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少し画像を交えながら世界の大文明を覗いてみたい。
素人なのでかじる程度だが。


まずは今話題のマヤ文明。
今年、2012年12月21日あたりで世界が一旦終息する、という予言のことから書き出してみたい。

世界中の宗教に、同類の「この世界の切り替わり」思想は存在する。
仏教でも、ヒンズー教でもそれは予言されているし、キリスト教ならば例の1999というのがノストラダムスによって予言されていたことは、もう終ったこととされている。

つまりこれは民族と宗教ごとに差異がある数値なのである。
マヤの場合は正確な太陽暦によっているので信憑性があるというのだが、ならばにぜ自らの滅亡を泊められなかったか?という基本的な疑問は誰にでもあることだろう。

紀元前数千年前から今年末までを、たまたま彼等は世界の1周期の期間であろうと計算した。ただそれだけのことである。

現代科学からは太陽フレアの影響もいわれている。
黒点の増減は確かに地球環境や生物に影響があるという。
ただその周期はだいたい7年に一度なので、ほとんど間断なくわれわれの間には躁鬱症状は表出している。

大地震もそうだが、結局のところ、なにかが起きたらどうしようもないのが人類である。
大自然が宇宙が、何かを企てれば、その前ではわたしたちはただの芥子粒である。

こういうのを中国では「杞憂」と言う。
杞憂とは、思い込みだと思っているだろうが、実はそうではなく、空が落ちてくることもあるから、神をないがしろにするなという警告なのである。警告とは予言である。

ソドムの市が火に包まれたときに、振り返ったものは石になった。
それを神の罰とするのは聖書の作成者の考え方でしかない。

石になったとは、無機物になった、溶岩流に飲み込まれたとかいうことの比喩である。
ソドムの人々が酒池肉林で遊びにふけり自堕落だったから神の制裁を受けた。だからそういうことはしてはならない、というのも宗教だからそう言うのである。
宗教家でなければ、堕落し、酒に溺れて、女人と戯れるのが「そりゃ人間の本能そのまま」じゃないかね?と言うだろう。つまり人類とは本来そうれが幸福なのであって、それを神が制裁するという思想こそが宗教の本体なのである。

警告が予言であるなら、それは道路の標識と同じであり、学校の生徒手帳に書いてある風紀原則と同じ部類のもので、つまり日本の仏教説話と変わらない。

暦はかつて世界でばらばらだった。
月の暦ならそうはなるまい。

あとは「くるなら来てみろあかとんぼ」でしかない。

なおマヤ遺跡(パレンケ)とテオティワカン遺跡を混同しないようにしたい。
マヤはククルカン、テオティワカンの人々はケツァルコアトルを信奉していた。
テオティワカンはマヤを滅ぼしたとも言われる軍事軍事国家である。



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