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◆しなの地名由来
「「科野」の語源については諸説あるが、江戸時代の国学者である谷川士清は『日本書紀通證』に「科の木この国に出ず」と記し、賀茂真淵の『冠辞考』にも「(一説では)ここ科野という国の名も、この木より出たるなり。」と記しており、「科の木」に由来する説が古くから有力とされている。また賀茂真淵は「名義は山国にて級坂(しなさか)のある故の名なり」とも記しており、山国の地形から「段差」を意味する古語である「科」や「級」に由来する説を残している。他に「シナとは鉄に関連する言葉」とする説もある。風神(シナトヘノミコト)説もある。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BF%A1%E6%BF%83%E5%9B%BD

Wikiが言う風神(シナトヘノミコト)とは正確には、延喜式が言うところの風が吹くところを意味する「科戸(しなと)」の神のことである。シナトヘノカミが正しい。ここで問題にするのは科野地名由来ではいつも末席扱いの、この「しなとべのかみ・級長戸辺神」である。『日本書紀』ではシナツヒコとなっているが戸辺とは一般に「とめ」で女神。
自然神はたいがいの場合わがままに起こる災害を指すので大地を意味する神は女神である。「戸畔」「戸売」「登米」などとも。名草戸畔も和歌山にいるので、これは海人系の族長。「とべ」は村長。族長。酋長なども指す。

「しなの」を「風の強い国=科戸辺神の国」としたのは吉田東伍(1907年『大日本地名辞典』)である。
これをKawakatu的な解釈を加えて懇切丁寧に解説しなおしてみたい。

●しなの地名、風神由来説
これまでも何度も書いたことであるが、持統五年、持統女帝は諏訪大社に風祝(かぜのはふり)を送り込む。前年までに台風が多かったからである。同じ頃伊勢神宮も成立しているが、ここに「風の宮」を置くほど持統は風に神経質になっていた。その後も外宮ができてもやはり風の宮を置いたほどである。諏訪大社では風の神といえば下社祭神・タケミナカタのことである。そこでこれを抑えることが全国に吹き荒れる台風の元を絶つことになると考え、阿蘇氏系風祝と藤原氏の雷神タケミカヅチによって風神の監視をさせたのである。これは同時にまつろわぬ諏訪先住氏族の平定と同化をも意味している。
タケミナカタを奉じる安曇系海人族の、藤原摂政体勢による同和策である。これが出雲神話正当の意味づけに使われたことになる。

吉田に寄れば「し」=風で、「あら-し」「こがら-し」の「し」のこと。
「な」は儺であろうと筆者は考える。風を儺す。風を治める。祝す。つまり風祝そのものを指すか?
薙鎌神事も風切り風習である。科野が風の強いところというのは往古から民間にも知られていたようである。

関連・・・太子町磯長(しなが)。由来不明。旧表記科長なので、しなのと同じ海人族地名か、あるいは風の強い山にある叡福寺地名>?


●シナノキ由来説
シナノキとは日本中に自生するボダイジュの仲間。シナとはアイヌ語の縛るや結ぶに求める説もあるが、「しなう」「しなびた」などの言葉から総合的に考えると、シナとは「しなる」「しなう」「しなびる」などの柔らかく弾力性のある木ということになる。樹皮は、帯灰褐色で縦に裂ける。内皮は、靱皮繊維が強く、織ってシナ布を作る。水に強いので、酒・醤油のこし布、船のロープなどに使われた。最も知られているのはアイスクリームの木製匙。弾力性があってよくしなう特性がある。船そのものには使うかどうかは知らない。おそらくしなうので向くまい。安曇族には綱として命=ニベシニの綱である。
西欧では菩提樹ゆえに死のにおいが感じられる。リンデンバウムはドイツ語。

その撓う樹木が中部地方北部は特に多いようで、その地域が科野に集中し、それぞれ蓼科・倉科・更科・埴科・穂科などの地名がここに集まって全体を「シナノキの多い地域=科野」となったのであろう。この縄文的地名が先にあって先住者がいた、そこへ科の戸辺という安曇の女族長がきたのだろう。諏訪湖を日本の中央の風穴としてタケミナカタを祭り、さらにそれを管理させるために=中央に教化させるために風封じの大義名分で藤原氏と阿蘇氏が中央の祭祀様式や式目を押し付けたのが今の諏訪大社上社であろう。



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