「1869年(明治2)四月に、昌平黌(しょうへいこう)の教授試補だった長野卓之允(たくのじょう)が「暦ヲ改正スルノ儀」を新政府に提言した。その際、現行の天保暦から迷信に関わる暦注をすべて削除し、暦の記載は節気や月の満ち欠けなど天体運行に関する記事に限定せよと主張したが、政府はその提案を受け入れた。
 
 この新政府の決定は、律令の制定以来千二百年にわたって天文暦法を主管していた朝廷の陰陽寮の廃止に直結する措置であった。時・日・月・歳の吉凶を占って、それを具注暦として作製することは、奈良朝の時代から陰陽道家の職務だった。それに基づいて星宿を加持し攘災招福(じょうさいしょうふく)のために行う儀礼は宿曜道(すくよう・どう)に起源があったが、それを司っていたのは朝廷の陰陽寮であった。
 
 旧暦から新暦への切り替えで決定的な打撃を受けたのは、日の吉凶や禁忌等を記した暦を配布していた民間陰陽師だった。新政府のこの措置は、それぞれの地域で暦を発行していた彼らの生存を脅かすことになった。実際に新政府は各地に散在していた陰陽師集団の解体を指示し、今後勝手に暦を作って流布することを禁じた」
「官人陰陽師の歴史には終止符が打たれたが、民間陰陽師の仕事がまったくなくなったわけではなかった。例えば先勝・友引・先負・仏滅・大安・赤口(せんしょう・ともびき・せんぶ・ぶつめつ・たいあん・しゃっこう)の「六曜」を、新政府は「迷信」として暦に記載することを禁じた。しかしその習俗に慣れていた民衆は。吉凶禍福を知る暦法がないとかえって不安を覚えた。それで、新暦の七曜表の下に「六曜」を付けたモグリの暦がよく売れた。」
「六曜のもとになったのは中国の「小六壬(しょうろくじん)」という暦注だったが、中国でもこれは何の根拠もない迷信だと十八世紀に禁じられていた。
沖浦和光
 
※攘災招福=自身に穢れが付いた場合、原因が何か他の事にあると感じる 場合、その禍を取り除いきこれから先良いことが沢山自分の所に入ってくるよう“祈願” すること。災いを防いで福を招く。
 
※宿曜道(すくようどう)=平安時代、空海をはじめとする留学僧らにより、密教の一分野として 日本へもたらされた占星術の一種。密教占星術、宿曜占星術などともいう。
 
 


 
 

 
つい140年ばかり前まで、日本人はみな古代からのシャーマニズムに始まった統計による日月庚申にたよりきって生き続けていたのである。本当についこのあいだまで、日本は古代だったと言ってよい。
 
 
4世紀の道教を源流とする陰陽道に関わる年中行事は、戦後再び新憲法による宗教の自由で復権し、実は今のカレンダーは古代の復活した姿で家庭に吊るされている。ただし、それによってすべてが動くわけではなくなった。とは言うものの結婚式や行事に吉日を選んだりする風習は脈々と生きている。それはなんと卑弥呼以前から日本にあったシャーマニズムとあまり変わりがない。
 
 
宮中でも外界でも、しかし「方忌み」「方違え」(かたいみ・かたたがえ)は残った。戦前にはこれに従う高齢者はたくさんいた。そういう中で軍部は太平洋戦争を起こしていくのである。おそらくまだ内部ではそういうシャーマニズム的なことで戦術が決まったりしていたのだろう。
 
実は戦後自民党内閣でも、占いにたよる政治家は山ほどいた。政策がそれで決められていたかもしれないのである。
 
堺市に「方違神社」がある。
 

 
 
 
 
阿倍野区の清明丘から十五分ほど「庚申街道」を行ったところである。
ここからさらに十分で四天王寺南の庚申堂にたどり着く。
 
近世には「庚申待(こうしんまち)」で大いに賑わったという。
 
これは六十日ごとに巡ってくる干支の庚申(かのえさる)の夜に、寝ないで飲酒飲食や遊興にあけくれる習俗である。もしその夜に眠ってしまうと「三尸(さんし)」という虫が上帝に罪を告げてそのものの命を縮めるとされていた。
 
 
 
 
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いわゆる「虫送り」などというあの蟲である。
内臓に三種の虫がいて「蟲」である。
これを毒薬や魔よけ薬にしたものが巫蟲(ふこ)である。
 
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明治政府以前に、『古今要覧稿』(屋代弘賢やしろひろかた、博物誌)が計画され、全国津々浦々の博物誌が編纂されたときに、各藩にさまざまの情報提出を幕府が求めており、その中に奇妙なものがある。
 
百三十条
「乞食、穢多、諸国にこれあり、このほかササラ摺、茶筅作、院内、梓み、このたぐい、異なる職分の者これありそうろうか」
 
諸国には乞食・穢多などがあることは分かっておるが、ほかにそなたたちの藩内にはどんあ賤民がおるか報告せよ、という布告である。
 


 
 
要するに、現代われわれは韓国や中国の旧態依然の儒教文化、道教文化の残存や、時代遅れを笑い飛ばしているが、つい戦前まで、日本も大差ない部分があったというわけである。
 
ただし、日本人の礼儀正しさ、律儀さ、うそをつかない、勤勉、また全国に教育の行き渡った文明度や民度の高さは、東アジア諸国の中では群を抜いて、いや世界でも群を抜いていたことは、先に書いたシュリーマンの記述からも間違いがない。つまり古代から中国・朝鮮の先進文明や宗教・哲学を輸入してはきたが、日本人のもって生まれた美的生活態度はそこから学んだものではないということである。そして中国や朝鮮の民度の低さは、彼らが儒教の教えによって宮中や官僚だけは整備できたが、民衆への政治はおざなりで、まったく民衆への視線を持たないままやってきた、独善的な独裁国家だったことの証明になる。要するに、東アジアの王権とはすべからくそういうものであり、民衆は高尚な儒教や孟宗思想などは露も知らないまま四千年間をほったらかされた人々だということである。特に中国は今でもそれと大差ない。韓国はキリスト教によってそれをなんとかし、アメリカのコピー、日本のコピーを例によってまい進して、ちょっとはましになってきたが、内面はやはり戦前の日本よりもまだ古臭いものを残存させているということだろう。
 
 
 
本人たちはそれに気づいていないようだ。
 
まだ100年かかるだろう、精神の近代化には。
 
 
 

チ-ン
 
お盆も近いしローソク献灯
こういうものは多いほど厄除け効果があるんだ
意味もなく近づいてくる魔物退散
ここの来訪者にも中国や朝鮮のスパイがうようよおるわい
 

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