を名乗ったとされる(織田家の系図は諸本によって異説が多いが、織田家が壇ノ浦で28歳?で戦死した平資盛から出ているとして今に伝わる家系図は信長の創作であると推論されている)。
 織田信長(1534~1582)は祖先にゆかりのある越前の獲得に執念を燃やし幾度も越前攻略を企てた。又、氏神として尊崇するこの劔神社に立ち寄って戦勝祈願をし多くの神領を寄進したり社殿を造立した。町内には今も忌部姓や伊部(いべ)姓が何軒も見られ、織田家を中央に送り出した織田町の人々にとって信長は不世出の英雄であり町を挙げて今も功績や遺徳を偲んでいる。」
http://www.eonet.ne.jp/~etizenkikou/turugi.htm

◆尾張織田家
尾張の物流を司る津島神社の宮司家に連なる者であり、津島港を押さえていたため、尾張守護の斯波氏や尾張守護代の織田本家もうかつに手を出せない立場にあった。尾張における海運の発祥は、記紀伝承では日本武尊が東国遠征から帰ったあと婚姻すると約束した美夜受比売(尾張連・宿禰の祖)の兄、建稲種命(タケイナダネのみこと)に始まる。尾張水軍を率いたといわれ藤原氏を中心とした物部連に連なる人ということに記紀は設定している。
この美夜受比売がのちに日本武尊から預かった剣が”草薙(くさなぎ)の剣(つるぎ)”(別名天群雲の劔・あめのむらくものつるぎ=スサノヲがヤマタノオロチから得た剣)。熱田神宮に祭られたと設定されている。
福井丹生郡織田の劔神社はそもそも熱田の分詞であろう。
信長が勝手に創ったとされる『織田系図』・『織田家譜』では平重盛の子資盛の遺児、親真を祖とし、初めは近江国津田荘に、そして越前国丹生郡織田荘の織田剣神社の神官へ養子となり織田氏を称した。しかしそのような系図自体は都への宣伝文句であろうから仮冒である。

「永正15年(1518)に守護代織田達勝が円福寺に出した禁制では「藤原達勝」とあり、信長も天文18年(1549)に出した禁札に「藤原信長」と署名しています。信長が平姓を名乗ったのはご承知の通り天下統一に向けて、源氏である足利家への抵抗からでしょう。そのため、平氏の落胤に結びつけた系図を作成したというのが妥当ですね。」
http://okwave.jp/qa/q2770533.html

藤原姓を武士がよく名乗るのも当然創作である。

◆尾張連・・・のちに格が上がって尾張宿禰が姫を祖神とするのは、丹波道主から間人(はしひと)王女が出てくるのを真似たものだろう。貴族も武士もそういうある定型の権威的仮冒をよく用いるので信憑性は薄いと思っていたほうが間違いない。ミヤス姫という名前も若狭の地名由来から創ったのだろう。だからこの宮というのは当然宮津市にある一ノ宮・籠(この)神社のことであろう。つまり尾張氏同族の海部氏が奉祭するアメノホアカリのことになる。

◆熱田神宮
当初ヤマトタケルに草薙剣を貸し出す(=つまり尾張氏の軍隊の助成のこと)からのつながりで尾張氏が奉斎してきたが、12世紀初頭からは藤原南家の熱田大宮司流が大宮司を勤めるようになったという。これは当然、天武以来完成する中央集権体制と物部祭祀をコピーした中臣神道が神社祭祀権を手中にしたからにほかならない。全国的な8世紀初頭の政治的な流れである。
記紀記録はこうした8世紀直前頃の出来事を、数百年前の過去に起こったこととしてちりばめることで成り立っているので、同じような記述が繰り返し語られる。多くのエピソードは天武や持統や不比等たちがやったことを遠い昔にあったことなので正当であるという言い訳の繰り言で綴られる。登場人物の名前だけを氏族間に伝わった実在の人物名で脚本化、脚色してあるだけである。その人物がやったことかどうか知れたものではない。誰も覚えていないのだから。それに氏族のほうは祖人たちの名前が正史に出てくるだけで大喜びしたし、胸をはれたわけである。道を歩いていたらあなたがテレビに映ってたのとさして違いはない。

◆忌部
「忌部(いんべ)氏は、斎部氏とも記す。前稿の中臣氏と共に古来祭祀氏族として天皇家に仕えてきたとされる神別氏族である。祭具の製造・神殿宮殿造営に関わってきた。玉造が得意とされたが、古墳時代以後それは重要度が減り、忌部氏不振の原因ともなったとの説もある。その元祖は、記紀によると、布刀玉命(ふとだま)(太玉命・天太玉命)とされている。天磐戸(あまのいわと)神話・天孫降臨神話に、天児屋根命とコンビの形で登場する神である。忌部氏の本拠地は、大和国高市郡金橋村忌部(現在:奈良県橿原市忌部町)辺りとされており、現在天太玉命神社がある。延喜式神名帳では、名神大社になっていた。その後衰退し、明治時代には村社になった。 一方忌部氏系の地方の豪族は多数いた。中心は阿波忌部氏である。現在の徳島市二軒屋町にある忌部神社がその証拠である。」
http://www17.ocn.ne.jp/~kanada/1234-7-24.html
この忌部の血脈と平清盛の血脈の婚姻から祭祀者織田家は出たのだと信長は仮冒したのであるが、そいうものがどこまで信じていいものかどうかは定かではない。
ただ、福井丹生郡という地域性を考えれば祭祀者が多く排出される土地柄ではあるし、若狭の海部氏・愛知の尾張氏とは同族でもあり、日本海と太平洋をつなぐ琵琶湖を中心に往古から海人族たちが集中していて、太陽信仰を深く浸透させていた土地であろうことは間違いない。信長の脳裏にアマテラス=天皇家、スサノヲ=その代理人としての太陽神で国家平定の祖というような漠然とした意識はあったはずである。

というのは古代氏族たちの多くも、太陽信仰とともにスサノヲをステータスとして、大王・天皇を援ける存在であることを系図に載せてきたからである。これも一種の摂政として正当だという表現パターンであろう。
こうしてみてくると、そもそも忌部だろうが織田だろうが物部・尾張・藤原だろうが、だいたいどれもこれも系図自体が記紀にあわせていれば正統なのだという考えにとりつかれているのが見えてくるのである。

◆高句麗系か?
織田という文字から見ると「織物」が文字になっているのだから、丹後に多い繊維に関わった氏族だったのだろうと思える。福井北部の九頭竜川から継体の母親は出てくるわけだか、そこの地名には高向があるから、これは高句麗系漂流者がやってきた地名。姓名だろう。高向からは玄理(たかむこの・くろまろ)が出る。丹後や若狭や、日本海氏族のいくつかはそういう高句麗系渡来人である可能性も考えておく必要があるだろう。


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