纏向遺跡で大量に出ている桃の種について、大変よい情報サイトがあったので全文転載しておく。
古代人が桃を祭祀に用いたのは、中国その神仙思想が三世紀の日本にすでに来ていた証拠になる。
そのような古代桃は纒向だけではなく、北部九州や岡山からも出ている。
 
 

黒田「古代桃」実証

黒田「古代桃」のDNA鑑定
今食している水密桃などと比較する為、古代桃を鑑定して頂きました。
今の所中間報告ですが、現存の桃と、DNAが、まったく一致しないとの報告を受けました。
明治の頃までは、さかのぼって調べる事が出来たそうですが、それ以前に付いては系統が解らない状態の中、奈良県では、出土した古代の桃も現在鑑定して調べて居られますが、古い種からのDNA検出は難しいとの事。
「古代桃の来歴を探る」と仮題されたこのプロジェクトの中で、現在食用に用いて居る、白桃や白鳳、その他の桃は殆どが、明治初期に導入された「上海水密桃」をルーツとすることが判明して居ます。
しかし、黒田の「古代桃」は、全く系統が違っていて、現存首とは系統が違い、今後、出土した桃の種から何とかDNAを検出して、出来るだけ沢山のサンプルを用いて、系統を探る予定だとの事。
これで、既存の桃では無い独自の別種で有り、現存するもっとも古い品種
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
日本で古くから食用としてその価値を誇った神の木、意富加牟豆美命(オオカムズミノミコト)に一歩近付いた可能性が濃くなって来ました。
この桃を食用として栽培して居るのは、現在当方だけだとの事です。
 

「桃」は文字通りさきがけの木として、「邪気を圧伏」。

実は仙果として不老不死の妙薬とされた。

 

桃(もも)、杏(アンズ)、棗(なつめ)、李(すもも)、栗(くり)を、古来より五果と言い、中でも、「桃」は、春に先駆けて花をさかす陽木、その実は栄養価が高く薬効効果も有り、特に珍重された。http://shinsan.blog.eonet.jp/default/images/2012/10/26/p10100132.jpg http://shinsan.blog.eonet.jp/default/images/2012/10/26/p1010012.jpg
とりわけ、核が二つに割れた中から、命の源が宿る所から、命のシンボルや女性器その物に例えられ、色々な神事に使用された貴重な物で、これらからも、当時食用として用いられていた事が解ります。
 
 
 
奈良県田原本町黒田桃花会
 
 
 


 
 

 
 
 
 
■ 昨年度の纒向遺跡の発掘調査で、桜井市教育委員会(市教委)は大型建物跡を発見した。その建物の復元規模は、南北19.2mx東西12.4cm、床面積238.08平米で、3世紀中頃までの建物遺構としては国内で最大規模を誇る。発掘担当者は誰も卑弥呼の宮殿跡とは言及していないのに、当時の新聞各紙は勝手に卑弥呼の宮殿跡が見つかったと紙面を賑わした(平成21年11月15日付け橿原日記参照)。
 
■ 市教委は、今年度の調査区を大型建物跡の南に設定して発掘を続行してきたが、一昨日、建物跡の約5メートル南で3世紀中ごろの土坑が発見され、そこから全国最多となる2千個以上のモモの種が出土したと発表した。モモの種は2センチ前後で果肉が付着したままの保存状態の良いものもあり、果実のままだった可能性が高い。竹製のカゴ6点も一緒に出土し、カゴに盛られたまま投棄されたと推測されている。
 
■ モモの種は今までも近くの箸墓古墳や東田(ひがいだ)大塚古墳などで見つかっているが、一カ所から出るモモの種は多くても数十個程度だった。2千個以上ものモモが一度に捨てられたとなると、異常な数と言わざるをえない。実はモモの数はもっと多かったかもしれないのだ。発掘を担当した市教委の橋本輝彦氏は、「土坑の上部が破壊されており、モモの種は実際は出土した数の倍以上あったのでは・・・」と推測されているという。
http://www.bell.jp/pancho/k_diary-4/2010_0919.htm
 
 


 
 
古代桃については品種が気になっている。
神仙思想に詳しい考古学者・辰巳和弘や黒田龍二の報告や対談で、桃は中国の祭祀、特に西王母信仰に用いられた長寿や呪の果実であったという。
 
これらの古代桃は当然、現代の品種とは異なり、想像するに今の花桃のように、実が大変小さく固い品種でおそらく食用には難しいものだったのではないかと、筆者は考えている。今のハナモモの果実は、せいぜい大き目の梅の実~プラムくらいであるが、それよりは大きかったか?すでに中国では品種改良されて輸入されたかも知れない。
 
詳細は調査分析が進んでいるようだ。
その大きさや形、食用にできたかなどがわかれば、祭祀だけだったかどうかも判断できよう。
 
纏向遺跡の各所にこうした祭祀に用いた道具を埋めたらしい土坑が30数ヶ所あったと石野博信は報告している。タネの数は一箇所で2500個も出ている。
 
纒向は150年ほど続いたから、30以上の埋める穴が見つかったということは、ひとつの微高地区画で毎年桃を用いた祭祀があり、一年におよそ100弱の桃の実を使ったということだろうが、それが長期的に同じ穴に埋め続けられたとは思えないから、2500個が数年分と見積もっても一回に1000個近くが毎年実っていた計算になる。
桃の実は一本の木にせいぜい100弱しかならないから、少なく見ても樹木は10本以上なければならない。学者は30本は植えていたのではないかと見ている。
 
実のなる時期と、道教などの歳時の因果関係は?
桃は今時分の七月~秋にかけて実が熟す。実がつくのは初夏である。梅の実くらいから大きなアンズやプラムほどに太って熟す。その頃には梅に似た芳香をただよわせる。
その頃にはおそらく昔の白桃ほどの固めの実になるはずである。形状は中国のものから考えれば、まず桃太郎の童話にあるような、先がとがったものではあるまいか?
 
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なぜ桃にこだわるかというと、記紀神話でも桃の実は避邪の魔よけになっているからだ。民俗学・民間信仰にも詳しい考古学者・辰巳和弘がその重要性を述べているので、次回の記事にしてみたい。桃が邪馬台国の決め手になるだろうか?
 
 

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