●中世末期のコシキ落とし
この風習は平安時代の記録に頻繁に出てくる胞衣落とし、胞衣塚に付随する、出産時の風習である。その記述は記録の宿命で、どうしても中心は貴族や武家に限られている。天皇から将軍足利家、そして豊臣秀頼にいたるまで、胞衣塚は多い。

コシキとは蒸し器で三段式になっており、最下段の水桶を温めて蒸気を出し、二段目の食品を蒸す道具、つまりせいろである。蒸篭蒸しの調理法は中国で始まり、平安時代頃日本に渡来する。蒸気を二段目にあげるために二段目の底には当初、いくつもの穴があけられていた。今はこれが簾に変わっている。
この穴の開いた底を、なぜか出産時に壊すのである。
「こしき」は記録ではたまに「腰気」と当て字されているから、腰=腹で、孕む女性の安産を祈念したのであろう。穴のある部分をとりはずせばすんなり生まれるだろうというような他愛ない迷信である。

やがてこのコシキの穴部分を壊すだけでは飽き足らず、出産後に胎盤がなかなか降りない娘を気遣ってか、コシキそのもの屋根から落とすようになったのが「甑落とし」である。
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その後、それ専用の華やかな甑まで作られてゆく。
そしてついには出産と胞衣落としには「流派」まで生まれるのである。これが伊勢流とその分派である小笠原流である。

ともあれ、落とす行為はあくまで付録と考えてよい。
大事なのは壊す行為の古さである。

土器破壊もそうであるが、要するにそれが出産のスムーズな終了を祈願したのかという点が大事なのだ。
というのは胞衣をどう扱うかは、あくまでも胞衣が落ちにくい場合に限られ、それは個人差の問題。
一番大事なのはやはり子供の無事と、母体の無事ではなかったか?

平安・中世以降の風習は古代のように純粋無垢なヨミガエリ願望よりも、もう迷信に近い慣わし、おまじない程度の感覚で行われている。それは人間の文明化のせいで仕方があるまい。魔物から妖怪へ変化する畏怖の言葉も古代から中世へと移る間に変化したことはすでに書いた。つまり人々の神・魔物への観念がより科学的になっていったということである。江戸時代にはついに魔物や妖怪は漫画になってビジュアル化した。これによって見えないはずの存在が目に見えるものになり、いよいよ魔は卑近な存在になり、ついには落語のネタにまで落ちてゆく。つまり神への畏怖は次第に消えていった。

土器破壊で書いたように、不完全にすることとは、つまり不完全で生まれてきたもの=ひるこ・夭折水子の再生願望の表出である。破鏡も、本来、死者の肉体を蝕みにやってくる悪しき精霊を寄せつけぬために、棺の外側に鏡面を外にむけて立てかける呪物だった。それを割ってしまう意味が、だから学者たちにはもうわからなくなった。なぜ魔よけを壊すのか?
その意味を考えてやらねばならない。

不完全な胎児が二度と生まれぬように壊したということか?
では縄文の女神、大地母はなぜ切り取られ、同じく大地母を写し取ったような姿の土偶は破壊されたのか?
なぜ女神殺しをせねばヨミガエリは成功しないと縄文人は考えたのだろうか?
これらの変遷と、混沌、錯綜・・・これこそが人間の歴史だと思う。

矛盾する行為。
バラモン教・ヒンドゥー教の錯綜を思い出してみたい。
リンガである。最初男根の象徴のリンガが母を思わせる卵型になる。
縄文土器に戻るとやはり、女神の顔のある突起部分はそそりたつ男根であり、その中に母の種である女神の顔がある。
その母が生み出した胎児がどきの側部でカエルのように描かれる。カエル=胎児。生命。
この混沌は常ににんげんという不完全な生物の心の中を映す鏡である。
人間とはそれほど矛盾を抱え込んだ存在である。

しかしそうすると出雲の荒神谷の、おびただしい銅器の埋葬に伴う×印の意味はなんであろうか?
なぜ出雲ではそうしたのか?
銅剣・銅鐸はどこでも地中に埋められて出てくる。しかしそこに×をつけたのは出雲だけである。
なぜ不完全にしたのか。なぜあれほど大量に埋めたのかがわからない。
かりにこう考えてみた。
あれは出雲という国家そのものの再生ヨミガエリ祈願祭祀であると。

部族レベルや家族レベルの規模ではない国家そのもののヨミガエリではないか。
ということはやはり出雲は一度滅んだのだと。

梅原猛ならここで崇神天皇の「出雲神宝が見たい」と言った記事や、ヤマトタケルの出雲フルネの神剣奪取を書き添えることだろう。記紀の言うあの記事の意味は、まさしく出雲の瓦解なのだと。事実だったのだと。

そうかも知れない。

出雲の本来の土着神を祭る人々、つまり先住出雲縄文人とは、スサノヲを祭るような「くずの民」「海の民」「蝦夷」たちだっただろう。北部九州や朝鮮南部とも交流があっただろう。そういう共栄権の倭人だっただろう。そこに渡来人が来ただろう。鉄器を持って・・・。銅器の人々はそれを捨てることになった。つまり国譲りとはカルチャーショック、文明交代である。そのときに出雲人は神器をかきあつめて土中に秘匿したのだろう。×印を刻んで、完全なる再来・復活を祈願しながら。
そういう構図はなんとなく見えてくる気がする。


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