●百済禎嘉王・福智王日本逃亡伝説

 「昔、百済の国において大乱が起こり、禎嘉王(ていかおう)と、その子の福智王(ふくちおう)とが、乱を避けて、女官・従者と共に日本へ渡った。彼らは日向の国の小丸川の河口、現在の高鍋町の蚊口浦に上陸する。禎嘉王は小丸川の上流、現在の南郷村の神門(みかど)に居を定め、王子の福智王は下流の、現在の木城町の比木(ひき)に住む。

 しかし、まもなく、追っ手がかかり、禎嘉王は現在の東郷町の伊佐賀で防ぐが、矢を受けて戦死する。
 いま、南郷村の神門神社には禎嘉王を祀り、木城町の比木神社には福智王を祀る。なお、小丸川河口の高鍋町の鴫野にある大年神社は、禎嘉王の妻にして福智王の母なる之伎野(しぎの)を祀ると云う。」
http://www.k4.dion.ne.jp/~nobk/kwch-lit/hyuga.htm
 
 
『高山彦九郎日記』寛政4年閏2月12日 宮崎比木村
「十二日、快晴、椎ノ木村酒店より戊の方十丁斗道中嶋村を過ぎ比木村に入る。石鳥居社南向き比木大明神百済国福智王子を祀る。百済より此所へ隠れまし墓も有り社領七十五石社家四十三入社僧長照寺真言宗も義也。森は杉桧の大木多くし楠の大木も亦多し、一の鳥居のあたり楠根の張りたる所六間余なる有り、これより南半町斗り福智王の墓有り、五輪塔壱尺七、八寸の丸石也、古からず。比木昔は火木と書きけるに火事多かり
けるによりて比木に改むると云ふ。別当持の社也、社後高城川流る、中嶋村より社前迄松並木五丁斗り続く、松虫せみの声にて鳴く、高鍋城主秋月佐渡守殿参勤交代共に参詣有る。福智王の父は延岡城下より西六七
里きじのみかどに祀りて有り、毎年、鉾と太刀ときじのみかどへ渡りて中酉の日祭りありて帰らる。父へ省するの意なるよし、九月中の日、高鍋城下宮田大明神へ神輿入りて村々を廻りて帰社、是をお里廻りと号す、十一月初めの申の日鴫野大年大明神へ神輿入る、宮田は姉神、大年は母神也……以下略
(役所の「師走祭調査報告書」P121からコピペ)」
http://zaru3386.blog.fc2.com/?mode=m&no=83
 
 
 
 「比木神社の創建の年代は不詳ですが,長く高鍋藩主秋月家の保護をうけていました。
比木は,この地に漂着した百済王子の福智王が玉を投げて居住地を占ったところで,社内には,福智王投げた杖が根付いたと伝えられるチシャキの巨木等の由緒あるものも多い。
福智王を祀る祭りの中でも神門御神幸祭は百済王族漂着伝説に因む祭典を行いながら父禎嘉王を祀る神門神社(南郷村)に向い,その後,比木の地に帰還する祭りでかつては9泊10日(現在は2泊3日)もの時間をかけて廻るという,全国でも大変珍しい祭りです。」
http://www.kyuden.co.jp/effort_water_omarugawa_omaru07.html
 

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どうも宮崎の木城(きじょう)町に百済王族漂着伝説があり、神社もあるようである。
どうやって九州の太平洋側へ漂着したかはわからないが・・・。

ところが福智町は福岡田川郡に、福智山も同町にある。福知山市は日本海側の北陸である。
 
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                                       福岡県田川そばの福智山
 
 

英彦山(ひこさん)山系の端っこにある。
 

この伝説の出展はないものか・・・?
どうやら宮崎県美郷町南郷と木城町比木に、「百済王の伝説」が伝わっているらしく、伝説を刻んだ石碑があるのだが・・・

「天平勝宝八年(756)、内乱により祖国を追われた百済の貞嘉王が大和の飛鳥にのがれ、二年後に、反乱軍の追撃を避け、
海路九州の大宰府へ脱出の途中、激しい暴風雨で難航し、貞嘉王は日向市金ヶ浜に漂着し、山奥の神門郷に住んだ。
王子の福智王は別の船であったため、高鍋町蚊口浦へ流れ着き、木城町の比木に安住した。
貞嘉王は、さらに追撃を受け、伊佐賀峠で応戦したが苦戦し、王子福智王が比木より援軍として来てくれて、ようやく勝利を得た。
しかし、そのとき流れ矢が貞嘉王に当り、王は亡くなってしまった。
神門の郷人たちは、王の徳を慕い手厚く葬り、神門神社に合せ祀ったという。
比木に戻った福智王は、余生をその地で送り、比木神社に合せ祀ったという。」
 
 
 

 
 
「天平勝宝八年というのが口伝らしいが、さらに100年くらい古い話ではないだろうか。
奈良時代、孝謙天皇の時代では、百済の滅亡は遠い昔の話になってしまう。
きっと、白村江の戦いの後の百済からの渡来と思われる。
百済から渡来した人たちにも仲間割れがあったのだろうか。
現に、鬼室福信は百済再興のため挙兵し、日本にいる百済王子豊璋を呼び戻したが、その豊璋と意見が合わず殺されてしまった。
貞嘉王、福智王、『日本書紀』や『三国史記』にその名はみえない(記紀にもどこにもないKawa)が、渡来人の間にも仲違いがあったのだろうか。
それは私のかってな想像だけど、
この地にそんな伝説が1300年以上も残ることがすばらしい。

・・・
 
宮崎県東臼杵郡美郷町南郷区神門に、神門神社がある。
宮崎県児湯郡木城町比木に、比木神社がある。
このふたつの神社を結ぶすごい祭りがあるという。
「師走祭り」
案内によると、
この師走祭りは、百済亡命王族の親子対面を再現する祭りといわれ、その伝説を裏付けるものとされている。
親子対面の儀は、旧暦十二月十八日から二十日にあたる日程で、(後略)」
http://achikochitazusaete.web.fc2.com/kiki/tenji/siwasu.html

やはり伝承と石碑だけか・・・。

「師走祭りの様子から百済の要素を除くと、日本各地にある冬至祭りのひとつだと理解できます。
百済伝説を「神社境内書上帳」「日向襲高千穂神代囲」「利国大明神書上」「高千穂採薬記」「高山彦九郎筑紫日記」の原典を引用して説明していますが、実際に百済王の名前があるのは江戸末期の「高山彦九郎筑紫日記」だけです。
違う言い方をすれば、高山彦九郎以前に百済伝説の資料はありません。

高山彦九郎は国を憂い日本中を旅した尊王の志士です。
高山彦九郎の日記が最古の資料であるならば、彼はどこで百済伝説を知ったのでしょう。
参考となるのは神門神社を訪れる前の熊本滞在の50余日のほとんどを高本紫溟氏宅に滞在していることです。
高本氏の祖は秀吉の朝鮮出兵の際の帰化人であり、日記には高本氏との濃い交流が記されています。
(宮崎県のどの神社伝承記録でも)百済王については一言もありません。
 
天野武氏の「日向の師走祭と伝説」は、第1節から第3節までは祭祀の実態を民俗学の立場から解説していて興味深いです。

百済伝説について書いているところを引用します。

第4節 師走祭にまつわる百済王伝説
 師走祭りに関わる百済王伝説は、私の調査の限りでは細部において完全な一致を見ておらず、やや違った
ものが並存し錯綜しているというのが現状のようである。ただし、それら伝統は、明治時代以降に作為的に
流布され定着をみたものではなく、控え目でも、江戸時代末期(一九世紀半ば) には、すでにある程度の広
がりをもって民間に伝えられていたと判断できるのである。そのことは、『高千穂採薬記』 (前掲) および
高山彦九郎の『筑紫日記』 (寛政四年閏二月) 〔一七九〕の該当する条や比木神社旧縁起の記録によって疑
う余地はない。
http://zaru3386.blog.fc2.com/blog-entry-87.html
 

                               比木神社
                 
どうやら宮崎限定の伝説であるらしい。
ほかには一切第一級資料文献はない。
ではよその「ふくち」地名の由来から攻めてみよう。
 
 
●福知山市
「福知山という地名は明智光秀の城改修の際に名付けられた「福智山」に由来する。
 
和泉式部の歌「丹波なる 吹風(ふくち)の山の もみじ葉は 散らぬ先より 散るかとぞおもう
 
から取り、これに明智の「智」の字を当てたという説や、或いは富士山由来の名(別名)によるとの説も存在する。福智山の「智」は1728年(享保13年)に朽木氏によって「知」の字に改められた。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A6%8F%E7%9F%A5%E5%B1%B1%E5%B8%82#.E5.9C.B0.E5.90.8D.E3.81.AE.E7.94.B1.E6.9D.A5
 
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                     福知山市の福知山城
 
 
これまた、あまり信じがたい内容である。明智光秀が福知山城と名づけて、和歌に詠んだとはいっても、肝心の「ふくち」命名の由来にはなっていない。「吹く地」はわかる。かけている。つまりこれでは「風が強く吹く土地」という意味にしかならぬことになる。
 
 
●田川郡福智町と福智山
「町名は一般公募により選ばれたもので、町の北端にある「福智山」(標高901m)に由来する。」
公募?山の名前から・・・
その福智山の由来は・・・不明。
 
 
 
だいたい全国にある「ふく」地名は光秀が掛けたように「吹く」から来ることが多い。これは単に風が強く吹くだけではなく、ご承知のように金属精錬地名である。ふいごの風、そのような野だたらがあったという地名である。福島県がまさにそうである。それに「福智」という良い文字をあてたと思えるが、もしや百済王子伝承もあったのかも知れない。
しかし百済王子福智という人物の記録文献がない。
おそらく宮崎に多い山の民の考え付いた貴種流離譚ではないかと結論する。
 
 

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