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金色堂が奥州で作られる根源は、奈良東大寺大仏金鍍金の必要から始まる、金山開発の歴史を抜きにしては語れない。最初の奥羽金発掘者は天智天皇白村江敗北で滅びた百済国から渡来した百済王族である。

その名を百済王敬福(きょうふく)。

奥州藤原三代はその後の奥州金山開発後継者だったと言える。
金あって藤原三代も繁栄した。

その繁栄も源義経の逃避行によって灰塵に帰すことは著名である。そうした意味で義経という存在は迷惑なものだったとも言えるが、それを言う者は誰もいないだろう。というよりも義経がではなく、本当に鎌倉が欲しかったのは金だったのである。義経などはただのきっかけに過ぎない。と、言うよりも義経が本当にいたかも実は定かではない。藤原三代を滅ぼすための鎌倉の狂言記事とも言えなくもない。


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