富山和子  以前、君島さんは「中国の浦島は日本とずいぶんと違っている」とおっしゃったと思うのですが、まずはその辺りからからお話いただけますか。


君島久子  両方あります。日本の浦島とよく似ている方は、洞庭湖(注8)のほとりの伝承なの ですが、ある漁夫が、嵐の洞庭湖で水に落ちた乙女を助けるのです。すると、乙女が「私は洞庭湖の竜女です。お礼に竜宮城へお招きしましょう」と言う。竜女というのは乙姫様 ですよね。その男が「竜宮の中に入っていくことができない」と言うと、竜女が水を分ける珠「分水珠」をくれるのです。後日、彼がその珠を持って湖に行くと、さっと水が二つ に分かれて竜宮城へ着きます。すると乙姫様が出てきて、歓待され、結婚して幸せに暮らすのですが、ふと母親を思い出し、故郷に帰りたいと言い出す。乙姫様は宝の手箱を渡し て「私に会いたくなったら、いつでもこの箱に向かって私の名を呼びなさい。でも、この手箱を開けてはいけませんよ」と言われるのですね。故郷に帰ってきてみると、村の様子 もすっかり変わり、村人たちも知らない顔ばかり。それもそのはず、竜宮での一日は、人間界の十年にあたるので何百年もたっていたわけ。彼は動転して、竜女に聞こうと思わず 手箱を開けてしまうのです。すると、ひとすじの白い煙が立ち上り、若い漁夫は、白髪のおじいさんに変わり、湖のほとりにぱったり倒れて死んでしまう。でも、彼は死後も目を 閉じることなく、じっと洞庭湖を見つめ続けているのです。すると突然湖の水が満ちてきた。それは竜女が悲しみのあまりほっと長いため息をついたからなのです。その長いため 息が、洞庭湖の水位の変化だと伝えています。

富山 浦島伝説は中国のどの地域に多いのですか。

君島 長江から南の方が多いですね。竜は雨を司るものですから、北の畑作地帯も南の水田地帯も干ばつが怖いので、竜神に雨乞いはしますが、特に稲作文化との関係は深いようです。

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富山 長江と聞けば、やはり稲と、稲の伝播とを思わないわけにはいかないですね。最近では稲作の起源も、雲南の奥地からずっと下流に下りてきました。アジア最古の稲が出た河姆渡(かぼと)遺跡(注12)もあります。それにしても、浦島太郎というと普通私たちは、海が舞台で、「釣りに出たがなかなか魚がつれなくて・・・」という話が頭にありますから、海の神、魚の神様かと思いますけれど、ここ丹後半島では、浦島伝説は稲作の神様の話ということですね。
富山 徐福伝説については、私、『日本の米』に少し書きました。太平洋側にも日本海側にもある。佐賀県の有明海岸や紀州が有名ですが、富士山や八丈島、秋田、津軽まで全国に散らばっています。でも私は特に男鹿半島に心惹かれるのです。
 あそこには「なまはげの里」があるのです。男鹿半島の中央に真山、本山、毛無山という三つの山がある。対岸はウラジオストックで、本山頂上には航空自衛隊のレーダー基地がある。そのそばに、徐福の塚や漢の武帝が連れてきたという五匹の家来の鬼を祀った赤神神社もある。何でも、武帝は家来に連れてきた五匹の鬼に、一年に一日だけ休暇を与える。
すると五匹の鬼たちは、里へ下りて羽を伸ばす。それがなまはげだと、秋田では言われているのです。
 確かに、本山の頂上へ行って対岸を臨むと「ああ、遠い国まで来たなあ」と、故国を思うのかも知れない。また、日本海を航海して陸を臨むと、本山を仰ぐことになる。そうでなくとも男鹿半島の付け根の部分は、漂着のメッカです。日本海と朝鮮、中国との関係については、まだまだ書きたいことがあるのですが、とにかくここに徐福伝説がある。
 徐福は太平洋側が有名ですが、日本中にあるというところがおもしろい。そこで思い出すのは、以前、佐賀県の諸富町へ行ったら、亡くなった吉末豊助町長が徐福についてのうんちくを傾けなさった後、こうおっしゃった。「大陸から、五穀の種と道具をもって大勢舟でやって来る。そして、日本の近くで難破する。そうすれば散り散りになって上陸するから、上陸地点はあちこちになる」と。なるほど、海に囲まれた日本では、どこに上陸しても不思議はない。いい説明だなあと感心しました。
http://www.mizu.gr.jp/kenkyu/toyama2/t_rep2_2.html

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民俗学者である二名の女性。
語らい合っているのは中国にあるウラシマ伝説の原型の話である。

分水珠(ぶんすいしゅ)とは水を分けることができる玉である。


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