◆◆ジロラモ・デ・アンジェリス(1568-1623)
アイヌ語を世界で初めて文字記録に残した人
世界初、北海道地図を作った人
イエスズ会宣教師

1585年 イタリア・シシリー島エンナ出身
1595年 10歳で一家がリスボンを出航して西インド諸島へ向う途中、海賊に捕らわれ英国へ連行される。
1599年 再度アジアへ
1602年 日本へ来訪 駿府や江戸で父親の布教活動の手助けを始める
1603年 18歳でイエスズ会正式入会
1613年 徳川幕府のキリシタン弾圧が始まる
1614年 (慶長十九年)キリシタン禁教令出て宣教師の追放が始まると、アンジェリスは追放されるところを逃れ長崎に隠棲
1616年 (元和二年)禁教令で捕らえられた信徒たちが東北に流され窮乏していると聞き、救援物資を携えて東北へ慰問渡航。そのまま定住し、津軽の後藤寿庵のいた水沢を基地として密かに秋田や津軽で布教活動を続けた。険しい奥羽山脈を越える布教活動である。
1618年 (元和六年)北海道に蝦夷(えぞ=アイヌ)がいることを知り、彼等に布教可能かどうかの実験のため松前に渡り(欧州人初の渡道)、一回目の蝦夷報告書を書いた。その内容は旅行記のよ     うなものであった。松前に10日間滞在。 信者15人に福音を与え、新たな信者もえた。
 
●渡道の目的の第一は、
1 蝦夷の霊魂救済に適するかどうかを確めるため
2 松前キリシタンたちの救済と告解を聞くため
蝦夷とは直接対話し、記録や地図を製作。この資料は蝦夷から直接聞いた情報で、その後のアイヌ・北海道の研究に非常に役に立つことになる。
四度目の東北伝道旅行に出て青森深浦から松前行きの船に乗り松前に渡った。
このときたまたま松前藩主の甥が乗り合わせ、藩主の知るところとなり、藩主は神父に手をさしのべた。
     
このとき幕府はキリシタン宣教師を差し出すように全国諸藩に命令していたが、ときの松前藩主・松前公広(きんひろ)は幕府に黄金を献上していたりして、一目置かれており、強気にこう言ったとアンジェリスは記録している。

●「天下(将軍)は日本から神父たちを追い払ったが、松前は日本(ヤマト)ではないのだから、神父が松前に来ることは大事もない」

そして村役人にアンジェリスを饗応させたばかたりか、希望があれば本人と自分の対面をも許した。当時、幕府に力があった伊達藩でさえ布教活動を慎ませていた時代である。
 
この松前藩主公広の発言は、日本というものの、近世における範囲を知る上で、重要な資料とな    る。
         
1621年 再び松前に渡り、二回目の蝦夷報告書を書いてローマの管区長に蝦夷島図贈る(現存 する最古の北海道地図)。第二報告書の方は14章から成るもので、内容は北海道が島であることの論証・アイヌ人の風俗・松前にもたらされる交易品などの詳しい報告などである。その第10章にアイヌ語の数詞34語、名詞16語、複合表現2例を記載している。それが、今日世界初のアイヌ語語彙集と呼ばれているものである。
アンジェリスは自分をかくまった家主が拷問を受けていることを知り、自ら奉行所に名乗り出る
1622年 同僚宣教師カルワルホ相次いで松前渡航
1623年 元和九年)江戸で火刑
1624年 アンジェリスの第二報告書は、イエズス会年報の付録として発表された。但し、これはイタリア語版であった。アンジェリス自身はポルトガル語で書いており、生前イエズス会の上司であるフランシスコ・パシェコ神父に送付したものが、ローマに渡っている。イタリア語の訳者は不明である。


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同時代の世界史
1627年  ケプラーによるルドルフ表(天体暦).
1629年  イエズス会のニッコロ・カベオが『磁気哲学』で、ギルバートの『磁石論』に反論。天動説を     擁護



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次回、その日本の古代・中世・近世の範囲の違いと天皇と日本

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