■住吉大社の使いは兎
「ウサギは住吉さんのお使いだとか。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
住吉大社の御鎮座が、神功皇后摂政11年辛卯の年、卯月の上の卯日であると
伝えられていて、卯の花は住吉大社に最も関係の深い花となっています。」
http://blogs.dion.ne.jp/angel_garden/archives/7195751.html

■地主(じしゅ)神社(京都市東山区清水1丁目317)
大国主命と八上姫(やかみひめ)の結婚を予言した因幡の白ウサギを祀っている縁結びの神社有名な神社。


画像は高知市在住Tさんから贈呈されたもの

■調(つき)神社(埼玉県)
うさぎが月へ帰る供養という意味で1856年(安政6年)に建立されたようです。うさぎがあちこちに隠れてます。
これは単なる語呂合わせか?(Kawakatu)

■三尾神社(滋賀県)
三尾明神(伊弉諾尊=イザナギノミコト)が卯の年、卯の月、卯の日、卯の刻に、卯の方角から現れたという言い伝えにより昔からウサギが神様のお使いとされている。兎年の人の守護神社。
☆謂れ
「地主神イザナギノミコトが常に3色(赤、白、黒)の腰帯をつけており、それが3つの尾のように見えたことから「三尾明神」という名が付いたそうです。その後その帯がそれぞれ赤尾神・白尾神・黒尾神となり、その出現が卯の年、卯の月、卯の日、卯の刻、卯の方からだったことから卯年生まれの守護神社になったそう。
ちなみに「イザナギノミコト(男)」は「イザナミノミコト(女)」と共にこの世に現われた最初の夫婦神だそうで
縁結びの神様としても霊験あらたかなのだそうだ」
謂れ部分の引用サイトhttp://www5.plala.or.jp/kurousa/kyoto0303.htm

解説
近江の琵琶湖東南部は水脈に関わる三尾氏の居住地である。その「みお」から後世に考え出されたのがイザナギの三本の帯とそこから生まれた卯年に関わる神。つまりこれも近世民間信仰が生み出した洒落。もともと兎と三尾神は無関係だろう(Kawakatu)

■宇治神社(宇治市宇治山田)…道に迷った古代の皇子の前に現れた一羽のウサギが、振り返りながら先導したことから「菟道(うじ)」と呼ばれ「宇治」の由来になったと伝わる「見返りウサギ」像が安置されている。また、手水舎には龍の代わりに水を吐くウサギが居ます。

■白兎神社(鳥取県)
因幡の白兎を祀っている神社。皮膚病、やけどなどにきく神社として知られている。

■三室戸寺(宇治市菟道滋賀谷)
こま犬の代わりに「狛ウサギ」が昇運のシンボルとして鎮座

■その他 
「秋葉原にも「アキバのうさぎ神社」といううさみみ巫女が居たアミューズメントショップがありましたが、2010年3月22日うさぎ年を迎える前に閉鎖」
地主神社からその他までの本文参考サイト http://9211.teacup.com/44mates/bbs/2771

■東天王岡崎神社 京都市左京区岡崎東天王町51番地
「桓武天皇、延暦十三年(794)の平安京遷都の際、勅願により王城鎮護のため平安京の四方に建立された社の一つで、都の東に鎮座することから東天王と称し方除け・厄除けの神として信仰されている。清和天皇、貞観十一年(869)に改めて社殿を造営し、播州広峰(兵庫県姫路市北方)から御祭神を迎えた。(諸社根元記)平家物語では、当社を官幣四十一所の内とする。後に後醍醐天皇が御再建。以来室町時代には将軍足利義政等により修造があり、幕府との関係も深い。とりわけ、御祭神が八柱の御子神をもうけられ、治承二年(1178)には中宮の安産祈願の幣帛を賜ったことにより、子授け・安産の神として昔より信仰されている。また往時、都の卯(東)の方位にある付近一帯が野兎の生息地で、うさぎが氏神様の神使いとされる。境内の御手水の所には月の力を満たしたうさぎ像があり、水をかけてお腹を擦ると祈願が叶うと信仰を集めている。そして本殿前には狛うさぎがあり、うさぎが多産であることから子授け安産祈願の方を始め参拝者の人気を集めている。境内には全国にも珍しい龍神様と呼ばれる雨ノ社が鎮座。元は如意ヶ岳(大文字山)の山中にあった祠で、雨乞いの神として崇敬されている。」
http://www.kyoto-16sha.jp/j_okazaki.html
http://hikaru.blogzine.jp/dress_you_up/2010/12/post_49a7.html

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

●こうしてみると兎を祭る由来はふたつに分かれているようだ。

1 因幡の白兎からオホクニヌシと合祀される
2 地主神イザナギ神の赤い帯から卯年卯月卯日生まれの神が生まれたから

●その他京都の岡崎神社では兎が多かったからという素直な意見。つまり野兎が住処としていた野原を切り開き神社を建てたので、兎へのわびの気持ち=祟らぬように祀ったということだろう。この場合も野うさぎはそのあたりの地主神=先住者として扱われているわけで、つまり地主の神だから、2とほぼ同根の発想だ。

●住吉大社の神功皇后にもウサギ・卯年がまつわるのは、おそらくであるが、「うさぎ=新羅」神信心が、いつの時代からか民間信仰として取り入れられたか?ということになるとうさぎ=新羅=外来神となり、出雲神話の因幡白兎もまた海を渡るもの、すなわち海上渡来者と捉えられそうである。

海上の波頭のことを漁師たちが「うさぎ」と見たことも鳥取県の白兎海岸の地名と関係したかも知れぬ。その心はつまり外から来るモノとして共通項になろう。

●兎は外来渡航者。
外来にはもちろん新羅や大陸やそのほか半島からの渡来の意味もあるが、海人族=倭人としての玄界灘・南海からの海人族・白水郎(あま)たちの来訪も含まれよう。
すれらすべてが「依り来る神」ではある。

●イザナギの腰帯の話はどこから出てくるのだろうか?
イザナギ神は「三貴子にそれぞれ高天原・夜・海原の統治を委任した。
しかし、スサノヲが「妣国根之堅州国」へ行きたいと言って泣き止まないためスサノヲを追放し、古事記によれば淡海(近江)の多賀(滋賀県犬上郡多賀町)、または淡道(淡路島、淡路市)の多賀に、日本書紀によれば淡道(淡路島、淡路市)の多賀に篭ったとされる。現在の日本のことを浦安と名付けたと日本書紀に記されている。(なお、現在の千葉県浦安市はこれから命名された)」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%B6%E3%83%8A%E3%82%AE

Wiki「イザナギ」のこの解説から、イザナギが近江の多賀、あるいは淡路島のどちらかに篭ったことがわかるが、近江と淡路島では名前こそ似てはいるが場所が全然違う。三尾氏が淡路島から来たのか、あるいは淡海地名が淡路島からできたのか、そこは定かではない。するとこれもまた洒落か?地名通り「あいまい」な謂われではある。これではまるで古代には淡路島と滋賀は同じ国だったかのように見える。確かに琵琶湖と淡路島は形が似てはいる。太古にそういう地殻変動があったとしても、そのような伝承がいつから誰が言い出したかは定かではない。ただ、いずれも海水・淡水の海人族の本拠地だったことは確かだから、これも神話の持つ海人族伝承のひとつと考えることはできる。

さらにそのあとにWikiはなぜか千葉県浦安の地名説話を続けて紹介しているが、このふたつにはまったく脈絡がない。つながりはあったのか?それを書く必要があるだろう。日本列島が「うらやす」と呼ばれていた?すると今や日本の本源はアメリカのディズニーにぶんどられたかに見えるが?



                 画像は当家に昔からいるうさぎさん。


●うさぎとしらぎ
いずれも「ぎ」が付いている。
「ぎ」とは何か?
動物名の最後に付くことの多い「ぎ」は「欺」?
「しらぎ」は半島発音では「しるら」「しんら」であって「ぎ」が付くのは日本でだけ。
本家半島の学者には「しらぎ」発音は新羅を日本が馬鹿にした表現で、卑音であると憤慨する。
日本語の動物名に付く「ぎ」例は、ほかにサギ・タヌキなどがあるが、それらが卑しいからとは一概には言えない。可愛らしさから出た可能性もあろう。新羅を「しらぎ」と呼ぶことがそのまま卑しいと受け取るのは、百済を「くだら」ないと思い込むようなものであるが、「くだら」には「くんなら=大きな国」という朝鮮語から来た説が強烈に存在する。中世あたりの文献には●●儀・・・という「というもの」という意味の「儀」が付くことが多く見られる。おそらく未知のという意味だろう。詳細は明確ではない。

クリッククリクリ!↓

↓       ↓          ↓        ↓
With2ブログランキングへ
blogramランキング参加中!