■さざれ石(細石=こまかな石)
○古今和歌集の巻第七賀歌   題しらず 読人しらず
  わが君は千代にやちよに さざれ石の巌となりて苔のむすまで

○「さざれ石」
 成務天皇の三十八人目(の子供)は、「姫君にて..数も知らぬほどの皇子
 たちの御末なればとて、その御名をさざれ石の宮とぞ申しける。」
 さざれ石の宮は信仰に厚く、ある時、天からの使いが差し出した壷には、

 君が代は千代に八千代に
  さざれ石の巌となりて
       苔のむすまで

 『古今和歌集』編纂は、延喜5年(905年)以降。編者、紀貫之など



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



「さざれ石」の大元をたどってゆくと滋賀県と岐阜県の県境・伊吹山に辿り着く。
岡神社→http://www.biwa.ne.jp/~tam/sansaku/report/28%20sazareishi/sazareishi.html
「さざれ石(細石、さざれいし)は、もともと小さな石の意味であるが、長い年月をかけて小石の欠片の隙間を炭酸カルシウム(CaCO3)や水酸化鉄が埋めることによって、1つの大きな岩の塊に変化したものも指す。学術的には「石灰質角礫岩」などとよばれる。石灰岩が雨水で溶解して生じた、粘着力の強い乳状液が少しずつ小石を凝結していき、石灰質の作用によってコンクリート状に固まってできる。

日本では滋賀県・岐阜県境の伊吹山が主要産地である。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%95%E3%81%96%E3%82%8C%E7%9F%B3



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



■近江の民話にある惟喬(これたか)親王と木地師とさざれ石の献上
 この民話にさざれ石に関するキーワードのすべてが揃っている。

「岐阜県揖斐郡春日村に、その「ざされ石」があります。「ざされ石」は学名「石灰質角れき岩」と言い、石灰石が長い年月の間に雨水で溶解し、その粘着力の強い乳状液が、次第に小石を凝結させ、だんだん巨岩となり、河川の浸食により地表に露出、苔むしたものです。
 「ざされ石」は、岐阜県の天然記念物に指定されており、皇居・伊勢神宮・明治神宮などに奉納されています。

 春日村には、「君が代」にまつわる伝説があります。
 平安時代の初め、文徳天皇の第一皇子に、惟喬親王(これたかしんのう)がおられました。天皇は親王を皇太子に推すつもりでした。しかし、事情により親王は、年下の第四皇子(後の清和天皇)に皇子の座を先んじられることとなりました。悲運の親王は一時、近江の小椋郷に隠れ住みました。やがて親王はその地で、お椀や鉢などを作る木地師(きじし)の祖神とされるようになったのです。

 ある時、親王に仕えていた木地師の一人が、小椋郷の君ヶ畑から,良材を求めて、春日の地へやってきました。そして、君ヶ畑に向かう途中、川辺でめずらしい石を目にしたのです。それは「さざれ石」の巨岩でした。男は心を打たれ、見たまま感じたま歌を詠みました。

わが君は 千代に八千代に さざれ石の 
        巌となりて 苔のむすまで

 この歌は都で評判を呼び、ついには『古今集』に採録されることとなりました。男は身分が低かったため、「よみ人知らず」の歌とされたのです。その後、男は朝廷から歌のうまさを認められ、石にちなんで「藤原朝臣石位左衛門(ふじわらあそんいしいざえもん」という名前を賜りました。この歌が民衆に歌い継がれる間に、「君が代は」と歌われるようになっていったのです。 」
http://www.yoshimura-zouen.co.jp/isigumi/sazareisi.html

御伽草子集  (日本古典文学全集36) 小学館   昭和49年9月30日初版
古今和歌集  (ワイド版岩波文庫49) 岩波書店  1991年6月26日発行
伊吹町の民話 伊吹山麓口承文芸学術調査団編集 昭和58年6月30日発行



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



さて、それでは惟喬親王とは?
木地師とは?
次回に続く。