<遺跡>ローマガラスに似たガラス玉出土 福岡

 福岡県宗像市は26日、同市田久の田久瓜ケ坂(たくうりがさか)遺跡の円墳(6世紀中ごろ)から出土したガラス玉(直径5ミリ)を分析した結果、古代ローマ帝国領内で製造されたローマガラスの特徴を持つことが分かったと発表した。玉の内部が内外2層で構成される重層ガラスで、層内に金箔(きんぱく)が施されている。国内での出土は京都府長岡京市の宇津久志(うつくし)1号墳に次いで2例目。九州では初。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130827-00000017-mai-soci
 
 
 
 

シリア・パルミラ遺跡に後漢の女性?人骨出土

 シルクロード沿いにあるシリアの世界遺産・パルミラ遺跡の地下墓(2世紀初め)で出土した人骨に、古代中国の女性とみられる骨があったことが、奈良県立橿原考古学研究所などの調査でわかった。

 
 

 
 

伊江村・ナガラ原第三貝塚、炉跡14基が出土

 【伊江】伊江村教育委員会は28日、同村川平のナガラ原第三貝塚から縄文時代後期(約3千~4千年前)の住居跡と屋外で火を使った炉跡14基、先史時代(10世紀より前)とみられる人骨3体を含む多数の出土品が見つかったと発表した。多数の炉跡がまとまって見つかる例は「類例がなく画期的な成果」(盛本勲・県教育庁文化財課記念物班長)という。縄文期の人は狩猟・採集のため半定住生活だったと考えられているが、多数の炉跡と複数の出土品は大規模な定住地があった可能性を示唆している。

 村内で過去に竪穴住居跡は見つかっているが、縄文期の定住地だった可能性を示す遺構はなかった。貝塚は伊江島のほぼ中央南端。地表から2~3メートル下に住居跡があり、周辺と東に炉跡があった。人骨は住居跡の南、埋葬場所とみられる石組み遺構内にあった。人骨の年代は特定できていないが、地層から先史時代と推定されている。2体は大人で1体は子どもだった。
 
 
 
 
縄文時代の沖縄にすでに炉があったことは非常に重要な発見である。
琉球は日本よりも中国に近く、倭国より早く金属炉が入ったのかも知れないが、日本の縄文時代に炉などあるはずがないという発想をかき消してくれそうな遺跡発見である。
 
 
シリアやイランが送れた土地という着想は、かき消すべきだと前から言っている。中東の文化はむしろギリシアやローマの手本なのであり、それがもたらされたきっかけはパルテアやペルシアの欧州侵略である。
「中国の歴史書「後漢書」には、後漢の将軍・班超が「大秦」(ローマ帝国)と国交を開くため紀元後97年、甘英を使節として派遣、使節団は「安息」(パルティア=イラン周辺)を経て「条支(じょうし)」(シリア)に至ったが引き返したと記される。」
 
彫が深いパルテア人たちの墓は地下式であることも気になる。
 
 
 

 
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