◆1 中国の九州
「前漢の武帝が紀元前106年に全国に13州を設置したことにより、九州は具体的な9つの州ではなく、中国全土の雅称として使用されるようになった。

新羅でも第31代の神文王の687年には九州制を布いている。

唐代に王維が阿倍仲麻呂を日本に見送るときに作った漢詩、『送秘書晁監還日本国』に「九州何処遠」という句がある。

日本でも保元の乱直後に出された保元新制(1156年)の第一条の冒頭に「九州之地者一人之有也」という一文が掲げられたが、これも中国の例にならって国土全体の雅称として用いられたもので、日本の国土全体は公領・私領(荘園)を問わず全て天皇(治天の君)の治める土地であるという意味である。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%9D%E5%B7%9E_(%E4%B8%AD%E5%9B%BD)

◆2 日本国土の九州
「一般に「九州」とは、西海道のうち筑前国・筑後国・肥前国・肥後国・豊前国・豊後国・日向国・大隅国・薩摩国の9国の総称とされている。九国(きゅうこく、くこく)とも呼ばれたといわれる。この説だと、九州に対馬国・壱岐国・奄美群島・琉球諸島は含まれない。ただし、奄美は明治になって大隅国に編入されたため、九州に含むとも言える。上記9国とともに対馬、壱岐を含む西海道(後に琉球国も含んだ[要出典])は、九国二島、九州二島とも呼ばれた。また、西海道の別名として鎮西とも呼ばれていた。陰徳(太平)記序には山陰山陽四国九州と記載されている。

廃藩置県・府県合併以降は、福岡県、佐賀県、長崎県、熊本県、大分県、宮崎県、鹿児島県、沖縄県の8県を指して九州地方とされ[5]、対馬・壱岐・南西諸島を含む[5]。単に九州とする場合はそのうち沖縄県を除いた7県がその対象とされる。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%9D%E5%B7%9E#.E3.80.8C.E4.B9.9D.E5.B7.9E.E3.80.8D.E3.81.AE.E7.94.B1.E6.9D.A5

古代には「ちくし」「ちくしのしま」「つくし」「つくしのしま」。
「筑紫の日向の」・・・つくしのひむかの・・・九州島の日向(『古事記』)
「つくし」は福岡県あたりを指すため、九州は「つくしのしま」となる。


◆藤原信西「九州の地はひとり天皇のもつところなり」
この場合の「九州」は日本全土

◆古代は道州制?
九州が「完全に」日本の版図となったのは私論では磐井の乱以降。
東海は壬申の乱後
関東は将門の乱後
東北は坂上田村麻呂以後
北海道はコシャマインの戦い以後
沖縄は戦後昭和時代
それまではすべて独立した国家で、東海・九州・関東は連合体をなした国家。
おおまかに捉えるなら日本とはそれら道州の連合国家から始まる。
つまり歴史的には統一国家と呼ぶにはやや疑問もある。
大和朝廷はある一時期まで東西の両雄に挟まれていて、双方にかなり気を使う立場だったであろう。その証拠品は熊本県と埼玉県で出た銘文入り鉄剣。


押せば順位がひとつあがります
  ↓   ↓
With2ブログランキングへ
↑  ↑  ↑
blogramランキング参加中!

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・