人肉食風俗について長々と書いてきた。真夏の暑さに少しでも恐怖の風をと思い書き始めたが、少々饒舌になりすぎたようである。そろそろ結語にしたい。


神はそもそも食物に、これは食べてよい、これは食べてはならないといった差別を与えなかった。ヒトが猿人から原人、そして新人ホモサピエンスと進化していく過程のほとんどの時間を、サバイバルするためにヒトはヒトに食べられることは許容されてきた。小ざかしいヒトの英知の中から死生観とその亜種である宗教観が生まれでたことで、ヒトはヒトを食べるのをやめた。その背景には農業と牧畜の安定という大前提が必要であった。しかし、それは裏返せば、農業が気候変動によって崩壊した場合には、また簡単に復活する宿命を持っている。私たちはまたいつどこで人肉食に命運を託すことになるやも知れぬ。しかし生贄だけは復活しないで欲しいものである。
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コメント

 コメント一覧 (1)

    • 1. dnpch
    • 2015年06月01日 15:26
    • 最近、一個の筋肉細胞を培養増殖させてステーキにしよう、みたい
      な研究がありますが、そういうのがこの手の問題や矛盾を過去の
      ものにしていくかもしれません。その方法だと、例えば死肉や、
      自分自身の筋肉細胞からでも食物を製造できるので、食肉と
      殺生が切れることになる。植物はまだしばらく開放してもらえない
      でしょうが・・
    • 0

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