●●日本最初?フグ食って死んだ家族の遺骨
千葉県姥山貝塚遺跡
家族仲良く、5人が「フグの骨」を囲んだまま死んでいる状態で発見された。


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A7%A5%E5%B1%B1%E8%B2%9D%E5%A1%9A


●縄文人もフグ食べた? 下関「海響館」で特別企画展 山口
「フグの水揚げ量日本一の山口県下関市にある市立水族館「海響館」1階イベントホールで、食文化としてのフグのルーツを探る特別企画展「いつからフグは食べられていたのか」が開催されている。29日まで。

 フグは縄文時代から食用とされていたとみられ、北海道から沖縄まで全国の遺跡や貝塚から骨や歯が出土。同展では北九州市の黒崎貝塚や松江市のサルガ鼻洞窟遺跡で見つかったフグの歯も展示されている。

 家族らしい複数の人骨とフグの骨が一緒に出土した縄文時代の遺跡(姥山遺跡)もあるといい、同館学芸員の石橋將行さんは「フグによる中毒死ではないか」と話す。

 安土桃山時代には朝鮮出兵に集結した兵士がフグを食べて中毒死したため、豊臣秀吉がフグを食べることを禁止。明治政府もフグ食を禁止していたが、初代総理大臣となった地元出身の伊藤博文が、下関を訪れてフグのおいしさに感心し、山口県に限って禁止令の解禁を働きかけたという。同展ではこうした逸話を漫画にして分かりやすく展示している。」
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120220-00000041-san-l35

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●なぜフグと言えば「下関(山口県)」なのか?

「それは、明治時代に「山口県のみ」でフグ食が「解禁」されたからである。
こんなエピソードが同県に残っている。
明治政府の初代首相となった「伊藤博文」。退任した後に訪れた「料亭・春帆楼」で、その魚(フグ)は彼の前に出された。明治政府が禁止していたその魚。それでも、シケで他の魚が獲れなかったからと、女将は平に容赦を請いながら、恐る恐る伊藤博文の前に差し出した。
フグをパクリと食べた伊藤博文。
そして一言、「こんな旨い魚を禁じる法はない」。
ここにめでたく山口県のみでフグが「解禁」されたのだという(以後、全国で解禁)。ここで注意すべきは、伊藤博文が同地の出身だということである。」

●なぜ日本ではフグ食が禁じられていたのか?
■フグ食を禁じたのは秀吉
「その歴史は、豊臣秀吉にまで遡る(16世紀)。
朝鮮半島への出兵のために「肥前名護屋城(佐賀県)」に兵を駐屯させていた豊臣秀吉。その兵士たちの間で、フグによる中毒死が相次ぐ。調理法を知らない他国の兵士が無造作にフグを食らった結果だった。
「大事な出兵の前に、何たる不始末! フグを食うことはまかりならんっ(怒)!」
太閤殿下(豊臣秀吉)の逆鱗に触れたフグは御法度となってしまった。
以後、時代が江戸に変わっても、「主家に捧げるべき命を、食い意地で落とすわけにはまいらぬ」としてフグは遠ざけられた。実際、フグを食って死んだ当主が、家名断絶の憂き目にあった話もあるのだとか。

●それでも江戸の人々はフグを食べていた。
「「松尾芭蕉」は恐る恐るフグを食した翌日の朝に、こんな句を詠んでいる。
「あら何ともなや、昨日は過ぎて、フグ閉じる(河豚汁)」
フグの毒というのは、意外なことにフグが作り出しているわけではない。
フグが食べる「エサ(貝やヒトデ)」に含まれている毒が、フグの体内に蓄積するのだという。当然、フグがその毒を食らっても死ぬことはない(それでも致死量はある)。その証拠に、毒のない人工のエサで養殖されたフグには「毒がない」。毒がないので、珍味の「フグの肝」までそのまま生食できる。しかし、不思議なことに、無毒のフグの泳ぐ生簀に、毒のあるフグを放すと、無毒のフグも毒気を帯びてくるのだという。」
以上http://eikojuku.seesaa.net/article/241116268.html

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姥山の縄文人家族が周辺にちらばるフグ骨とともに出たけれど、彼らがフグ中毒で死に至ったかどうかは今はもう判別不能である。しかし家族一緒に同時に死んでいたところからこれは異常なことで、その廻りにフグの骨があったのなら、状況から考えれば、まずはフグで死んだと考えてもいいのではないか?
すると山崎先生の想定する「縄文時代のフグには毒がなかった」というのはちょっと難しい?

いずれにせよ、食えるかどうかは食ってみなければわからない。
食って死ぬ人がいたからこそ、その原因を人は追及し、食える部位だけを食べてきたことは間違いない。
山崎先生が言うとおり、毒とは薬の始まりでもある。
大昔の神仙思想でも、毒である水銀や砒素を長寿の妙薬だと思い込み、寿命をちじめてしまった人は山ほどいる。あの藤原鎌足も、彼の古墳であろうとされる摂津の阿武山古墳の被葬者遺髪から砒素が出ている。
水銀は防腐効果があって縄文時代からすでに遺骸や墓に塗られたり、魔よけとして生前から顔料とされてきた。ならば呑めば長寿になるはずだ、となったのだろう。水銀や砒素に限らず、少量の金属・鉱物成分はミネラルであり、人体には微量なら必要なものが多い。鉄や亜鉛などは有名で、海草や海苔にそれが多く含まれるから、海の中の島国・日本では好んで食べられてきた。海草類には豊富なミネラルとアミノ酸などが多いから出汁になるが、実は今回の原発放射性物質のセシウムも含まれる。セシウムは微量なら栄養素・旨味となる。大量摂取はもちろん金属同様危険である。つまりやっぱり薬と毒は紙一重なのだ。

最初にフグやキノコやそのほかの毒をもつ食物を食べた人々がいたからこそ、知識が得られた。
その勇気はたたえていい。しかし最初から毒だと知っていたら誰も食べるはずはない。毒の有無は外からだけではわかりにくい。もちろん派手な色のキノコなどはなかなか手は出さないだろう。ところがその毒キノコにもちゃんと食べるとどうなるかわかっているということは、ちゃんとそのドクドクしい色彩のものを食べたものがいたということだ。海の中の毒々しいアメフラシやウミウシを食べる地域もある。その卵さえ食べるところもある。ばかりか日本海では当たるとわかりきっているフグの卵巣を糠漬けにしてまで食べる。いやはや人間の食欲はとどまるところを知らないようだ。腹が極限まで減れば、鉱物さえおかずにする時代がそのうち来るかも知れない。「毒を食らわば皿まで」。さしずめフグの刺身などは、高価なくせに少量で、うす~~~くそいで食べるから、下の豪華な皿の絵柄まで食べてしまわねばとても足りませんな。

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