■大地母神(世界的に共通する神格)
「大地母神 (だいちぼしん、ラテン語: Magna Mater deorum Idaea, 単に Magna Mater) は、ローマ神話の女神である。ラテン語の意味は「イダ[1]の、神々の大いなる母」(イダエアはイデーアとも読む)。日本語ではマグナ・マテル、諸神の母などと呼ぶ。日本神話においては伊邪那美(イザナミ)神に相当すると言われている。
ミノアのレアと同じくプリュギアのキュベレが起源である。この女神の祭祀は紀元前6世紀から紀元前4世紀にかけてプリュギアからギリシアに移動した。ローマでは紀元前205年に受容された(詳細はキュベレを参照)。
また、ローマ神話のマグナ・マテルに限らず、大地の神、豊穰の神、出産の神はさまざまな神話の中に現れる。聖母マリア信仰はキリスト教に大地母神信仰が取り入れられたものだという主張があり、また荼枳尼天(だきに・てん)がこのカテゴリに属するという人もいる[要出典]。ファンタジーなどの主題としても用いられる。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%9C%B0%E6%AF%8D%E7%A5%9E
※Magna Mater deorum Idaea, を英語に置き換えるとグランド・マザー・アースとなる。つまり大地のビッグ・ママ。



                 プリュギアのキュベレ

■すべてを「大地母」としてくくるのは?
「地母神 (じぼしん、ちぼしん)、母なる神 (ははなるかみ) は一般的な多産、肥沃、豊穣をもたらす神で、大地の豊かなる体現である。「大地の母」として描かれる。
日本神話においては国土を産みだしたイザナミがそれに相当するが、各国の前文明期の母権社会で形成された絶対的な地母神ではなく、男性であるイザナギと協力し国産み、神産みを成すが、火の神を生み落とす時に火傷を負い死亡してしまったとなっており、後の父権社会からみた母権社会への評価のような構造となっているのが変則的である。
クノッソスのヘビを祀るエレガントな女神の姿から始まり、岩を削ったキュベレーの像や、古典期までゼウスと共にドドナで拝まれたディオネ(「神」の女性形)の姿にいたると、古代の女神全てを母神のもとにくくるのは、いかにもあやふやで浅薄に見えることもある。考古学者は、資料を解釈する時この種の説を避ける傾向にあるし、時として行動主義的なフェミニズム (ラディカル・フェミニズム) に毒されたもので、厳正な考古学とは呼びえないと批判することもある。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%B0%E6%AF%8D%E7%A5%9E



※くくってもかまわないと筆者は思う。理由は後述。
フェミニズムとは女性愛好・女性に優しいということであるが、大地母にはまったく逆の観念である魔女の反面があり、これがラディカル・フェミニズムと言えるものではないと感じる。行動主義的女性優遇とはつまり「過剰な女性偏重」という意味であるか。気色の悪い男ということか。いずれにせよ鼻持ちならない。それで大喜びするような女性とは、まずは頭がからっぽであるに相違ない。人間とはこのようにそもそもが浅薄な知能しか持たない生き物なのであるから、大地母観念そのものも当初から短絡的で浅薄な男女二種類からの選択でしかなかった。こむづかしく考えすぎるから学者は「おっほん」「えっへん」と権威的であろうとする。ところが夜の学者はただの男である。嫁に言い寄って肘鉄を食らう、どこにでもいるただのエロじじいなのが男である。全員子どものときからそう。そうでなければ子孫は生まれてこない。清純派ばかりでは人類が滅びることは言うまでもない。だいたい最初は醜い女神像がしだいに美女にされていくのなども、言うならば男の勝手なフェミニズムで、フェミニストそのものが実は女性を蔑視していることはよくある話である。急進的であるほどそうだといえる。やさしげな扱いの影には男の野生の本能が隠れているからご用心。筆者のように表面的に女性をないがしろにしている男ほど、逢って見るといい男なんだな。優しさは内面に潜ませるものだわ。



■「ウーム」語源は大地・生産と再生の女神が冥府の守護神となる方程式
「古代オリエントの大地母神(Great mother Earth)は二つの相反する性格をもっている(グッド・グレイト・マザーとテリブル・グレイト・マザー)。一つは大地の生産力、生物の誕生と生育を主宰する神である。二つは「しばしば凶暴で活動的な女神として現れ、かつ死者の世界の主神となる死の神である。すなわち冥府の神、死霊のいきつく地下世界ー黄泉の国の主催神となるのである。」大地(ウーム/Womb)は子宮、母胎(Womb)と同義であり、したがって大地の神は生殖、共同体、農耕の守護神としてすべての生産を司る女神であると同時に、「土に帰る」と表現されるように、大地は墳墓と同一視され、この女神は死の世界ー地下世界への入り口である洞窟に住まうものとされるのである。命を飲み尽くす大地が、すなわち命を産出するところに、先史時代人の死生観があらわれている。日本神話のイザナミには、明らかに大地母神の特徴を見いだすことが出来る。」(水野祐『日本神話を見直す』)

■エジプトの大地母神
イシス(isis)-大地母神
「現代ではだいたい「イシス」の名前で通っているが、これは実はギリシャ名であり、本当は「アセト」という。
オシリスの妹・妻であり、ホルスの母。豊饒の女神。地母神。
夫であり神々の王であったオシリスがセトに殺された時、ナイルに流されたその遺体を探しあて、手でそのペニスを揉んで勃起させ、自分の膣の中で射精させてホルスを産んだ。そしてホルスが成人するとホルスを助けてセトと戦い、これに勝利した。

実際は系統的にはメソポタミアの女神イシュタル(イナンナ)、ギリシャのアフロディーテ(ローマのヴィーナス)と関連が深い。」
http://www.ffortune.net/symbol/egypt/gods/isis.htm


■中国
●女?黒
伏羲の妻または妹とされている、人面蛇身の女神。燧人の代わりに三皇の一人に数えられる時もある。」


                 伏義と女?黒
●西王母
「女仙人のボス。食べたら不死になるという仙桃を管理している。慈愛の聖母のような姿として描かれる反面、山海経では化け物扱い。
姓は?垪(コウ)氏または楊氏。名は回、字は婉衿(えんきん)、婉於(えんう)、太虚(たいきょ)など、色々。
http://xiaolong.web.fc2.com/data/kamisen/k03_sa.htm

「現在の西王母のイメージは、道教完成後の理想化された姿である。本来の姿は「天五残(疫病と五種類の刑罰)」を司る鬼神であり、『山海経』の西山経及び大荒西経によると、
「人のすがたで豹の尾、虎の歯で、よく唸る。蓬髪(乱れた髪)に玉勝(宝玉の頭飾)をのせていて、穴に住む。」
という、半人半獣の姿である。 また、三羽の鳥が西王母のために食事を運んでくるともいい(海内北経)、これらの鳥の名は大鶩、小鶩、青鳥であるという(大荒西経)。」http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E7%8E%8B%E6%AF%8D

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記紀イザナギ・イザナミ神話は記紀成立時代には中国経由でオリエントの神話が到来し、日本の正史に取り込まれた「新解釈」であると見てまず間違いはなかろう。それまでの日本では●縄文人共通の大地母信仰がすでにあった(土偶)。
●弥生人にも中国長江文明人共通のプレ道教的な生産の女神があった(女?黒 )。

蛇の身体を持ち、生産と豊穣のシンボルが死して冥府の守護神あるいは魔女と変化する共通性は、オリエント、ローマとインド・中国間のシルクロード交流によって秦の時代にまず道教に取り込まれた。それまでの中国南部では禹王こそが大地と生産の神王である。オリエントから中近東、インドと経由して中国に入り、それが8世紀の大和の歴史編者に取り込まれた。しかし縄文以前から原始大地母信仰はすでに日本に広く存在していた。これを持ち込んだのは海人族しかありえない。
大陸の文化が日本に到達するには、こうした二つの時代、二つの導入概念がある。仏教、道教、神仙思想などの取り込みも同じく、1 有史以前の民間伝播 2 朝廷が成立するときに意識して「正式に」成文化されたものを導入する
の二種類、複数時代の取り込みがある。前者は主として人間の基本理念としての信仰や共感によるところが大きく、容易には変容しない。後者は政治的で、国家をひとつのイデアでくくろうとする意図的な導入である。つまり文化・文明・主義・技術などの新しい概念が入ってくるのは、常に複数回起きている。従って学校が試験用に教えるような「仏教導入538年」などという知識は、おしなべて大和朝廷を意識したものであると言える。それは飛鳥時代以後~天武朝までの大陸との正式なつきあいが始まってからの通念でしかない。当然、民間、あるいは豪族独自の導入がすでにあったうえで、中央の導入は決意されてきた。常に地方氏族が中央に先んじて新知識を手にするラジカルなパイオニアであることを忘れてはならない。

「隼人族や安曇族のようなインドシナ諸島人の血脈」(水野説)こそが最初にそれらを持ち込む。これが北方の場合、あるいはステップ経由でツングース族に入ったか、あるいは海人族が持ち込んだかという二面で考察されねばならない。

蛇の身体を持ち、地底の魔女として登場するギリシャ神話のメデューサ(メドゥーサ)にしてもやはり冥府の魔王・魔女であるが、もともとは神なのであり、共通の女性観が見られる。簡単に言うと、おたくの奥さんが一方では毎度の食事を作ってくれて、あなたの次世代である子どもを育ててくれる「女神」であるにも関わらず、一方であなたの給料で好き勝手にものおを買い捲り、あなたのことはないがしろにし、子どもが生まれた瞬間にあなたを他人とみなすような魔女、山の神であることを思えば、女性の両面性、奥底に潜む魔界性は容易に肯首できるはず。^^

女性に対するそうした男の感覚は世界共通であるから、どこに持ち込んでも(中国人などは特に恐妻家ゆえたちまち飛びつく)受け入れられる人間共通項だといえる。信仰や宗教や観念というものは、ある一面では複雑怪奇な教義を持つ必要があり(厳格さ)、ある一面では民間に容易に楽しく理解されねばならぬ(布教)ものである。こむづかしい内容を読み砕いて、わかりやすく見せてやる。そういうもののなかに仏像とか神像とともに具体的な神の姿や名前つけがある。
大地母では漠然としている神格を、おたくの奥さんに似た女神にすると理解力・浸透力は格段にアップする。
女・明暗・生産と豊穣と反面にある閻魔大王・・・そういうものを絵にしていくと、結局ビーナスとか女?黒 とかダキニ天・シバの女王になるわけである。


              ダーキニー(荼枳尼)



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