書き忘れ事項がふたつばかりあったので挿入する。



黒人音楽は霊歌(ニグロ・スピリッツ、ゴスペル)から始まる
<ナット・ターナーの反乱>
 「19世紀に入ると黒人たちの間にキリスト教はいよいよ深く浸透するようになりました。しかし、その反動も現れるようになってきます。中でも1831年に起きた「ナット・ターナーの反乱」はアメリカ中に衝撃を与える大事件でした。
 ヴァージニア州サザンプトンの農園で働いていた奴隷のナット・ターナーは非常に優秀な若者でした。読み書きが達者で聖書の中身にも精通していた彼は、白人の牧師たちが語る「奴隷制の正当化」に納得できずにいました。そして28歳の時、彼は突然神からの啓示を受け、奴隷たちを解放するよう告げられました。(もしくは、そう思いこみました)すぐに彼は持ち前の指導力、カリスマ性を生かして仲間を集めると、アメリカの歴史に残る大反乱を起こしました。
 彼は仲間たちと共に彼らの持ち主だった家族を含め50人以上の白人を殺し、それに対して軍隊までが投入される史上最大の反乱となりました。結局、彼を含めた首謀者たちは逮捕の後、全員が縛り首になりましたが、それ以外にも120人以上の黒人がこの時、殺害されることになりました。もともとアメリカでは、白人の移住者に対しての奴隷の数はわずかだったため、反乱を起こす危険は少ないと思われていました。(奴隷の比率が高かった中米では、何度も奴隷たちによる大きな反乱が起きています。彼らは故郷の土地に似た熱帯雨林の中に逃げ込み、独自の国家を作ることすらありました)しかし、この反乱の場合は単に奴隷たちが厳しい条件に対しての怒りを爆発させたというものではありませんでした。それは熱心なクリスチャンである彼らに対する「神の啓示」に基づいて行われたものだったのです。だらこそ、彼らは死をも恐れぬ反乱を起こすに至ったのでした。(この事件の詳細は、アメリカの小説家ウイリアム・スタイロンの「ナット・ターナーの告白」に書かれています。この作品はピューリッツァー賞も受賞している20世紀文学における代表作のひとつでもありますので、是非ご一読を!)」http://www3.ocn.ne.jp/~zip2000/black-spiritual.htm

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こうした黒人霊歌は今ほとんど残っていないが、いくつかの聖書を題材にしたグリー(男声合唱)曲ならよく大学の合唱発表会で演奏される。たとえば私達もよく知っている「ジェリコの戦い」とか「エーメン」などである。
ナット・ターナーの反乱を読むと、筆者などは日本の隼人の反乱を思い出してしまう。奈良時代のこの反乱では大隅隼人は完膚なきまでにやられているが、よく似ていると思うのは黒人が霊歌をよりどころとし、隼人には隼人舞という霊的なよりどころがあったことである。
芸能と音曲は差別から生じ、多くが被差別者の神的・霊的スピリッツの代弁者であったことは世界共通だろう。
例えばほかの世界ではイラクのロマがベリーダンスや吟遊詩を、地中海のジプシーが同じく吟遊詩やフラメンコの原型ダンスやギターを、南米黒人奴隷ではサンバを、アメリカ黒人はゴスペルとギターを、ブルガリアのロマは針ねずみから生まれた創世神話を、ネパールのサルキ(不可蝕民カースト)が民話やシャーマニズムを持っている。日本では古代から敗北と従順のしるしに舞いを踊ったという記録が頻繁に出てくる。被差別民ではないが沖縄などの南島ではウタキがおり、酒宴のたびに口笛とサンシンで舞い踊る。東北にはおしらさま信仰や恐山のイタコがある。琵琶法師は吟遊しながら漂泊した。そもそも田楽や神楽や猿楽は民間における憑依と信仰のために存在した。そして弦楽器は琴の古代からつねに安価で心を揺らすシャーマンと芸能者の重要な道具であった。世界中で。

クラシックギター、フラメンコギター、フォークギター、シタール、琴、ハープ・・・弦楽器こそは被差別が生んだ憑依の楽器である。
高校時代初めてギターを弾いて、自分もそこに気づいた。手軽に、即興的に、みんなとともに心を打ち震わせることの出来る楽器であった。

すべてが被差別というわけではないが、先住した人々が渡来によって同化させられてゆく過程で差別され、世襲の技術者や屠業に専念せられて狭い社会に封じられ、為政者にとっては痛し痒しの扱いをされ、結局、存在を無とされ、ひどいときには不可蝕=体の一部に触ることを絶対しないというような究極の差別を受けてきたことは、実は黒人世界や奴隷世界、カースト制度にも厳然として存在したし、今もまだ一部地域にそれが残っているのである。

筆者が小学生高学年だった昭和40年代の市街地でさえ、同級生にそうであろう子どもは存在した。ひとりは川沿いの鉄橋の下のバラックでほそぼそと農家をしていた家の子だったし、ひとりはフォークダンスで誰も手をつないでくれない女子だった。この女の子は今から思えばその苗字から推察して在日だったろうと思う。筆者はそういうことに疎く、フォークダンスでもちゃんと手をつないだが、ほかの男子はみな終わったあと手をはたいたり、最初から触れない子もいて、いつもなぜなんだろう?と思っていた。ある日、彼女がおつかいでうちにやってきたことがある。同町内?だったのだろうか。彼女はぼくを見るとにこっとはにかんで笑いかけた。手をちゃんとつないであげたからだろうか。もうひとりは差別こそされていなかったがいつも泣かされていた社長のむすこ。この子は在日板金屋のせがれだった。私が子どもの時代、つまり昭和40年代までは、地方の小都市でさえちゃんと「見える差別」は存在したのである。
おや指を折って隠し、四本指というサインがあった。けものを示す印で彼等のことを眉をひそめて小声で話す大人たちはちゃんと存在した。彼らが多く屠業者・なめし皮革業だったり赤犬食いをしていることがあるためだろう。

被差別者とは神である為政者の裏側にいて、常に白黒・正悪・聖邪のためのわかりやすい観念の犠牲であった。しかし実は神も被差別者だったのだと思う。表裏裏腹の観念ではあるが、実はどちらも一般的な市民から区切り分けられる存在だった。天地であり、天国と地獄であらねばならなかった。ゆえに差別され、多くが放浪した。漂泊の民、これも世界的な共通点である。それがフセイン時代のイラクでは定住させられて、保護を受けていた。今はもういい暮らしを覚えたために放浪はできず、乞食暮らしになってしまっている。With2ブログランキングへ


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アメリカ黒人は最初は同化政策で、やがてキリスト教の神に心底(白人以上に)心酔していった。苦しみから逃れるために当然である。それは彼等なりの新たに見つけた故郷アメリカでのシャーマン憑依であり、白人から見れば邪教でしかなかった。形は聖書やマリア像であっても、それはみなアフリカで彼らが見てきた母なる大地母だったのだ。ゆえに彼等の霊歌もまた大地の底からわきあがるような発生を必要とされた。

■ゴスペルは神楽・巫女舞・憑依
(1)シンコペーションを多様したリズム
 シンコペーションとは、4拍子や2拍子の通常リズムの中で強拍と弱拍を入れ替えて、よりリズム感を出す工夫のことです。これはアフリカ音楽における複雑なリズムから受け継がれたものと言えるでしょう。
(2)コール&レスポンス
 ソロの歌唱(多くは牧師)から始まり、それに他の人々(聖歌隊もしくは会衆)が応えるように歌うスタイル。レイ・チャールズの歴史的名曲「What'd I say」は、それをポピュラー音楽に応用した代表的作品。
(3)ブルー・ノートの多様
 ブルー・ノートよは、黒人音楽に特徴的な歌唱もしくは演奏法で、哀しげな雰囲気を出すために楽譜上の音よりも半音もしくは1/3音程度微妙に音を下げるやり方。こうして生まれるバックの演奏と歌の微妙なズレが、独特の不協和音を生み出し、それが黒人音楽ならではの「ブルー」な雰囲気の最大の原因となっています。この微妙なズレは楽譜上では表現できません。だからこそ、一流のジャズ歌手は同じ歌を歌っても全く異なるものに仕上げることができるのです。
(4)インプロビゼーション(即興的要素)の多用
 前述のブルーノートのように演奏者(歌い手)が即興的にオリジナルの曲を変えて演奏すること。ジャズはまさにこのインプロビゼーションが生み出した結晶とも言える音楽。もちろん、ロック・ギタリストのソロ・パートやラテン・ダンス・バンドのライブ演奏など、あらゆる音楽ジャンルで用いられている手法。
(5)ボディー・アクションの多用
 白人の礼拝に参加していた当時、黒人たちはそこで踊ることは禁じられていましたが、その後自分たちだけで礼拝を行えるようになると、アフリカ仕込みのダンスが取り入れられるようになりました。

つまり日本の神楽とゴスペルは同じなのである。原始信仰の表現形態である。だからキリスト教の表現からかけ離れることになる。
大地を踏みしめて、太く震えるように声をはりあげ、トリップして神に近づくための大地踏み、反閇がゴスペルである。前回のアフリカ原住民の歌声とアメリカ黒人音楽はすべて同源であることがおわかりいただけたと思う。そこから現代のポピュラー音楽のすべては開始された。
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今回のおまけ
Ray Charles レイ・チャールズ - Ellie My Love
http://www.youtube.com/watch?v=fbGQS3i1TMc

我が心のジョージア レイ・チャールズ ライヴ・アット・モントルー 1997
http://www.youtube.com/watch?v=GTMvb0QSMaM

彼の音楽・黒人の音楽がすべてゴスペル、霊歌つまりアフリカ大地母信仰からクレオールした音楽であることはこの曲が証明する。
Ray Charles - I Can´t Stop Loving You (Dick Cavett Show)
http://www.youtube.com/watch?v=WU-MBTW86U8&feature=fvwrel
まさに霊歌である。アフリカの女神はレイとスティービーに代弁者の証としての「盲目」をあたえたもうたのであろう。歌は常に神の預言である。