◆皇室を王家と呼んでいいか?

●TV「平清盛」ではなぜ「王家」を使うか?
 「なぜ天皇家、皇室という言葉を用いなかったか。ひとことで言えば、「平清盛」の時代には使われていなかったから、です。

 この時期には、天皇の血族をファミリーとして捉えるという概念がいまだ出現していない。播磨の海、周防の灘、と命名しても「瀬戸内海」とまとめる言葉がなかったのと同じです。近衛天皇の寺院、鳥羽上皇の御所、美福門院(びふくもんいん)の荘園など、個別の名が用いられ、天皇家も皇室も、また「王家」も、言葉としては定着していません。

 それから150年、鎌倉時代末から南北朝時代、天皇家と皇室は依然として用いられていませんが、「王家」が各階層で使われるようになります。たとえば、

 ◎皇族…花園上皇「(後醍醐天皇は)乱髪、小袖一、帷(かたびら)一を著せしめ給うと云々、王家の恥、何事これにしかんや」(『花園天皇日記』元弘元年別記10月1日)
 ◎貴族…北畠親房(ちかふさ)「王家の権さらになきがごとくになりぬ」(『神皇正統記(じんのうしょうとうき)』二条天皇)

 ◎武士…結城直光「昔より誰の家か、王家の相門(しょうもん)を出ざるや」(『源威集(げんいしゅう)』前九年の役のこと)。

 どうして「王家」が登場したかというと、「平清盛」の時代、天皇イコール「王」だったことが素地になったのです。この頃、天皇という呼称はあまり使われず、みかど・主上、それに「王」が用いられた。藤原信西(ふじわらのしんぜい)の主導のもと制定された保元元年の新制(新しい憲法)は冒頭で「九州の地(日本全国)は一人(天皇)のもつところなり。王命(天皇の命令)のほか、なんぞ私威(しい)を施さん」と力強く宣言しますし、「王法(天皇の法)と仏法は車の両輪」は頻出の決まり文句です。九条兼実(かねざね)(関白)は日記『玉葉』に、天皇をしばしば「王者」と記す。

 貴族は彼我の上下関係にきわめて敏感でした。座席の上下を争い(座次争論)、下位の者が先に昇進(超越(ちょうおつ)といいます)すると強硬に抗議します。時には激怒して出家し、自ら家を絶やすことも。その貴族たちが、天皇を「王」と呼ぶことに、全く違和感を示していない。

 とすれば、皇帝が上位で王は下位、天皇は皇帝と同格だから王とは絶対に呼ばない…という現代的な私たちの理解は、当時の貴族社会には適用できないのではないか。こういうことはしばしばあって、たとえば「自由」はわれわれにとっては良い言葉ですが、かつては「自由の振る舞い」の如(ごと)く、わがまま勝手を意味する悪い言葉だった。

 では、天皇のファミリーは何と表現するか。中世史学界は、貴族を「公家」、武士を「武家」とするのにあわせて、これを「王家」と呼んでいます。天皇家・皇室の語が一般的になるのは明治以降だし、「朝廷」ならびに「朝家」は天皇の政府を指す(武家の「幕府」に対応)のでニュアンスが異なる。「皇家」は適当ですが、「王家」に比べると使用例が乏しい。

 NHKの制作サイドに尋ねられたとき、以上を勘案し、「王家」の使用を提案しました。純粋に学問的な見地からの応答です。国を思う方々の批判は真摯(しんし)に受け止めねばなりませんが、皇室をおとしめる意志が露塵(つゆちり)ほどもなかったことは、まちがいありません。(寄稿)」

 本郷和人(ほんごう・かずと) 東大史料編纂所准教授。昭和35年、東京都生まれ。東大文学部卒業、同大大学院博士課程単位取得退学(文学博士)。専攻は日本中世史。著書に『天皇はなぜ生き残ったか』『謎とき平清盛』など。
http://sankei.jp.msn.com/life/news/120124/art12012411250003-n1.htm

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個人的にはこの場合「帝家」「帝室」「みかど」など、表現方法はさまざまあったとは思う。

平安末期~中世に限った話では中世史では「王家」を用いている。

古代なら天武以前はすべからく「大王(おほきみ)」を用いるのが一般的だが、そうでない人もいる。つまり継体あたりまでを「大王」と表現し、飛鳥時代あたりから「天皇」としている人もいる。

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●問題は清盛の時代だけではない
ただこの問題に疑問や不満を寄せる人々の思いは、清盛時代の皇室の呼称問題という狭い範囲にはとどまってはいないだろうと思う。つまイデオロギーとしての「「皇室」を「王家」とは不遜ではないか?」という意味合いが大きいのではなかろうか。

それに応えられる回答を筆者は持ち合わせていない。
歴史という淡々とした現実の学問と、天皇家を尊厳なるものとして捉えようと言う観念は、そもそも最初から別次元の話だからである。ここは学問は学問、テレビはテレビとして放置しておきたいところだが、学問とは違ってテレビメディアというものは、あまりにも万民影響力の大きなアイテムなのである。NHKに限らないが、それでも国民にとってNHKの言うことは数字上でも、広さの上でも、民放をはるかに上回る認知性を持っている。昨今のNHKはそのことをよく忘れてしまっているようなことが増えてきた。民放に追随することが視聴率と利益を上げる最後の手段だとばかりに、配慮のない番組作り、発言をしてしまうのである。

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●王家とは何か?皇室とどう違うのか?

「皇室」という言葉が使われ始めたのは非常に新しい。戦前は「皇統」「皇室」双方が使われたが、おそらく明治時代からではなかろうか?(要確認)
「7世紀末に天武天皇によって編纂が命じられ、8世紀初頭元正天皇の720年に完成した日本最古の史書『日本書紀』では、「高天原」より日向の高千穂山に下った(天孫降臨)太陽の女神アマテラスの孫ヒコホノニニギの孫の神武天皇を初代とする一つの皇統が、一貫して日本列島を統治し続けてきたとされる。詳細は日本神話、神武東征等を参照。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9A%87%E5%AE%A4

●つまり「天皇」という言葉が初めて使われたのが『日本書紀』からだから、これは天武天皇以降の概念なので、当然「皇室」という言葉もそれ以後登場する概念になるのである。そもそも「天皇」という言葉はすでに中国にあったものを使っていることになる。

近世から古代までは上記引用した本郷の言うように、皇室全体を言い表す言葉は見当たらないようである。古代には「王」は「きみ」であり、王家の集合体が倭・日本であるから、「きみ」というのは地方豪族でも「君」である。それらの並立する「君」の中から選ばれた君が「王」であろう。問題はここだと思う。

欧州・中国その他の王は「覇者」であるのに対し、日本の大王はそうではなく、選ばれたモノであり、神であり鬼であり預言者でもある。これはヨーロッパから見ると非常に古い巫覡王に当たる。だから日本には中世や近世がないのだと思われたのである。普通、世界の王も当初は巫覡王=神の代弁者であった。そこから祭政分離し、政治軍事王が登場する。これが王である。軍事力で頂点に立ち覇者となって、実質政治に携わっていたのが西欧的な「王」なのである。しかし日本にはそのような人物がほとんど見当たらない(倭五王と天武をそうだと言う説もあるが)。
日本の「大王」はそのほとんどが祭祀者であるほうが政治よりも重要視される。つまり古代のままの王が天皇であろうかと思う。要するにそのことを「素晴らしい。存続しなくては」と思うか、「古臭い、遅れている、変わらなくちゃ」と思うかは個人の自由である。国民の思いが現代は自由になった。どちらがいいかという問題は、はっきり言って天皇家の思いとは別のところにある。あるいは天皇家の思いは、国民が勝手に議論すればするほど重荷ともなりかねない。

『日本書紀』が言うような「神武から数えて皇紀2000数百年」という観念は戦前の皇国史観が押し上げたもので、歴史学上は邪馬台国をそうであるとしても3世紀末から始まるので、せいぜい1700年(それでも世界的に見れば稀有な王族)である。これはもう絶対に覆すことがかなわない常識である。もちろん個人の夢の中では生きながらえるだろうが。

要するにテイシツは「王家」でもかまわないのである。天皇は巫覡「王」なのであるから。だが、「適切」かどうかは別の問題なので、せめて「大王家」にしておけばよかったね。

天皇ご一家に関わるこうした紛争を平民がやればやるほど、天皇家は心を傷めるのだと思うのが、真の愛国者かと思う次第である。困らせないほうがいい。

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