出雲の楽しいサイトを発見した。


①「大国主神は、国譲りを決めますと、出雲国の多芸志の小浜に天の御舎を造ったことが古事記に書かれています。多芸志は、「たぎし」と読まれているようです。この部分は、大切だと思うのですが、※A取り上げておられる方は、今まで読んだものにはありません。
 多芸志は、※Bぼんやりしていますと、地名のように思えますが、地名ではないと思います。
古事記に書かれている天の御舎は、現在ある出雲大社でしょう。あれだけ、大きな建物のことが、どうして日本書紀に書かれていないのか、これは謎だと言っておられる方はありますが、説明されている方はおられません。」

  
②「現在の出雲大社の近くに、「たぎし」という地名があったのだが、現在はないのかも知れません。もしあったら教えてください。」


③「この当時、斐伊川は日本海に直接注ぎ、河口はデルタ地帯ですから、何本もの川に分かれていて、「多岸」であることは、少し高い所に登りますと、見て取れたと思われます。「たぎし」の表現にぴったりだったでしょう。このような発想は、実際にここを訪れたひとでないと表現できないと思います。」
http://homepage1.nifty.com/o-mino/page1204.html


お断り、必要がないと感じたこの管理者の個人的な出雲ひいきな部分は大幅カットさせていただいた。



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ちょうどよいサイトがあったので、この方のご質問に答える形で、この記事は書き進めてみたい。

ご質問①であるが、

A; まず多芸志の小浜については考古学者・森浩一氏がその場所の比定地図を作成されていて、コメントもされている。『日本神話の考古学』朝日文庫 1999 「出雲と日向」
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B;地名です。

ご質問②
タギシは現在の島根県出雲市武志町(たけし・まち)が考えられています。和田萃・森浩一説

ご質問③
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仰る通り、弥生時代のはじめくらいまでは縄文海進で今の宍道湖は出雲側が閉じておらず、これを素尊水道(スサノヲの名前から「すそん・すいどう」)と地元の研究者が名づけています。(1921年野津佐馬助氏『島根県史』)そして、神門の海には多くの河川が流れ込み、斐伊川も今とは河口部が異なっておりました。図のような按配で、タギシの小浜は斐伊川のいくつもの岸辺を指す地名です。ちょうど河口部は今の塩冶(えんや)があります。この地名はあきらかに海人族の藻塩地名でしょう。岡山県にも兵庫県にもあって、塩の生産遺跡が出ますから。例の赤穂浪士の歌舞伎芝居にも塩冶判官が出てきます。「冶」は鍛冶、冶金などの「や」です。鍛えるとか作るという意味です。
大念寺古墳があります。が古墳時代後期6後半~7世紀のものです。
『日本書紀』崇神紀に出雲振根がいあたという「止屋の淵(やむやのふち)」が出てきますが、ここだとされています。水草が生えていて藻が多いとなっていますから、藻塩生産には適地だったのでしょう。



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記紀の、特に『日本書紀』に出てくる地名と風土記の関係は、記録では『日本書紀』が先にできて、あとから風土記ができることになっているが、必ずしもそれが事実かどうかはわからない。記録はあとからいくらでも書き加えて書写しなおしが可能だからだ。
『出雲風土記』はなかなか完成せず、随分都の編集者を困らせたようなふうであるが、20年後にようやくできたというのも奇妙な話。これは出雲の国造(こくそう)がわざと遅らせたのか、それとも『日本書紀』が嘘を言っているのか意見が分かれるところだ。筆者は早めにできていて『日本書紀』編集に間にあったかもしれないと思っている。非常に地名が詳細だからである。

だから今「多芸志」地名がなかったとしてもほかの場所ならイザ知らず、必ずあるはずで、森浩一が比定した武志町でいいと思う。なにしろ「志」の文字が一致するし、なかなかこの二文字で「たけし」と読ませる地名も少なく、やはり由緒あっての地名だろう。

ただ、地名自体があとから『日本書紀』に合わせていたりすると(ありえること)、これはもうお手上げになる。^^

筆者は「たぎし」は「多岸」かとも思うが、ちょっと問題なのは「多」は音読みで地名そのものが日本語の音訓としておかしいことになる。重箱読みになっているのは、古い地名としてはやや解せないのである。
それで藻塩を焼く風習を持つ海人族の、それも中世に記録がある出雲の隼人の地名と解釈している。
神武天皇の子供に手研耳(たぎし・みみ)命がある。

この神は神武と、トヨタマヒメの妹・玉依日売の一子で、神武東征に付き従って伯父・小椅命(おばし)とともに大和へ入って、腹違いの兄弟によって殺される。その腹違いの兄弟というのは多氏の祖神である神八井耳と日子八井耳と、そして綏靖天皇(神渟名川耳)の三人である。彼らの母は媛蹈鞴五十鈴媛命(ひめたたら・いすず・ひめ いすけより・ひめとも言う)。

このややこしい名前の姫は通称五鈴姫(いすず・ひめ)と簡略化する。
父親には二説があって、三島溝咋、八重事代主のどっちかである。
まあ、話の筋からいけば摂津と神武にはほとんど接点がないので、三嶋溝咋はおそらく三嶋に縁のあった藤原鎌足がらみの付会だろうと思う。すると出雲の事代主の方に落ち着くか?製鉄の名前である。たたらふいごを吹く姫という意味になる。やはり出雲がしっくりするか。出雲にはオウ(意宇)地方があるから多氏の氏族名(意冨氏)にも見合っている。

手研耳は日向と薩摩地方の曽於氏の伝承だろう。北部九州から南下してクマソに援助を求める天孫という図式が想定できる。曽於族は阿多隼人だろうと思える。大和に早くから帰順した南九州氏族である。
伯父の小椅(はしは旧字体で、橋よりもきざはしとか椅子、段を意味する文字。上に向って伸びる橋である。はしご)命は大阪市鶴橋に胞衣塚廟がある。アメノヒボコ(息長氏?)の妻・アカル姫を祭る比売許曽神社の門前にある。鶴橋にあったという日本最小の小橋の名のもとになった人。

手研耳を出雲の多芸志に結びつけるのは、隼人と出雲の小舟交易があったためである。ちなみに摂津三嶋には筑紫津地名もある。3世紀までの九州氏族はよく動いている。その後朝廷が海人族を租庸調に組み入れるために海部をつくり、氏族化してしまう。塩冶にある今市の大念寺古墳に近い塩冶築山古墳石室は九州式船形死床(ししょう)にそっくりな横口式石棺を持っている。まず九州海人族と見て間違いない。
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神話では出雲には、ひとり天孫=大和勢力に立ち向かったと考えられる建南名方命(たけみなかた)がいる。信州松本の安曇野まで逃げているから一般には安曇族とされているが隼人・熊襲つまり狗奴国との海人連合体とも見られる。筆者は出雲は狗奴国連合と見ている。山陽の吉備は女王国側に寝返ったと見える。膨大な数の銅剣が出た荒神谷遺跡の周辺には建御名方神 を祭る神社が、遺跡を取り囲むように六ヶ所存在する。(福島一夫「女首長に後事を託す」斐川町一般公募論文集)
つまりあれらの九州的な銅剣はみな建御名方神 =九州海人族の持ち込んだものと考察可能である。彼がひとりで抵抗したのはそういう軍事力を持っていたからだ。しかし天孫は最新武器の鉄剣の神威でそれをやっつける。それがフツノミタマである。荒神谷遺跡は誰もが銅剣に目を奪われてしまいがちだが、実は古墳時代の土器が同じ場所から出てくる。出雲では古墳時代まで銅剣祭祀が続いていた。つまり九州や大和から見るとやや遅れた地域だったことになるのは仕方がない事実。そして遺跡周辺の土壌は焦土である。強い高温で焼かれている。火の祭祀があったか?

ヤマトタケルは出雲の兄弟の製鉄技術を奪おうとしてやってきて、弟を殺し、崇神は振根の神宝を無理やり取り上げている。これらの話は考古学からは、実のところ古墳時代中ごろ・・・倭五王あたりの事件ではなかろうかと見えてしまう。つまり神話の時代に相当する遺跡ではないのである。海人族も各地の氏族も、三国志時代の中国の趨勢によっては、連合を乗り換えたりがあったかも知れない。九州から来ていた氏族に最初は出雲は手を結んだが、あとから別の連合に乗り換えさせられたようなにおいがする。

もちろん岸が多くてもかまわない。
砂州が多く、川が何本も流れ込んだ地域である。

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椅で思い出したが、こういう高層建築と海人族のセットになった絵が同じ本に出ている。
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この角田遺跡から出た土器片に描かれた線刻画は、頭に中国南方の羽人(うじん)のような羽飾りをつけた船人が、櫓を漕いで、なにやら高層のやぐらのような建物に近づいている。そこが港で、建造物は海からの目印らしい。確かに建物にはきざはしがついている。火の見やぐらなのか、見張り台か、灯台のようなものか?学説は出雲大社の原型説が主流だ。

鳥取県のかつての潟湖である東郷池そばに長瀬高浜遺跡があるが、そこからは巨大な柱が出た。出雲大社の試作品の部品だと言われた。日本海沿岸の高層建造物は縄文時代の蝦夷が作ったと考えられている。これらもその流れであろうか?蝦夷は飛騨地方で匠になったことがわかっている。飛騨の匠である、飛鳥の高層塔建築は彼らの手によっている。建御名方神 が蝦夷のすむ能登や越前海岸(ぬなかわ)から安曇野の穂高神社に入った氏族であることは間違いなかろう。それが今は穂高神社と諏訪盆地の諏訪退社に祭られている。だから御柱神事もまた海人族とともに出雲から諏訪へ入ったのだろう。


訂正;なんでIMEはいつもいつも退社と変換するんだろう!諏訪大社!直帰してどうするんだ、おい、サラリーマンかよ。


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