3・11で震災報道ばかりだ。
ほかのことをしながら、東北弁が耳に聞こえてくる。
聞いているうちに、どこか日向南部・薩摩・肥後方言にイントネーション、抑揚が似ているなと感じ始めた。
おおまかにいえば、関西弁の抑揚とは正反対の場所の音が上下する、ような感覚である。
もちろん細かくはそうではないだろう。
 
関西弁は住んで二年ほどでほぼマスターできた言語感覚なので、東北ベンや鹿児島弁の抑揚も、なんとなく使えそうだ。
 
 
 
縄文語というものを姫神というサウンドグループが作っている。

「縄文語」というのを、ご存知だろうか。
縄文語では「私」は「
アー」、「あなた」は「ナー
」、
「空」は「
アマ」、「海」は「ワタ」、「星」は「ボツィ
」と言う。

一部では話題になったことがあったらしいが、私は、つい最近「縄文語」なるものの存在を知った。
シンセサイザー奏者の「姫神」が、近頃の作品の多くを、縄文語の歌詞を付けて作っているらしく、
それを、たまたまテレビ番組で目にして知ったのだ。
あるテレビ番組のテーマ音楽「神々の詩」という曲もその一つで、私も何度も耳にしていたのだが、
それが縄文語であるとは知らなかった。

ア パ  ナア ガ  マポ
 A-ba,naa-nga MAPO
 
  私は名前がマポです。
 ア ニ  ノノ  ト アヤ ト イネ ト イエ ト オト シ ブ  イ ブ  ム
 A-ni,nono to,aya to,ine to,ye to, oto si bu-i-bu-mu

 私に、祖父(祖母)、父、母 、兄(姉)と弟(妹)がいます。

女性の地声で、こう、歌っている。
私は最初、私の大好きなブルガリアンボイスを真似た試みなのだと思って聴いていたのだが、我々日
本人の原初の言葉を用い、そこにあるエネルギーを表出する試みであるらしい。
確かに、この曲は原始的なエネルギーに満ちて、何とも心を動かされる。

そのエネルギーは、何によってもたらされるのか。
言葉か、地声の響きか、音楽自体なのか。

地声の響きというのは、いわば、卑近な響きだ。西洋音楽的な裏声の透明な響きとは異なり、直接的
に心と身体に訴えてくる。民謡のコブシなどはその代表だろう。
改めて聴くと、不思議なことに、ブルガリアンボイスもまったく同じである。ブルガリアの民謡なの
だから当然と言えば当然なのだが、他のヨーロッパ諸国の音楽とは一線を画す。

言葉はどうなのか。
耳にする言葉は、意識して聴かなければ日本語かと思うような、違和感を感じない語感である。
近い言語である韓国語などもあまり違和感が無いものだが、この「神々の詩」の歌詞も、意味が取れ
ないのにもかかわらず、違和感がない。
その事実は、この「縄文語」が、確かに我々に近い言語なのだと思わせる。

実のところ、この「縄文語」は正確なものではない。
国立民族学博物館教授:崎山 理氏らの研究によって、こうであったろうと再現されたものに過ぎな
い。
縄文時代には確かな文字もなく、また、実際に聴いて調べてくることも出来ないのだから致し方ない
ことである。

では、それをどうやって復元したのか。

日本人は、これまで外国からの文化を柔軟に吸収し、同化させてきた。
それは言葉にも表れていて、今、日本語として使われている言葉の多くは、かつて大陸、主に中国、
朝鮮半島から事物と共に渡ってきたものだ。
漢語として認識できるものも多いが、我々が和語と思って使っている言葉の中にも、中国語を元にす
る言葉が見られる。
例えば「梅」。音読みで「バイ」、訓読みで「うめ」。
「梅(バイ)」はともかく「梅(うめ)」は和語だと思われるだろうが、漢語で「梅」は「メイ」と
読む。「メイ」-「メ」-「(ン)メ」-「ウメ」と変化して「うめ」になったとも考えられる。
例えば「馬」。音読み「バ」、訓読み「うま」。
これは中国語で「マー」と読む。「マー」-「(ン)マ」-「ウマ」という変化があったと考えられ
る。Mの子音で始まる言葉は、日本語で「ン(ム)-」となることが多いのである。

このような、和語に溶け込んだ外来語を排除していくことで、日本語の原型である古代語(縄文語)
の姿が垣間見ることが出来るのである。
他に、古くから残る地名、方言(アイヌ語)なども大きなヒントになる。
実際、現在の研究成果による縄文語には、アイヌ語、東北方言に似た言葉が多い。
かつて、言葉や文化の伝播は、都のあった京都・奈良を中心に、同心円上に広がっていった事を鑑み
ると、そこから遠い地に、古い言葉が残るのは当然の事と言えるだろう。

参考までに幾つか、縄文語の例を挙げてみよう。

髪:
カミ
顔:
トゥラ

耳:
ミミ
鼻:
パナ

くちびる:
ピル

手:
タア

胸:
ムナ


トゥラ」というのは、今でも顔を「ツラ」と言うことがあるし、手の「タア
」も、「掌(たなごこ
ろ)などのような場合「手(た)」として使われる。胸の「
ムナ
」も「胸板」などでは「胸(むな)
」であるように、現代とも共通の単語も多い。
先の「神々の詩」の歌詞でも、「名」は「
ナァ
」であるし、助詞は変わっていないと考えられている

もちろん、ただの消去法と推測だけで復元しているわけではなく、オーストロネシア(タガログ語、
マレー語など)語、モンゴル語などの、日本人のルーツと関係の深い言語をも参考にしているらしい。
 
 
 
 
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本当はどんな言語だったかは誰にもわからない。
理論的にそうなるというだけの話である。
しかしアクセントというものはそうやすやすと変わったりしないものである。
 
東京弁は関西弁や日本の東西の言葉のような抑揚が少ない。
平坦なアクセントである。
実は本来の東北縄文語・南九州縄文語というものが合体して、関東平坦アクセントになっていったものかも知れない。関東アクセントは実は昔から日本語アクセントの主流である。瀬戸内も四国も関東甲信越も、広域に日本語は平坦である。関西だけは中国語・韓国語のアクセントが主流であり、大和~平安時代まではそれが共通語だったわけだが、その奈良県の吉野の山の上のほうとか、地方でもやはり山に陸封されたような地区には関東アクセントが残存した。
 
だからそれが縄文アクセントの平均的発音やアクセントだったと言える。
ところが北関東・東北・南九州などは非常に特殊なアクセントと発音をともなったまま今に到ったようである。すると関東アクセントに縄文語が淘汰される前のアクセントが今の薩摩弁や東北弁には残ったのかも知れないなと、感じた。
 
これは雑感なのでランクりタグは貼り付けない。
 
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