◆つわ
「また島根の津和野町の名は、この「ツワブキの咲いている野原」からきたと聞いたことがあります。津和野の名物に「ツワブキご飯」というのがあります。」
http://blog.livedoor.jp/qnxjq020/archives/51088450.html

「ツワブキの名は、艶葉蕗(つやばぶき)、つまり「艶のある葉のフキ」から転じたと考えられている」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%84%E3%83%AF%E3%83%96%E3%82%AD

津和野の文字は当然どこの地名も奈良時代に出された「良字二文字表記」の令で変わったと見てよかろう。
元はどうだったかは知る由もないが、ある思い付きがある。

◆弥都歯・鴨都波神社と罔象女神
奈良県の葛城山麓にある鴨都波(かも・つば)神社は古くは社伝に「カモ・ミツハ」と読まれてきた旨書いている。「ミツハ」とは「水端」、つまり水際を意味する古い言葉。水の祭祀の女神に「ミツハノ売ノ神(みずはの・めのかみ。めは女神)」がある。『日本書紀』は罔象女神と書く。

葛城鴨氏は京都では鴨氏を名乗るが御所の、水の管理者である。現在、葛城一帯は御所市となっているが、「ごせ」「こせ」は葛城氏同族だった巨勢(こせ)氏由来かと思うが、御所=宮の水を管理した葛城鴨一族由来の表記でもあろうか。
つまり「かもつば」は「かもみずは」がつづまってできた名前になる。
http://kamnavi.jp/as/katuragi/kamotuha.htm
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鴨都波神社

「かもみずは」から「かもつば」への音韻変化は、ミズハの前に鴨があるからつづまるのであって、津和野のように前に何もない地名はどうなるのだろう?やはり「ミズハ野」からであろうか?

ツワブキは確かに一年中つやつやした葉が特徴的なのだが、花は秋にしか咲かない。
ツワブキが自生している草原ならどこにでもあるだろう。

分解してみれば、ツ・ハ・ノ・・・万葉仮名では「都・波・乃」であろうか。
都=後に津文字ができたので、意味は港の波である。盆地なので津は川になる。
川の津に寄せ来る水際、あるいは水面の水の輪になるかと見える。
これも言うならば海人系の発想からきたとみてよかろうか。

さて、鴨氏がなにゆえに鴨をステータスにしたかというと、水の管理者だったからにほかならない。京都の下鴨社の神職である鴨脚(いちょう)さんのお宅には、確か中近東の掘りぬき井戸のように大きな渦巻状の水池がある。ここで御所の水を1500年間近く管理してきたのが、鴨氏ある。

ついでながら上賀茂神社は途中から秦氏祭司者が入っている。

鴨氏とヤタガラスと葛城の高木の神と太陽信仰
下鴨神社の有名な祭りは、ちょうど今時分ではないかと思うが、カラス神事である。これは神武東征のヤタガラスが一行を助けて導いた記紀伝承に基づいた由緒有る祭で、白い羽をつけた舞人たちが乱舞する。
鴨一族なのになぜカラス?といわれそうだが、鴨もカラスも鳥ということでそれは魂を運んで天上へ導くものという高木信仰から出てくる。中国の神樹には枝枝にとまるカラスが描かれる。これがやがて黒いカラス=太陽そのものに変化・習合していった。つまり高木信仰とはとりもなおさず太陽信仰であると言える。

◆高皇産霊神
あくまでも日本の記紀ではの話だが(ほかにもっと古い歴史書があればいいのだが、それらはみな時の為政者が都合に合わせて焚書したのだろう、残っていない。)、高木の神とは高皇産霊神ということになっている。タカミムスビとは「ムスビ」の神であり、出雲大国魂・・・大国主?オホナムヂが国ツ神としてそうであるように「なにかとなにかを結ぶ」神である。天と地、現実世界と黄泉の国を結ぶのか、宇宙の根源と地球を結ぶのか、そういうあいまいもことした神々は五柱あって、みな消える。

◆造化三神・別天津神
これを造化三神とか別天津神(ことあまつがみ)とか解説は書いてある。
まあ、宇宙の摂理である。漠然としているのは観念上の神格だからだろう。こういうのは世界共通の「なぜわれわれはここにいるのか」という根本の疑問を解消するために考え出された。
中で、最初の根本の根本を作り出した神を天之御中主神(あめのみなかぬし)と呼んでいる。
次に高木の神である高皇産霊神そして神皇産霊(かんむすび)が登場し(造化三神)、最後に宇摩志阿斯訶備比古遅神(うましあしかびひこぢのかみ)という沼地と天之常立神(あめのとこたちのかみ)という柱のような神が登場して宇宙とあめつち=天地の形成は終了する。

ようやくイザナギ・イザナミの国づくりに話は進む。
これ以後は誰でも知っている三貴子がイザナギの目鼻生まれるシーンである。

いうならばこの特別な五柱の神というのは中臣神道以外でも共通した神概念を述べたものであまりイデオロギーには関係がない。人畜無害な神である。ただ怒らすと必ず人を食うから信心は欠かせない。

◆縄文自然信仰+諸外国宗教概念
基本は縄文からの原始信仰に似ているわけだが、そこにはあきらかに中国以西からの観念の影響がある。大きくは道教と神仙思想であり、またその先にはインドのヒンズーの教えがあり、民間信仰があり、そのまた先に、人類根源の地中近東・西域の原初の信仰があり、中にははるか西の地中海からの信仰もあり、ササン朝ペルシアにあったネストリウス派キリスト教やゾロアスター教の部分的取り込みもあったようである。

思えば陰陽五行説そのものが日本で受け入れられる前から、すでに中国で諸外国の神観念は習合していた。それがさらに細部にわたって日本でも習合する。そして仏教もまた習合した密教が入り、これも互いに取り込みあう。こうして修験道が生まれてきた。葛城鴨氏と秦氏が中心になってこれを広めていった。
だから基礎には出雲や南北九州からの海の文化も混じっている。

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真ちゃん画像感謝
http://blogs.yahoo.co.jp/takabou1331



◆水と土
しかしながら基本的な概念はまずは水と土=泥・宇摩志阿斯訶備比古遅神(うましあしかびひこぢのかみ)を捏ね回すことから始まるのである。これは泥でこねて人間を作る中国の西王母神話と同根である。
世界中で神が、人の形をしているのは、つまり概念を捏ねて作り出さねばならない必然からだろう。人間だけが器物を作り、神だけがモノを作り出す。

◆こねる
捏ねるとは呪であろう。
ゆえに土師氏は土盛りして墓を作りながら、土器や埴輪を作り、同時に祭司者でもあった。



日本のすべての神観念は記紀記述をまず念頭におくので、それ以前のことは神職も何もわからないはずである。それ以前の信仰などは仏教も神道も念頭にないだろう。空海のような天才はしかしそれらを無視しなかったことだけは確かである。そうすると世界の人類の共通点に気がつくことになる。するとその人の宗教観は宇宙のように広大な共通項に救いを見出すようになる。この世界の苦患から自身を隔離するか、開放するか。それを問うのが哲学であろうか。仏陀はあきらかな哲学者である。それで人を救おうとしたものは宗教者と呼ばれる。いずれにせよ、自己あるいは他者をも救うものが哲学と宗教だろうと思える。
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葛城一言主神社

◆願い
思いとは願い。願いとは理想。理想とは?
いかに生きて、いかに死すべきか。おそらくこれにつきるのだろう。

思いつくままに書いたが、「つわ」とは何かがきっかけだった。
葛城山中を高鴨神社から鴨都波神社と遺跡を歩くと、高いところに葛城一言主神社に上り詰め、そこから海(かい)神社を通って一気に御所市駅前に出る。降りつく手前に脇上(わきがみ)がある。
北一輝の生誕地を左に見ながら駅にたどり着く。

電車に乗ればすぐに飛鳥をぬけて三輪のまきむくである。

秋のたびは人を哲学へと誘う。

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初秋の飛鳥に巨大な赤い太陽は今日も沈んでいくことだろう。
はるか西の方に黄泉の国・出雲はある。いつもそう思ったものである。
振り返れば二上山は夕日を浴びて輝き、金剛葛城山地の赤く色づいた紅葉は、悠久の昔、そこにいた縄文の翳りを垣間見せる。思えばわれわれは森と水の真ん中に家を持ち、もっともよい場所を住処としてきたのだ。しかし周囲の山や川や海には、平地にはすめない民衆がそのころからそこを選び住み着いてきた。それが夏になると、神が食らうこと=災害によってあらわになるのである。


なにゆえに?

ぼくたちは恵まれているのだろうか?

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浄御原宮に沈み行く夕陽


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