昨日啓上した「占い統計」記事で、面白い反響結果が出た。
もちろん予想通りの数値だった。

このブログは、半数以上の常連古代史好事家、僭越ながら筆者Kawakatuのコアなファン、そして飛び込みのお客様たちでもっている。その来訪客の数が「占い統計」記事を書いた昨日、普段の320人平均だったところが390人近い来訪があった。いつもより(土曜は行楽やテレビや行事が多くだいたい少ない傾向にあるところを)ほぼ50~70人も多めに見に来ていただいた。もちろん今はサクラシーズンなので、当方記事の中にある「桜の和歌」関連で例年来客は増える時候だし、春休みなので学生さんも増える時期ではある。だが土曜日としては比較的たくさんのかたがたが見てくれたことになる。

ところがブログランキングを開けてみると、前日まで340ポイントあって16位だったところから、急転直下、260ポイントの20位にまで陥落していた。

「占い」という、卑近だが、日本人の多くがそれだけに次元の低いこと、科学や学問のうちに入らない、と考えている「呪術」、という常識がそのまま数値になったのだと思う次第である。

事実、これまでの日本人の信仰意識調査には、占い嗜好や呪い信仰、祟りを信じるか、などの呪術に関する統計はほとんどなかったのである。昨今読売新聞(2005全国調査)やMGC(東京二十三区・大都市14ヶ所調査)の結果が毎年出るようになった。これはひとえに既存の宗教学では偏っていた「宗教教義」「仏教信仰」のみの統計が、歴史の真実に近づけない、原理に偏りすぎて、実践する民衆の歴史=日本人の生態分析につながらないという認知・認識から始まっている。


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今、占いは呪術だと書いた。
呪術と書くと、人はこむづかしいと感じる。
しかし占いと書くと、興味を持ちやすい、つまり信仰や宗教などの学究の外に占いは置かれているのであろう。それは卑俗で、むしろ娯楽の一種と捉えている人が多い。ところが占いとは呪術の一種なのである。
呪術とは古代から続く、民間信仰の、亀卜・鹿卜・加持祈祷・みそぎ・はらい・八卦・風水・家相・陰陽道・呪い・祟り・・・などなどの原始巫覡信仰である。そこには現代占いや占星術の原型がある。東アジアではその根源は中国のプレ道教である「神仙思想」にある古代からの原始信仰なのである。

日本人の多くは、自分は無宗教であると言う。ところが外国人は「無宗教と言うくせに、家には仏壇や神棚があり、正月には神社や寺にいき、御神籤に一喜一憂し、盆暮れ彼岸に祖霊を祀り、あまつさえ外国のクリスマスまで祝う変な人々」だと首をかしげる。日本人はそれらを信仰とか宗教だと思っていない。「無宗教だ」と言うときの「宗教」とは「こむづかしい宗派ややっかいな一神教」だと考えている節がある。実はこれは大きな勘違いである。


宗教は理論と呪術で成り立っている。
仏教で言うならば、仏陀の理論哲学を広めるための手段として原始信仰が持ち続けてきた呪術の手法を利用する、それが宗教というものなのだ。

家に神棚がある、仏壇がある、初詣に行く、お盆に墓参りする、これらは仏教理論の実践方法なのであって、占いもまた呪術のひとつなのである。
ところが日本人は宗教と聞くと高尚なものと後ずさりし、呪術と聞くといかがわしさを覚えるのに、占いや手相や易や風水となると目を輝かせる。つまりそれらが広義の宗教であることを意識せず、楽しい遊び・娯楽、あるいは多くの女性はそれを人生ゲームのヒントだとしてはばからない、というのが前の記事にあげた一覧表の結果なのである。

それがこのブログの古代史や歴史と何が関係しているの?という冷ややかな読者の思いが、ランキングの低落につながったのだと思う。

これは宗教研究家の中でもそうなのであって、宗教=高尚な権威的な学究に値する事象、呪術や原始信仰=民俗学が扱うべき卑俗で低次元な民間迷信、という誤った見識がこれまでずっと学会を席巻し、それは歴史学にも相当な影響を与えてきた。ところがところが歴史書を紐解けば、仏教渡来以前の日本の政治はまず巫覡王の呪術で始まるのである。卑弥呼は巫覡の女王である。それは「鬼道」と書かれている。

鬼道とは道教以前の南中国世界の「科学」である。これに統計理論を導入すると北中国の道教になる。
神獣鏡に太陽を反射させ、占い願う、それが最も原初の呪術だったのである。だから占いとは、呪術の第一歩。それを少なからず利用している現代人は、つまり古代呪術が大好きだとなるのである。


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◆呪術の定義
吉田禎吾(文化人類学)
「何らかの目的のために、超自然的・神秘的な存在(神・精霊その他)あるいは霊力の助けを借りて、種々の現象を起こさせようとする行為とそれに関連する信仰・観念の体系である」
『縮刷版 文化人類学辞典』弘文堂 1994 354ページ


卑弥呼は三世紀倭人諸国の男王が共立するために登場する。
つまり当時、男性王たちが処理できる問題・軋轢の「許容量が越えた」から、現実世界の人ではない巫覡の女性に・・・つまり占いに救いを求め、国家をまとめ、大陸での大きな混乱の波に立ち向かおうと、諸国が一致団結したかったわけである。
そしてこれが日本の中央集権国家樹立への最初の布石だった。
それを決定したのは、卑弥呼の占いだったのだ。「何らかの目的」を達成するために「超自然的な」存在の「助けを借りて」、国家をまとめ和合させ、団結させて、大陸の新しい方向を見極めようとしたのが三世紀末の邪馬台国の時代だったのである。つまり呪術は国家を作り上げる基礎になった。

いったい呪術のどこが宗教より卑俗で低次元だと言うのか?
誰が決め付けたのか?それは学問・学者・宗教者だったのではないか?

このシリーズはそんあ常識へのアンチテーゼである。



以後、では占いの呪術と、宗派への信心のどこがどう違い、同じなのかを数値で切って行こう。
ときには昨今話題になったオセロ中島問題などもネタにしてみよう。

これは卑近な遊び記事でお茶を濁そうとするような内容ではない。それどころか古代史・日本人・歴史学・政治学・経済学にとっての大テーマなのだ。それを権威に寄り添うことなく、民衆の視線で一刀両断にしてみたい。


これがこのシリーズの真意である。
暇つぶしに読むような内容にはなりませんので、そのつもりでお願いします。



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