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■南の十字路・小笠原
「日本開国の後、明治時代以降、正式に日本領となった小笠原には日本からの移民が増え、言語や文化に日本文化の影響が強まる。入植者はさまざまな地域から来た。もっとも多かったのは伊豆七島、とくに八丈島の人である。小笠原の郷土料理「島寿司」はサワラのヅケにカラシをつけて食べるのだが、これは八丈の食べ方と同じである。
 最初のハワイからの移民と戦前に住み着いた人たちを旧島民という。五人の白人系の家系にも現在まで続くものがある。たとえばセボレー家やウェッブ家である。子孫によっては瀬堀、上場と漢字名に変更した家系もある。また沖縄からの移民は琉球壷に泡盛を入れて伝えた。糸満の海人(うみんちゅ)はサバニ舟を持ち込み、珊瑚礁で沖縄式の追い込み網を展開した。この結果、小笠原にはユニークな文化が展開している。たとえば東京都の無形文化財の「南洋踊り」はミクロネシアから伝わったものである。」

■小笠原方言
「小笠原方言も独特である。たとえば「ウーフー(ブダイ)」とか「タロ」とかハワイ語起源の語彙も健在である。八丈島の方言も多数含まれる(ダニエル・ロング『小笠原ことばしゃべる辞典』南方新社、参照)。あるいは咸臨丸時代のカヌーを作った木はタマナ(玉名は熊本県に玉名市の名があるが?石を引く日置氏がいた土地Kawakakatu)と言われるが、これはポリネシア語でテリハボク(照り葉木)を意味する。言語の類似だけではなく、事実テリハボクがカヌーの木として珍重されるのはハワイやタヒチでも同様である。
 それどころか言語学者ダニエル・ロングによると、かつて小笠原に来た人々の母国語には、英語、ポルトガル語、ドイツ語、イタリア語、デンマーク語、スペイン語、グアムのチャモロ語、マダガスカルのマラガッシ-語、ブーゲンビルのブカ語、ハワイ語、タヒチ語、またいくつかのミクロネシア語があったらしい。これらの言語がすべて現在観察できるわけではないが、これらを母国語とする人々がそれぞれのフィルターを通して英語および日本語を習得し、使い、そして独特の小笠原方言を作っていったのだ。驚くべき「オムニフォン」的状況(菅啓次郎)である。」
以上、後藤明『海から見た日本人  海人で読む日本の歴史』序章「和洋洋折衷の島――小笠原から」講談社 2010より

注;
タマナ・・・照り葉木
類語英和和英中日日中てりは‐ぼく【照葉木】 オトギリソウ科の常緑高木。海岸に生え、高さ約20メートル。葉は長楕円形、堅い革質で光沢がある。花は白色。小笠原・沖縄諸島などに分布。防風林とし、材はマホガニーの代用にする。
http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/152745/m0u/%E3%81%A6%E3%82%8A/
画像→http://www.ogasawara-syokubutusi.com/koyuusyuZUKAN/koyusyuZUKAN/tamana.htm

タロ・・・サトイモ科の芋
マダガスカル・・・マダガスカルは驚くべきことだが、アフリカ大陸の真横にありながら遺伝子的にアボリジニやオストロネシア人の血を引いている。要するに中近東から分かれた人類DNA遺伝子の本流(イヴの血筋)からではなく、ダイレクトにアフリカンと東南アジアンがスンダランドで結合した血脈。

オムニフォン・・・グローバル化の中で言語や文化を越境し,胎動しつつある新たな知の姿.著者はこれをオムニフォン(オムニ=多 フォン=響)と呼び,アメリカ,カリブ,ブラジル,東アジアなど,文化的混交の現場から近代の知や歴史を問い直す.多文化状況におけるコミュニケーションの可能性を問い,新たな世界像を構想する.
http://www.iwanami.co.jp/.BOOKS/02/8/0223820.html

管啓次郎『オムニフォン』(岩波書店 2005年)
 「世界の多様性は、世界のすべての言語を必要とする」 管啓次郎はカリブの思想家エドゥアール・グリッサンの詩学をそうパラフレーズし、本書のタイトル<オムニフォン>を「あらゆる言語が響きわたる言語空間」とを定義する。
http://www.isc.meiji.ac.jp/~nomad/koshikawa/kwork/omniphone.html
小笠原氏・信濃小笠原氏
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E7%AC%A0%E5%8E%9F%E6%B0%8F#.E4.BF.A1.E6.BF.83.E5.B0.8F.E7.AC.A0.E5.8E.9F.E6.B0.8F



■無形文化財小笠原南洋踊り動画サイト
http://www.youtube.com/watch?v=2wqiAMnDAJc
ま、どう見ても南洋の踊りである。
以前は土(どじん)人踊りといわれてきたが、どじんは差別用語になって南洋に変化。戦時中に日本陸軍の行進が混じったので行進踊りとも言う。つまり小笠原諸島がちゃんとした国家の領土だった期間などタカが知れており、それは第二次大戦の要害としてだけの一時的所有がほとんどだった。現在はれっきとした日本国東京都の土地。それ以前は、海外渡航の船舶が難破し、実に雑多な人々が漂着する場所。ちなみに小笠原という諸島名は信濃小笠原藩の所領だった名残である。今でも小笠原という名前は各地にちゃんと残る。読売巨人、サッカー選手などが著名。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E7%AC%A0%E5%8E%9F%E8%AB%B8%E5%B3%B6#.E6.AD.B4.E5.8F.B2


行進踊り----外来の踊り
  マーシャル  1917-1925ころ
  ポンペイ 1930-
  チューク 1912-
  ヤップ・パラオ1930ころさかん  
  サイパン 1930ころさかん
          *サイパンへはチュークの人たちが伝えた                 

  パラオ・サイパン経由で小笠原へ
  

・踊りの伝播について
  外国人;特に東カロリンへは捕鯨船員 ドイツ兵 宣教師
  島の人々;西へはチューク人が主

・歌詞と外来性
  ウラメ・ウワドロ:チューク語
  ギダイ:ポンペイ語    
    いずれも意味不明---言葉が変化しているのか?

小笠原化
 外来文化(行進踊り・日本語混じりの歌)
   |
 1920-30 西カロリン・サイパン様式が小笠原へ
   |
 その後、小笠原化 日本化し 南洋踊りへ
http://www.h2.dion.ne.jp/~mulberry/sub4-12.htm

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面白いのは、この「阿蘇ピンク石」の石棺も、ヤップ島の石貨と同じく、筏に積んで曳航していく手法が採用されたこと。
http://kumaoffice.blog76.fc2.com/blog-date-200503.html




■小笠原方言いろいろ
  ロースード タマナ ヤロード ビーデビーデ イチビ (ここまで植物)  
  ウェントル(冬場に島付近にいるアオウミガメ) 
  入出港  ギョサン(サンダル)  チギ アカバ(魚) 
  グリーンペペ(ヤコウタケ)


・外国語起源のことば
  クノー(カヌー)  ラハロー(タコノキ) 
  ヘンパーム(ヤシの1種) ネーネー(メスヤギ)

  古い英語 アメリカ東海岸のなまり
      V→Wになる  ORの発音 Iがエの発音
  
  例:セボレー ゲレー (人名) ブベ(鳥) ダンプレン(料理) 
    ネーネーゴート ビレゴート(ヤギ)


・コペペ氏について
  あだ名らしい
  変わった人だったらしい・・・・おそらくハワイ系の渡りついた島人。背が高く色が真っ黒でがっしりしていたそうだ(Kawakatu)
  出身もいくつかの説がある:
   確定していないキリバスほか
   モキル環礁
      モキル語に「コペペ」→流木ということばがあるので、可能性ある
  
・八丈起源
 お    →  う に
  ごと     ごつ 
  もぐる    むぐる
  げっそり  げっすり
 う   → お に
  カヌー   カノー
  くちびる  くちびろ
  サンドル サンドロ 
・そのほかいろいろ
  SEE YOU AGAIN→  また見るよ
  タウティーネ;  あやしことば
  リーファー;冷蔵庫
  ホーレイ;黄色いミナミイスズミ 
  ゴマジキ;ゴムハジキ
  キーキー;ヒヨドリ
  ドンガラ:失敗   など
  ビーデビーデ;赤い花 春が来たのを 知らせてる
  ギョサン; 定番で みんなはいてる ゴムぞうり
  ロースード(ムニンヒメツバキ):梅雨あけて 白い花々 樹冠をかざる
  グリーンペペ:闇の中 緑に光る 不思議なキノコ
http://www.h2.dion.ne.jp/~mulberry/sub4-21.htm

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★結論★
■「日本語は縄文人の言葉を韓国語でつなぎ合わせたクレオール語」 八幡和郎
http://www.yawata88.com/jiji21801.htm

                                             
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