●カタストロフィー
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移動: 案内、 検索 カタストロフィー、カタストロフ(catastrophe)
フランスの数学者ルネ・トムが創作した数学の専門用語で1972年にカタストロフィー理論として発表されて以来、様々な科学分野で議論され一般的に知られるようになった。英語に近い読み方ではカタストロフィーとなり、フランス語読みに近いとカタストロフと表記されることが多い。 一般的には破滅や破局と言った意味に捉えられることが多いが、学術的な意味とは異なる。
環境に多大な変化が訪れること。変化に追従できないものは絶滅への道をたどる。
フィクションなどにおける悲劇的な結末のこと。上記と合わせ、きわめて破滅的なニュアンスを持つことが多い。
カタストロフィー理論の略。
 
 
●カタストロフィー理論
(カタストロフィーりろん、カタストロフ理論、Catastrophe theory)は、力学系の分岐理論の一種を扱う理論。不連続な現象を説明する、画期的な理論として一時注目をあび、さかんに研究、議論された。
カタストロフィーとは周期的な秩序だった現象の中から不意に発生する無秩序な現象の総称。
ルネ・トムの『構造安定性と形態形成』(Structural Stability and Morphogenesis , 1972年)により提唱された。
これでは何のことやらわからない。
 

筆者は文系なので、カタストロフィー理論は力学のほかに心理学でも応用されるから、ここでは誰にもわかりやすく簡単に書きたい。
「愛と憎しみのような相反する感情が突然 入れ替わること」
でどうだろうか?
言うならば民俗学では「逢う魔ヶ時(おうまがどき)」みたいな、昼と夜の間みたいで、しかもそれが突然起こること。だから一般用語の意味の大転換とか、弛緩から急激に緊張感あふれる場面への転換みたいなことか?
映画などで使われたこの言葉は、やはり行き詰るような残酷劇みたいな使われ方だと思う。
歴史学や考古学や人類学ではイヴェント(オルドバイ・イベントとか)かな?
大転換期。
 
ま、そういうことが物理学上、力学上あるよというのがカタストロフィー理論であるらしい。
 
わかんないよね。
力学的な図にするとこういう感じ。
 

 
これを中沢新一が日本語で書いたもの。
 
 
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とまあ、よくわからんがそういう感じだと思っておいてやってください。
 
 
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◆日本人の観念と造形に見るカタストロフィー的歴史観・死生観
 
●折り鶴の中のトポロジック
 
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日本人が大好きな折り紙。
中でも折鶴はたいがいの日本人が誰でも折れるポピュラーなもので、その折り方はこういうものである。
この図の中で、4~5へ行くときの袋折り、そして12でひっぱりだしてきて一旦ふくらんだものをぺしゃんこにして成型する作業の二ヶ所で、どうも日本人は無意識のうちにカタストロフィー理論的な事件を平然とこなしているようなのである。
 
多分、こういう部分が西欧人が折り紙に驚嘆するわけがあるように見るのだ。(違うかもしれないが)
 
茶道で使う袱紗(ふくさ)の畳み方にも、こういう部分がある。
風呂敷の使い方にもあるような気がする。
 
紙でやると絶対折り目が入ってしまいもとにはもどらない。それが折り紙の宿命なのでふくさで途中までを折ってみた。
 
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布で折ると気付くのは、紙で折るよりもシルエットがたおやかに優雅にできるということだ。
 
写真の三角形に折るところまでは、なんてことのない、外国人でも子供でも簡単にできてしまう普通の「折り」である。ところがその次に、三角の片方の頂点を持ち上げて、押し付けるようにしてやると、そこに空間が生まれ、袋状になる。それを下にひしゃげさせてやると、とたんに三角から四角形に形状が激変する。
この袋折りをした時に、筆者は子供の頃「不思議な瞬間」を感じ取っていた。
奇妙に、落ち着かない、無理なことをやってしまっているような、居住まいの悪い感覚である。これが心理的カタストロフィーではないか。この作業は日本人でナイトできないかも知れない・・・。そう思っていた。
 
さらにその四角形の頂点をめくりあげると、中からなんだか凧のような形状が現れて、どこかしら女性の脚のように見えてくる。そのめくりあげたスカート・・・いやいや、四角形の頂点にくっついてきた三角形に折り目をつけて、今度はおなごのおみ脚の方を、きちきちと左右二度ずつ折りたたむと、熨斗(のし)のような形状になる。その上にある三角形を引っ張り出して、一旦ふくらんだようになったものを、今度は押し付けてまた元に戻してやると、ここには絵がないが、さっきの降り方図解の12番目に到達するのである。ここもカタストロフィーを感じるところだった記憶がある。
 
なにかこう、不器用な人なら絶対うまくいくはずがないんじゃないかという予感?がする?
そういう子供なら緊張する部分である。
 
なんで三角だったものから四角ができちゃったのか、なんとなく納得がゆかず、居住まいが悪いのである。
もちろんうまくいったら、もう「えへん」となってすっかり忘れてしまう感覚。
 
わかりますか?
 
 
 
 
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完成した折鶴。
 
日本人は器用だからと言いたいところである。
アメリカ人みたいな不器用者には、絶対無理なんだと、昔から日本人は自慢してきたはず。
 
しかしですな・・・。
西欧人は折り紙は作れないが、こういう器用な造形美を作り出している。
 
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これはレストランの布ナプキンである。
いかがだろう、折り紙よりもシルエットがふんわりと優雅で、立体的なふくらみがフェミニンに見せていないだろうか?
 
 
これは素材の違いがそうさせているのは当然である。
筆者が袱紗で作っている間でも、絹のやわらかでふくよかな曲線は、心を落ち着かせ、豊かにしてくれた。
一概に素材や不器用さに違いを求めていいものか?
 
アメリカ人は確かに無骨で粗野で、繊細さに書ける国民性の人が多いが、そういう人ばかりでもない。
彼らは折り紙はへたくそだ。しかしとんでもない発想で折り紙を作る人がいるのである。
その形は、日本の折鶴とはまったく別の造形になることがある。
 
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これをへたくそだ、無骨だと言うのは簡単である。
まるで飛行機だとか。
 
 
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ついでだから、次にリンゴの皮をむいてみよう。
 
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もう日本人だけが世界の中で着想が違うことに気がつくのである。
 
 
 
次にフトンやブランケットの畳み方を見てみよう。
 
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いかがだろう?
フトンの畳み方ひとつでも民族によってさまざまなやり方があり、日本人がオブジェをコンパクトに、機能的にデフォルメする天才であることが見えてきませんか?
 
日本人の畳み方、三つ折式はほかのどの世界にもないのではあるまいか?
 

 
それを器用だけで終らせてはだめだと思う。
これは日本人の縄文から受け続いてきたデフォルメしてゆく生活感覚、自然との融和、などの心理的な観念、特に神への思いとか、大自然への畏れ、なによりも狭い国土の島国人民ならではのこまやかさと捉えてみるのである。
 
例えば「うずたかく盛り上げたゆえに太秦といふ」という秦氏献上物記事から考察すると、うずたかくもりあげるやり方も東西でかなり違う。
 
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もちろん素材が違う。
ソースのような粘性のある液体は日本では存在しない。
しかし高くすることが高級、あるいはおめでたいという感覚は日本人も西欧人も同じく持っている。
 
しかしながらその手法が、日本の新鮮は積み上げるのに対し、西欧人は平面をねじりあげて、空気をいれ、ゴージャズに見せるのである。
 
 
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次に元に戻って、三角形のカタストロフィー折りの、日本人が使ってきたほかの応用を見てみよう。
 
●円柱あわせ包み
 
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確かに器用である。
筆者も茶筒などこうやって包むことが多い(筆者は若い頃ラッピングを仕事にしていたことがある。どんな形状のものでも包装紙で包んできた)。
 
この茶筒を包むやり方は、カタストロフィー理論の三角形のひだを連続することによって、円形を作っていくやり方で、ちょうど幾何学の直線による曲線を作り出すグラフィックによく似ているのである。
 
 
 
さて、こうしたまっすぐな線分で構成されてきたのが西欧の貨幣経済であると中沢は言っている。つまり先進国の貨幣経済、資本主義経済の根幹は直線的な流通形態である。
 
しかし世界中の島人たちがやってきた、縄文的な経済は、多くが宇宙的な、トポロジー的なつながりでできている。繁栄への一直線の最短距離ではないけれど、どこからかある日突然の来訪者があって、突然の交流や歓迎・・・つまり市という祭りが沸き起こる。そういう島の経済や、死生観が、実は明治以前までの日本にも存在したのである。日本人は明治維新以来、しゃかりきになって西欧の文明や宗教を物真似してきた。その過程で、縄文から続いてきた曲線が作り出すカタストロフィーあふれる野生の思考をどんどん捨て去ってきた。
 
今、それをどうやって復旧すればよいのか。
 
 
 
ここまで図でしめしてきた日本人独自の技能を、すでにどれひとつできなくなった若者が確かにいるはずである。壊れてしまった円環をいかにして取り戻せばよいのか。
 
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牛乳の紙パックの注ぎ口
あれも日本人の着想である。
開いて押せば口が突き出してくる。
西欧人は注ぎ口用のグッズをパックに突き刺さなければ、あそこをきれいに開くことができないのだ。
頭の構造がまったく違うのである。タテとヨコほどに違う。