島根県にはアイヌ語のような地名がいくつかある。
明治時代には日本地名の多くはアイヌ語派生説が主流を占めたが、今は、アイヌは陸封縄文人ということで一致。するとそれらのアイヌ的地名の大本は?

アイヌが縄文の特殊化した一派であるとするならば、ツングース系やらの縄文人も似た言語を使っていてもおかしくない。出雲地方のそうした地名をいまだに、アイヌに求める人は多いが、それはどちらかといえば北方系縄文人に求めるほうが、移動の範囲を見たとき整合になろう。

縄文人は、大きくは気候によって南下したが、その範囲は中期頃まではせいぜい北陸までにとどまる。それはアメリカ式石鏃が語っている。また彼らがマンモス・ハンターで、ナウマン象を追って瀬戸内海まで南下したという仮説は、ツングースなどの北方系の源流人種が象やマンモスよりもオオツノヘラジカを初として採集していたという発掘事実から、縄文人もまたマンモス・ハンターというよりはディア・ハンターだったとするのが主流となっている。つまり温暖化によえう縄文時代の南下はせいぜい新潟までとなる。

小さくは、歴史的政治的流れがある。
つまり望む交易品や最新文化、鉄器などを求めて南下した形跡だ。そのとっかかりは、逆にプレ隼人の交易の北上が縄文晩期に存在したから、そこから南下して、北部九州へ入り、装飾古墳などもそうだが、呪模様なども持ち帰られると見たい。

ウップルイはアイヌ地名ではなく縄文地名。

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