和歌山県の古墳についてこれまで書いた記事をまとめて転載。
大谷山から出ていた埴輪が胡籙だったことが発見報道されたことがきっかけ。
大谷山の古墳群は九州式石屋棚を持ち、太平洋側海部の特徴である青石=緑泥片岩の石棺を持つものがある。このことから継体大王時代に海部の整備があったことを匂わせるのである。
 

岩橋千塚の石棚
 
 
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福岡県竹原古墳の石棚
 
 
 
 
 
 
 
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岩橋千塚の石室の積石状態は、百済武寧王古墳の様式に似ている。
 
 
 
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緑泥片岩(紀州青石製品の石棺)
様式は大分市最大の亀塚古墳の緑泥片岩石棺とまったく同じ。
 
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亀塚古墳竪穴式石室の緑泥片岩石棺。竪穴式石室は時代的に3~5世紀初頭形式で、五世紀後半の横穴式石室を持つ岩橋千塚はあとになる。
 
■中央構造線と緑泥片岩の分布図
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佐賀関半島~四国山地~紀ノ川沿線~伊勢・鳥羽~東海~北関東に帯状に分布している。それぞれ古墳石棺・石室、あるいは中世以降の板碑として多用されている。
地域によって名前がつけられており、武蔵青鉄平石、三波石、紀州・阿波青石と呼ばれる。方解石や雲母状に平坦に方形に割れる変成岩で、加工しやすいがややもろい。分布ラインは古代海部移動ラインと見てほぼ間違いないだろう。
 
 
 
 
緑色の石を墓に使ったのは縄文時代、東北大湯の縄文人。
緑色が鎮魂の色なのは現代でも葬式饅頭が緑色なのを考えると、どうやら日本人の伝統的感覚らしい。
 
ところが北アジアの遊牧民、ガンダーラ、パキスタン、アラビア半島などでも緑泥片岩を墓石に使う種族がいるようだ。
 
 
 
 
 
 
 
 


 
以下、和歌山県の古代史に関する過去記事をいくつか転載して貼り付けていく。
 
両面人物埴輪と胡籙埴輪 岩橋千塚大日山35号墳埴輪と紀氏と継体大王
http://blogs.yahoo.co.jp/kawakatu_1205/54388829.html

全国初!顔がふたつある人物埴輪
2011/12/12(月) 午後 8:03

 両面人物埴輪
 特別史跡岩橋千塚古墳群の大日山35号墳で頭部の両側に顔がある埴輪が出土しました。
顔がふたつある理由は評価が難しく、現段階では謎の埴輪としかいえません。 
 この古墳では、翼を広げた鳥形埴輪やころく形埴輪など全国で初めての埴輪が見つかっています。
http://www.kiifudoki.wakayama-c.ed.jp/kofun/kohun%20siryou/ryoumen%20haniwa/ryoumen%20haniwa.htm
●両面人物埴輪・両面宿儺の話
 
 


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岐阜県飛騨地方の説話に両面宿儺という大変な妖怪のような悪玉がいるが、この埴輪の顔はおだやかである。両面宿儺は飛鳥時代~奈良時代にかけてさかんにヤマトの寺院建築に借り出された飛騨の匠たちの反抗を示す神話であると考えられる。最初の記録は皇極女帝時代に百済から贈られた胡人=ペルシア人建築工人と斐陀の蝦夷を甘樫丘で饗応する話に始まっているから、当時はちょうど飛鳥寺建築の頃である。飛鳥寺の塔は百済王が皇極か孝徳に贈った百済王銘入り仏舎利が地下に埋められていたから、まず間違いはあるまい。飛鳥寺をエンタシスを使って建築設計したのはペルシア人で、巨木を扱ったのは縄文時代からの巨大建造物を作ってきた伝統を持つ蝦夷(えみし)であり、その蝦夷たちは富山あたりから飛騨への街道を開拓して高山に入っている。森浩一説。
 
(追記:顔が裏表にあるのは、その人が周囲の目を配る必要のある職種だったから。具体的には騎馬して弓矢を前後に撃てるような射的の名手だったからではあるまいか?Kawakatu、2013)
 
 
ただ、和歌山紀ノ川の古墳群で、日本でも類を見ない種類の埴輪が山ほど出ることは実に珍しい。北部九州の装飾古墳との類似を見せる双脚輪状文継承埴輪や力士埴輪、祭祀に用いたか鳥埴輪、美豆良のある埴輪などなど珍しいものばかりである。今後注目の古墳群である。紀ノ川を隔てて対面する淡輪(たんのわ)古墳群は倭五王のもうひとつの王家ともいわれ、紀氏の勢力が、ここから京都の桂川を経て摂津の今城塚古墳を建築した古墳製造集団を引き連れていたことはそこで出てくる淡輪技法の土器が証明している。

継体大王今城塚古墳は阿蘇ピンク石石棺、直孤文埴輪も出ているうえに、紀州と継体の奇縁は和歌山県隅田(すだ)八幡宮の画文帯神獣鏡銘文の「おおど」などの記述を証明するかもしれない遺物になるか?

もしそうなると日本史が大きく変更されかねない大事件となるだろう。
つまり王に即位前のオオド王が和歌山にいたという説が一気に浮上するかもしれないのだ。
 
 
和歌山市・岩橋千塚古墳 胡ろくかたどった埴輪 全国初出土
http://blog.goo.ne.jp/thetaoh/e/a828c89911ab1f67e1fd5248a872a8c0
 
 
●胡籙・・・ころく。靫(ゆぎ・靭とも書く)と同じく弓矢を入れて背中に背負う道具。やじりを上にする靭が見せる矢立であり威嚇用武具であるのに対し、胡籙は羽を上向けに入れるので実戦用武具である。
 
 


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http://search.yahoo.co.jp/search?b=1&n=10&ei=UTF-8&fr=ie8sc&p=%E7%BE%8E%E8%B1%86%E8%89%AF%E3%80%80%E5%9E%82%E9%AB%AA%E3%81%AE%E8%B5%B7%E6%BA%90%E3%80%80%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%82%BF%E3%82%A4

ここでは先送りにしておく。
騎馬して振り向き様に矢を放つ流鏑馬のルーツである安息式射法(パルティアン・ ショット)とともにいずれどこかで扱うことにしよう。
 
 
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コメント

 コメント一覧 (2)

    • 1. sofashiroihana
    • 2013年12月22日 08:38
    • 今からリハビリ一泊旅行ですので、
      帰宅してから熟読させて頂きます。
      行ってきま~す。
      ナイスぽっちん。
    • 0
      kawakatu

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    • 2. Kawakatu
    • 2013年12月22日 08:48
    • 帰るまでにもっと和歌山記事が増えていると思います。
      ぼくはこれから冬至のユズ湯じゃ。
    • 0
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