『病草紙(やまいのそうし)』は,平安末期から鎌倉初期の制作と推定されている絵巻であり,詞書きと絵の作者は不詳である.『餓鬼草紙』『地獄草紙』とともに「六道絵」(浄土教美術の画題.六道とは仏教の世界説で地獄・餓鬼・畜生・阿修羅・人・天の6つの苦難に満ちた世界をいい,人間は仏菩薩を念ずることでこれらの世界に落ちるのを救われるらしい)のひとつとみる説があるが,重篤な疾患ではなく,おもに珍しい疾患をとりあげており,それが浄土教の教化にどうつながるのかはよくわからない.

◆「小法師の幻覚に悩む男」
精神障害をもつ男をとりあげている.
「なかごろ,持病もちたるおとこありけり.やまひおこらむとては,五寸ばかりある法師のかみぎぬきたるあまたつれだちて,まくらにありとみえけり」
左に絵が描かれている.




「絵には,左と奥が板壁に仕切られた板の間が描かれている.当時,庶民の壁は網代壁である.板壁であるのは,かなり羽振りのよい家で武士の家らしい.柱は丸田柱か角柱か区別がつかない.板の間には囲炉裏が切ってあり,五徳の上に木の蓋をした釜が仕かけられてなにか煮ている.薪の煙が,ゆらゆら立ち上っている.男は,奥の板壁と囲炉裏の間,板壁に接し無地のへりのついた畳の上に衾をかけて横たわっている.男の左の畳の上には刀の一部がみえる.刀は柄が真っ直ぐで太刀ではなく腰刀のようである.男の左にある奥の板壁には板の間から70cmほどの高さに壁袋があり,扇と数珠が入れてある.男の右の枕頭には椀に飯が八分目盛られてはしがささっているが,手をつけた様子もなく食欲がないらしい.当時は寝るときも烏帽子を被っていたのに,男は長く患っているのか烏帽子を被らず,鉢巻をしている.頭は月代をそり,髷を茶筅にしている.目をつぶっているが,とくに苦しそうな表情ではなく,汗もかいておらず静かな寝顔である.ほおが少し高い.口にはひげを蓄えている.衾が少しはだけて,男の右胸と上腕の一部がみえるが,肋骨は浮いてはおらず,特別やせてはいない.男の足でももんでいるのであろうか,剥落があって判然としない.囲炉裏と男の間,男の傍らに男の妻と赤ん坊がいる.妻はどうみても1歳以上と思われる座っている赤ん坊に垂れた乳房から乳を与えながら,4つの実をつけた枇杷の小枝を男に渡そうとしているが,男は閉じた目を開こうともせず反応がない.妻の表情はどこか寂しげである.枇杷の実があるということは季節は初夏である.囲炉裏端には,7つの実をつけた枇杷の小枝,数個の枇杷の種と枇杷の皮がみえる.男は枇杷を2,3個食べ,妻はもっと食べるようすすめているのであろう.食欲がないために枇杷の実を与えようとしたのか,枇杷の実の薬効である解熱・鎮咳・去痰を期待したのであろうか.男の枕頭から左の板壁にかけては,15cmくらいの背丈の小法師30数人が白の紙衣を着,手に手に鹿杖を持って男のほうへ押し寄せている.小法師は,頭をそっている者が多いが,まだ髪を少し残している者もいる.鹿杖は,突く者,天に向けている者,振り回す者さまざまである.なかには口を大きく開けて,なにやら叫んでいる者もいる.このことが眠っている間のことであれば,夢であろうが,『病草紙』に収載されているからには,起きている間のことで幻視ということになる.幻聴さえあったかもしれない.年齢,幻視を主とする精神症状,枇杷の実の薬効からすると,外因性精神病の印象をもつ.」


 『病草紙』にはほかに,「赤鼻の父子」(鼻の頭が黒い父子),「不眠症の女」「風病に悩む男」(イレウス),「二形の男」(半陰陽),「白内障の男」「歯槽膿漏を病む男」「痔瘻の男」「陰風をうつされた男」(毛風),「霍乱の女」(コレラ),「佝僂病の乞食法師」「口臭のひどい女」「居眠り男」「顔に痣のある女」「白子の女」「侏儒の男」「傴僂の乞食法師」「肥満の女」「雀目の女」(夜盲症),「鍼医」「歯のない男」「露出狂の僧」「赤痢の男と女」「癲癇の男」(火を見ると発作が出現),「脱腸の男」(巨大な陰嚢の持ち主)があり,重篤な疾患もあるがおもに珍しい疾患で構成されている.

『地獄草紙』『餓鬼草紙』はその凄まじさを現代にも訴えていると思われるが,『病草紙』には,現代医学の知識を割り引いてもその迫力が感じられない.「六道絵」としたら,浄土教の教化のために神や仏が身近だった当時,どのような役割を果たしたのだろうか.不思議な絵巻である.」

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精神障害にはいろんな症状があるが、この男は枕元に小さな法師がぞろぞろ現れて見えていたらしい。
幻覚だろう。
精神障害者の現象はなかなか面白いものが多々ある。
聞いたところでは、気になり始めるとそればかりが空中に浮かんできて、やがて次第にそれが大きくなり、ついにはそれが覆いかぶさってきたり、新聞を読んでいると気になるセンテンス・単語だけが目に入り、それがまた大きくなって覆いかぶさったり、その語ばかり書いてあるように見え始めるそうである。また目の前を虫がぞろぞろ這い出してきて、世界中が虫に占領されていると思えたりするらしい。

さしずめ思春期にほれた彼女の顔ばかりが浮かんでくるのも、一種の精神病だろうか?
あるいは相方が結婚して急に太ったり、巫女に洗脳されてみたりする漫才師なども精神をやられたか。しかしその程度で精神がやられてしまうとは、よほど相方より自分のほうが先に結婚できると考えていた自信の裏返し、ショックが大きかったのか?じゃあ相方は何してる、助けてやらないのか?とかいろんなことが面白く、けったいなことに見えてくる・・・そんなおれも病気か?

漫才のコンビ名のように黒か白かはっきりして欲しい。

中国などはもう国民が開き直って外国のコピーで忙しいらしく、アメリカ企業の名前をもじって堂々と使い、ジョーダンではすまなくなったバスケ選手は怒り心頭である。あれなども病気だろうか?

法師は手に手に棒を持っているが、いわゆる杓状なのか知らないが、坊主頭とのびほうだいの蓬髪のとが入れ混じり、ははあ、これは例の魔・モノだなとわかる。坊主と蓬髪は魔界の住人だし、小さい人間もまた異界のモノである。
中世にはこうした奇天烈なモノノケ話が爆発的に流行るが、大半は仏教説話になっていて、反面教師として私度僧たちが語って歩いた。仏を信じないからこうなるのだというわけで、因果応報を説く道具であった。『日本霊異記』とか『今昔物語集』などはその代表で、バックには中国の『山海経』などの仏教説話が存在した。平安時代にはこうした説話や奇談の数々が山のように遣唐使が持ち帰ったから、それが平安前期には宮中の音量思想を増長させ、やがて宮中であきられたものが宮の外に出て行き、民衆はそれを大いに増幅させていく。子供のしつけや面白半分のうさばらしとしても蔓延していった。その延長が草紙や御伽噺である。

民衆心理は面白いもので、説話として受け取る反面、それをまったく不謹慎な道楽にして、怪談へと昇華していく。
来訪神の蘇民将来などの類型でも、一方で来訪者を大事に歓待するところがあるかと思えば、六部や琵琶法師を闇夜で殺してみたりもして、各地に七人塚とか琵琶池とか法師塚などができあがっている。うちのすぐそばにも古い辻があって六人塚と書いてあるところがある。六人の六部か乞食坊主かを村人が殺した地名であろうか。これを異人殺しと民俗学では言うらしい。

そんなけったいな中世怪奇譚を少し拾上げて、民衆にとって来訪する外来者がいかに迷惑な存在だったかを分析してみよう。

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