話が横に行ってしまった。
この記事のテーマは差別ではなく、あくまでも「聖餐」である。





●聖書『創世記』アブラハム
二十二章
 「これらの事の後、神はアブラハムを試みて彼に言われた、「アブラハムよ」。彼は言った、「ここにおります」。神は言われた、「あなたの子、あなたの愛するひとり子イサクを連れてモリヤの地に行き、わたしが示す山で彼を燔祭としてささげなさい」。
 アブラハムは朝早く起きて、ろばにくらを置き、ふたりの若者と、その子イサクとを連れ、また燔祭のたきぎを割り、立って神が示された所に出かけた。
 三日目に、アブラハムは目をあげて、はるかにその場所を見た。そこでアブラハムは若者たちに言った、「あなたがたは、ろばと一緒にここにいなさい。わたしとわらべは向こうへ行って礼拝し、そののち、あなたがたの所に帰ってきます」。
 アブラハムは燔祭のたきぎを取って、その子イサクに負わせ、手に火と刃物とを執って、ふたり一緒に行った。やがてイサクは父アブラハムに言った、「父よ」。彼は答えた、「子よ、わたしはここにいます」。イサクは言った、「火とたきぎとはありますが、燔祭の小羊はどこにありますか」。アブラハムは言った、「子よ、神みずから燔祭の小羊を備えてくださるであろう」。こうしてふたりは一緒に行った。彼らが神の示された場所にきたとき、アブラハムはそこに祭壇を築き、たきぎを並べ、その子イサクを縛って祭壇のたきぎの上に載せた。そしてアブラハムが手を差し伸べ、刃物を執ってその子を殺そうとした時、主の使が天から彼を呼んで言った、「アブラハムよ、アブラハムよ」。」


●「燔祭(はんさい・ばんさい)」とは何か?
イスラエル民族から人身御供の習慣を絶つために『聖書』が書いたイサクの生贄儀式。この習慣はカナン地方ではモレク崇拝やバアル崇拝などで一般的に行われていたという。

イサクの前の世代まで、イスラエルの民は大自然の神に、盲目的に生贄を捧げてきた。それはわが子だったのである。それを「創世記」はやめさせることでイスラエル全土にあった古いユダヤの考えを否定したことになっている。そして代わりに神は子羊を用意する。子羊はここでようやく人間の身代わりの御供として登場する。

●バアル祭祀
ヨシュア王は人々の人肉饗宴を中止させるが、王が詔を出さねばそれは止まらないほど普通に行われていたのである。

先史時代の考古学からは、「ヒトとはヒトを食うサルである」という激烈な表現もあった。
猿人が森から出て、二本足で立ったその瞬間から、ヒトというサルは、木の実だけでは充足せずに狩猟を開始した。その狩猟から得られる動物淡白がわれら人類の脳の発達に貢献したからこそ、人類は生き残った、というわけである。
しかもわれわれは蟷螂のように共食いをして生き延びた。
その何万年の習慣が火と科学を生み出すのである。
だから、そもそもヒトのもうした長い生き残りのための習慣は何万年も続き、むしろ人が人を喰わなくなった歴史はつい最近はじまるのである。

人身御供はもともと小さな村落内での生贄行為であり、縄文から続く長い歴史的な祭りである。だから当初の御供はあくまでも村落内の子供が対象であった。それが女になり、「うなり」「おなり」といったお櫃を頭に置いて神への食事を運ぶ形式に変化する。最初はリーダーの子供が殺され、神に捧げられたのは、その子が村長という強い生命力を持ちえていて、その子の魂が神をなぐさめ、祖霊のよりましとなって地上へ回帰し、新たな生命という繁栄をもたらすと信じられたためである。
『聖書』も『山海経』も『風土記』も、洋の東西を問わず、そうした儀式のあることを記録してきた。
その神は常に荒ぶる神であり、ときに猩猩や大蛇や妖怪の姿をしている。それはつまり中央の観念ではそれが、古い、旧態依然の信仰の神だったからにほかならない。聖邪が常に、中世以降、どこの世界でも神=魔物として表裏うらはらな観念であることの本意はここにある。つまり古い信仰への差別である。

つまり出雲もスサノヲも縄文の大地神も、そのほかのアマテラスより古い信仰の神々は流竄されたのである。
このように人類は少しずつ、蛇のように脱皮しながら前に進んできた。


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