アイスマン生贄説はむしろさらに信憑性を増したと筆者は考え始めている。
その理由は世界的に生贄儀式には次のような法則があったと考えられるからである。
 

 
 
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イタリア北部、アイスマンが見つかった地点ボルザーノから少し離れたアルグンドにあった石碑には彼のハンドアックスにぴったり合致する手斧の刻印がある。(石碑左上、人物の顔の真横)海外のアイスマンビデオより
 
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インカのミイラ女性を発掘した人類学者ヨハン・ラインハルト johann Reinhald http://en.wikipedia.org/wiki/Johan_Reinhard
が唱えている、過去に見つかった石碑にある背後から矢を射掛けられる石版画から、彼らの死は 山の神に対する崇拝の儀式である。(画像を探している。NHKETV特集では挿入されていた)
 

とどめだったと言われている顔面左目上部の打撲傷は、山の神への生贄を山に放つ直前にほどこされる片目儀式。
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左目上部の殴打跡
 
 
 

豪華な食事
胃の中の内容物は大変豪華なもので、パンや山ヤギの肉などが検出。これは彼が生贄として長期間「飼われていた」証拠。
 
山野を上下したことで体内に取り込まれた花粉は、アイスマンが追っ手に追い回されていた証拠
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鍼灸治療あとを示す刺青の存在は、彼に対して、山を歩きまわれる健康さを維持しておくため。
あるいは、逆に、生贄として片足を動きにくくするためのピンポイント施術。
どこを損傷させればどこが動かなくできるかを5200年前の欧州人は知っていた。これは治療と考えるよりも、人を操作するための呪術であったと考えた方が時代にマッチする。
 
 
生贄儀式
片目・片足(いざり)にした上で、右腕を動かなくするために肩甲骨に矢を射込み、山に放ち、それを祭祀の統率する頭屋たちが追いかけてとどめをさす。ある一定の時間生きながらえると、村に連れ帰り子々孫々まで生活を保障される。殺されてしまえばそのまま山の神への生贄となる。これはある種の王殺しである。
 
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アイスマンの人種特定は可能
さらに、アイスマンは純度の高い銅でできた手斧を持っていた。
最古の製銅技術は欧州ではなく、メソポタミア・エジプトの紀元前3500年説がこれまで認知されてきたが、アイスマンは鍼灸技術ばかりか青銅器でも最古の物証を持っていたわけである。
欧州で最古の青銅器文化は紀元前3000年ころのビーカー文化からとされる。
 
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どれも全部が、アイスマンの5200年前(紀元前3200年頃?)はビーカー文化よりも200年古くなり、エジプト・メソポタミアとの間になるのだ。とするとアイスマンは欧州人よりもセム系エジプト人だったかも?
 
遠征によって生贄として捉えられた地中海小国の王だったかも知れない。
 
 
いずれにせよ、暗殺するにしてもなんらかの理由が必要である。ただ追いかけて暗殺したでは、なぜ彼が殺されねばならなかったという歴史的背景がまったく消えてしまう。
 
 
人間が人を殺すのならなんらかの理由があったはず。必ずあるものだ。
 
 
矢身を持ち帰り、誰が殺したかをわからなくした理由が、政治的な抹殺のためだったか、山の神への生贄だったの違いである。ならば筆者は生贄を採る。
 
 
 

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