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大分県三重町の百枝鉄橋も濁流に流された・・・


●『リグ・ヴェーダ』注釈書「プラーフマナ文献」
「太初において、宇宙は実に水であった。水波のみであった。水は欲した。われいかにして繁殖し得(う)るかと。水は努力し、苦行して熱力を発した。そのとき黄金の卵(ヒラニアガルヴァ)が生まれた。そのとき歳はまだ生まれていなかった。一年の間、この黄金の卵は浮遊していた」

黄金の卵からは造物主(大地母・創造主)プ<Pu>ラジャー・パティ(ブラジャーじゃないよ)が生まれ、全世界を主宰した。
仏教でもこれは取り入れられており、プラジャー・パティは仏陀の叔母の名前になっている。
あるいはこの神の名は犬祖伝承では白い犬の名前でもある。
これは大地母である。ゆえに豊穣を生み出す女神であり、聖人の「おば」であるところは世界共通性がある。
日本で古代の天皇の叔母が妻になるという書き方も、まったくこれと同じで、豊穣の行為であるSEXの手ほどきをするのは、常に母親の妹でこれこそが大地母なのである。
「生み出すもの」=母・義母・姥
だから記紀が書くような天皇の近親結婚というのはあくまでも観念的儀式なのである。韓国人は揶揄を込めて、「なぜ日本の王家は近親結婚したのか?」と聞いてくることがよくあるとは思うが、そのときはこう答えればよい。


●「宇宙は水だった」の共通性。
「古代ギリシャのミレトスのタレスは、「万物は水である」と主張しました。

タレス本人の書いたものは残っておらず、アリストテレスが『形而上学』に「哲学の開祖タレスは、水が始原アルケーであるといっている」と記したのです。

ソクラテス以前の自然哲学者であるタレスは、世界を構成する原理的な物質は水であるという宇宙論を持っていたようです。そして、このタレスをアリストテレスほどの大物が「哲学の開祖」と認めている点は重要です。アリストテレスの師であるプラトンも、水を「真実性を立証する液体」と表現しています。そして、このタレスの水の宇宙論を批判的に受け継ぐことで、ギリシャの科学は発展しました。

しかし、実際はタレスが水の宇宙論を最初に提唱したのではありません。タレスよりも2、3世紀前のホメロスが有名な『イリアス』の中に「万物の生みの親であるオケアノス」と書いているのです。オケアノスとは「大洋」という意味で、後に英語ではオーシャンと呼ばれます。ホメロスは、世界が大洋、つまり水から生まれたと語っているのです。

また、ユダヤ人も水から天地が創造されたと考えていたふしがあります。

『旧約聖書』の「創世記」の冒頭には、「はじめに神は天と地を創造された」とはじまり、「地は形なく、むなしく、やみが淵のおもてにあり、神の霊が水のおもてをおおっていた」と続きます。「淵」というのは深淵で、深い水のことです。そして、2日目に神は「水の間に大空があって、水と水とを分けよ」と言いました。

水を2つに分けることによって、天と地をつくったわけです。

タレスの宇宙論を思わせますが、この宇宙論もユダヤ人の創作ではありません。

その原形は、紀元前2000年紀のバビロニアの神話「エヌマ・エリシュ」の宇宙論にありました。この神話によれば、英雄神マルドゥクが水の女神であるティアマトを2つに切り裂き、それによって天と地を張りめぐらしたといいます。

「創世記」で「淵」と訳されたテフヌトは、「エヌマ・エリシュ」の水の女神ティアマトと語源を同じくします。おそらくこの水の神の殺戮による天地創造神話の起源はシュメール時代までさかのぼるとされます。紀元前3000年頃からメソポタミアで語られていた神話が、バビロニアに伝わり、ユダヤ人がバビロンに捕囚されていた前6世紀頃にバビロニアの世界創造の神話と遭遇したと推測されています。

水の宇宙論は、シュメール・バビロニア、ユダヤ、ギリシャに限らず、インドや中国にまで及びます。インドにおいては、アーリア人の聖典である『リグ・ヴェーダ』の「宇宙開闢の歌」の中に「原初は水と暗黒であった」という宇宙の生成論が見られます。

また、『ヴェーダ』の註釈である「プラーフマナ文献」の中にも、「太初において、宇宙は実に水であった」という水の宇宙論があります。

古代の中国でも水の宇宙論が唱えられました。

前漢の『淮南子』天文訓では、「気」から天地・万物が生まれたとありますが、古くは、水を始原とする宇宙論でしたし、戦国時代に成立した『書経』には「一は水と為す。二は火と為す。三は木と為す。四は金と為す。五は土と為す」という五行説が紹介されていますが、これも水にはじまる生成論でした。

『老子』や『太一生水』といった道家の書でも、水の始原性を強調しています。

この他にも、水から世界がはじまるという神話はアメリカのマヤやオーストラリアのアボリジニなど新大陸をはじめ、広く世界中に求められます。」
http://d.hatena.ne.jp/shins2m/20120715/1342332035

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熊野の那智神社の神も万物生成神である夫須美神である。
那智神社は那智の滝からあふれ出す水をご神体としている。
これも生命の根源が水で、そこから火祭りは始まる、つまり水が火を生み出すリグ・ベーダとそっくり同じなのである。
日本神話でも、火の神、水の神が宇宙神から生まれる。



●『リグ・ヴェーダ』「インドラ賛歌」
「婦女の分娩におけるごとく、山々は胎内の水を噴出せしめたり。
車のごとく岩石は、ともども躍りいでたり。
汝は奔流を満足せしめ、波浪をほとばしらしめ、とり囲まれたし河川を解放せり。インドラよ」

これは弘法大師著作全集にある、
「加とは諸仏の護念なり。持とは我が自行なり。また加持とはたとえば父の精をもって母の隠に入るる時、母の胎蔵よく授持して種子を生長するがごとし。諸仏悲願力をもって光を放って衆生を加被(かひ)したもう。これを諸仏護念という」
『弘法大師著作全集』第二巻
という記述とまったく矛盾しない、生命と古代信仰の根源を述べている。

大地母はときに勇壮な男根=父性が変化・習合するようになる。
根源神・宇宙神はときとして雌雄一体である。
滝はまさにそのとき男根からほとばしる生命の種ともなって海に流れ出る。
熊野ではときとして、こうした荒れ狂うほどの土石流は、必要悪=スサノヲなのである。
それが海を豊穣にし、そこにヒラニア・ガルヴァは誕生するのだ。

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今年八月の豪雨で惨状と化した那智の滝。
画像提供ダダさん。


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こちらは同じ八月の北部九州集中豪雨であめ細工のように曲がってしまった線路。
大分県竹田市、豊肥線宮地−波野駅間の坂の上トンネル出口付近の画像
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このように神とは人智の及ばぬ宇宙の根源であり、水であり、自然の摂理なのである。
それは時として荒れ狂い人を食う魔物となるモノなのである。
手がつけられない荒神とはこれである。


人の信仰とは、自然の下で無力なモノでしかない。あなたの信じる空想上の神などは自然神の下では、ただの妄想でしかないたわいない存在である。

あなたの信仰などは形骸化した盲信神でしかない・・・のかもしれないよ。


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