◆山上憶良「貧窮問答歌」(万葉集巻五) 原文全文


 貧 窮 問 答 歌 一 首 并短歌  山 上 憶 良

風雑 雨布流欲乃 雨雑 雪布流欲波 為部母奈久 寒之安礼婆 堅塩

乎 取都豆之呂比 糟湯酒 宇知須々呂比弖 之叵夫可比 鼻毘之毘之

尓 志可登阿良農 比宜可伎撫而 安礼乎於伎弖 人者安良自等 富己

呂倍騰 寒之安礼婆 麻被 引可賀布利 布可多衣 安里能許等其等 

伎曾倍騰毛 寒夜須良乎 和礼欲利母 貧人乃 父母波 飢寒良牟 妻

子等波 乞弖泣良牟 此時者 伊可尓之都々可 汝代者和多流 天地者

比呂之等伊倍杼 安我多米波 狭也奈里奴流 日月波 安可之等伊倍騰

安我多米波 照哉多麻波奴 人皆可 吾耳也之可流 和久良婆尓 比等

々波安流乎 比等奈美尓 安礼母作乎 綿毛奈伎 布可多衣乃 美留乃

其等 和々氣佐我礼流 可々布能尾 肩尓打懸 布勢伊保能 麻宜伊保

乃内尓 直土尓 藁解敷而 父母波 枕乃可多尓 妻子等母波 足乃方

尓 囲居而 憂吟 可麻度柔播 火気布伎多弖受 許之伎尓波 久毛能

須可伎弖 飯炊 事毛和須礼提 奴延鳥乃 能杼与比居尓 伊等乃伎提

短物乎 端伎流等 云之如 楚取 五十戸良我許恵波 寝屋度麻弖 来

立呼比奴 可久婆可里 須部奈伎物能可 世間乃道


世間乎 宇之等夜佐之等 於母倍杼母 飛立可祢都 鳥尓之安良祢婆


山上憶良頓首謹上



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●読み下し
貧窮問答歌(ひんぐ もんどう か)


(問歌)
 風雑(ま)じり 雨降る夜の雨雑じり 雪降る夜は術(すべ)もなく 寒くしあれば 堅塩(かたしお)取りつづしろひ 糟湯酒 うち啜(すす)ろひて 咳(しは)ぶかひ 鼻びしびしに しかとあらぬ 髭かきなでて 我除(われお)きて 人はあらじと ほころへど 寒くしあれば 麻襖(あさぶすま) 引きかがふり 布肩着ぬ 有りのことごと きそへども 寒き夜すらを 我よりも 貧しき人の 父母は 飢え寒(こご)ゆらむ 妻子(めこ)どもは 乞ふ乞ふ泣くらむ このときは 如何にしつつか ながよはわたる

(答歌)
 天地(あめつち)は 広しといへど 吾がためは 狭(さ)くやなりぬる 日月は 明(あか)しといへど 吾がためは 照りや給はぬ 人皆か 吾のみやしかる わくらばに 人とはあるを 人並に 吾れもなれるを 綿も無き 布肩衣の 海松(みる)のごと わわけさがれる かかふのみ 肩に打ち掛け ふせいおの まげいおの内に 直土(ひたつち)に 藁(わら)解き敷きて 父母は 枕の方に 妻子どもは足の方に 囲みいて 憂へさまよひ 竈(かまど)には 火気(ほけ)吹きたてず 甑(こしき)には 蜘蛛(くも)の巣かきて 飯炊(いひかし)く 事も忘れて ぬえ鳥の のどよひ居るに いとのきて 短き物を 端切ると 言えるが如く しもととる 里長(さとおさ)が声は 寝屋戸(ねやど)まで 来立ち呼ばひぬ かくばかり 術なきものか 世の中の道 

世間(よのなか)を 憂しとやさしと思へども 飛び立ちかねつ 鳥にしあらねば

山上憶良頓首謹上。




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●現代語訳

「ひんぐもんどうか」
風まじりに雨が降り、その雨にまじって雪も降る、そんな夜はどうしようもなく寒いから、堅塩(粗末な塩)を少しずつなめては糟湯酒(かすゆざけ)をすすり、咳をしては鼻水をすすり上げる。たいして生えているわけでもない髭を撫でて、自分より優れた人はおるまいと自惚れているが、寒いから麻でつくった夜具をひっかぶり、麻布の半袖をありったけ重ね着をしても、それでも寒い。こんな寒い夜には、私よりももっと貧しい人の親は飢えてこごえ、その妻子は力のない声で泣くことになろうが、こういう時には、どうやってお前は生計を立てていくのか。

 天地は広いというけれど,私には狭いものだ。太陽や月は明るいというけれど,私のためには照らしてはくれないものだ。他の人もみなそうなんだろうか。私だけなのだろうか。人として生まれ,人並みに働いているのに,綿も入っていない海藻のようにぼろぼろになった衣を肩にかけて,つぶれかかった家,曲がった家の中には,地面にわらをしいて,父母は枕の方に,妻子は足の方に,私を囲むようにして嘆き悲しんでいる。かまどには火のけがなく,米をにる器にはクモの巣がはってしまい,飯を炊くことも忘れてしまったようだ。ぬえ鳥の様にかぼそい声を出していると,短いもののはしを切るとでも言うように,鞭を持った里長の声が寝床にまで聞こえる。こんなにもどうしようもないものなのか,世の中というものは。この世の中はつらく,身もやせるように耐えられないと思うけれど,鳥ではないから,飛んで行ってしまうこともできない。



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          「是害房絵巻」 南北朝時代 泉屋博物館 重要文化財





※「ひんきゅう」か「ひんぐ」か
学校では生徒の理解力を見縊って漢語音訓はまだ難しく、混乱すると受験に差し障ると、勝手に判断し現代音訓の「ひんきゅう」と教える。【「ひんぐ」「びんぐう」もんどうのうた】などと呉音・和訓交じりで読むほうが時代的にはよいのかも知れない。こういうことはほかにも沢山事例があって、「こじき」は「ふることのふみ」、そのほか原典が【土左日記】を使うのに、わざわざ「土佐」と現代漢字表記で覚えさせたりするのは、使い分けの混乱を招くという、大人たちの子供をあなどった勝手な判断からである。
あるいは奈良の法隆寺や唐招提寺の柱にヘレニズム文化のエンタシスが反映などの作り話なども同じである。聖徳太子の話などはもう神話の一種で迷信ともいえるし、まあ実に【奇妙な戦後の大本営=教育委員会とも言う・・・発表】の常識のウソの多いこと・・・。


もっとも何種類も教え込むと、確かに子供たちの中では咀嚼不可能になるものは多いのも事実で、受験のような【単純作業の場合、答えがひとつのほうがいい】ケースなので、しかも成長過渡期の子供の場合、できるだけ読みはひとつにまとめて教えてあげた方が確かに双方ともに「教えやすく・覚えやすい」のは事実。

問題は受験のような【単細胞の記憶上手選別のためにある「行事・催事」】の終わったそのあとで、そういうことをもう一度正式に学び、教師によってこびりつけられたウソの知識を修正する機会は、一般にもう皆無になるということだろう。つまりわれわれが知ったつもりでいる歴史のたったひとつであるはずの答え=常識=定説のほとんどは、受験のために淘汰してある用意された解答のひとつに過ぎないことを、特に【単細胞な記憶上手な点取り屋(別名私立理系などという事もある)】のためにある受験戦争下では知らなくてよい、知らないほうが受験に成功するという・・・【処世術史学】が学校教育の歴史の時間だっていうことが、ここで筆者は一番いいたいわけです。)

もう一度言いますが、その【単細胞な記憶上手な点取り屋】というのが、だいたい大学では教授になっています。いや、それしか道がない、応用力のない人がそもそも先生や公務員になるのではないかと。となりのおやじが立ち話で言っておりました。実にけしからん人だと思いますよ。ははは。

ランキングサイトの学問とか科学カテゴリーを見てください。そういう人のブログって絶対、自分が「大学教授だあ」「助教授だあ」!!って書きたがりますよ。それが権威であると思うらしいのです^^;
ところが書いてあることはまあ・・・・結果、教授なんてこの程度のことしか書けない失語症患者なのだと、みんなに教えているようなものではないか?と見えます。本当に役に立つ人なら先生なんかにならずに、企業や国に役に立つ科学者、実践科学研究者、臨床医になってますよね。ブログ書く暇などないはずの重要人物にねえ。

その大先生がたのそうそうたる科学ブログの中に、ぼくなどは唯一在野の傍居の人間で、しかも書いているのは科学じゃなくて人文系の古代史・民俗学・・・面白いことじゃありませんか、あなた。しかしそろそろあきてきたので、歴史に戻りたい。けれどカテゴリーがないんだな、古代史とか民俗考古学と通史とか、、まあ「古代学」カテゴリーができたらすぐにも移動したいですね。だって今の科学ランキングだと、INがまったくないんですから。科学者は歴史学や文学や民俗学や社会科学などは科学じゃないと思っているらしいのです。「科学」というコトバは「分科学問」だということを知らないようです。サイエンスだと思い込んでいるらしい。


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