◆全国に三個しか完品出土例のない巻貝形遺物
1 新潟県村上市山北町上山遺跡出土巻貝形土製品
2 宮城県伊具郡丸森町?遺跡出土巻貝形?
3 岩手県宮古市近内中村遺跡出土巻貝形土器
発掘年順
 
 
1 新潟県村上市山北町上山遺跡出土巻貝形土製品
画像は『原色日本美術』小学館 1966より http://blogs.yahoo.co.jp/kawakatu_1205/39309072.html?type=folderlist
縄文時代(後期)/前2000~1000年
長16.6
重文
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新潟県村上市山北町(さんぼくまち・旧岩船郡山北村)上山遺跡出土
「大型巻貝をまねた特異な土器。器全体に配された”瘤状の小突起”を”刻目のある隆帯”で結び,その間にミミズばれ状の”隆起線文”を巧みに配している点に文様の特徴がみられる。全体に赤色顔料が塗布されて,その形の特異性が強調されており,祭器等特殊な用途が考えられる。このような貝をまねた土器は他に二,三例発見されている程度である。」
 
 「縄文時代の造形物のなかには、粘土でイノシシや蛇などの動物の形をまねたものがあり、縄文時代中期後葉以降にそれらを立体的に表現する土製品が作られる。貝を模した例はイノシシについで数多く作られた。本例のような巻貝形土製品は後期後葉の東北地方の各地で複数確認されている。
 本例は岩礁性(がんしょうせい)の海岸に棲息する巻貝を模した土製品で、殻口を注ぎ口とした容器の機能を備えている。巻貝の外形を上手く作り、さらに同時期の瘤付土器の文様を巧みに取り込み、隆帯で螺旋文様が、瘤を貼り付けて刺が表現されるという、縄文人の造形力が遺憾なく発揮された土製品である。また内外面に塗られた赤彩は、本例が造形力に満ちた容器としてだけではなく、儀礼的な側面もまた合わせもつことを強く意識させる。」
http://www.tnm.jp/modules/r_collection/index.php?controller=dtl&colid=J38390
 
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2 宮城県伊具郡丸森町岩ノ入遺跡出土巻貝形?
資料なし。
 
解説資料不明
画像無し
丸森町に岩ノ入遺跡なるものがあるかどうかも不明。
ネット上には「岩ノ入」「岩のの入」と二種類の記述あり。
宮城県全遺跡を網羅した「遺跡ウォーカー」サイトの宮城県内すべて(6000数ヶ所)を探しても該当する遺跡が発見できなかった。岩ノ入遺跡は茨城県に存在。宮城県内の類似する縄文遺跡では「岩の沢遺跡」があったが不明。
 
資料提供求む。
 
 

3 岩手県宮古市近内中村遺跡出土巻貝形土器
 
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宮古市出土巻貝形土器。
縄文時代後期、およそ3000年前。
平成6年度出土。
全長23.5cm。

「今までに全国で報告されている3例と異なり左巻きで無彩色。
祭祀儀礼に用いられたと考えられています。
縄文工芸の極致と賞賛されています。」
 
「宮古市内には470ヵ所の遺跡がある。それらは数千年前の縄文時代のものから、千年ほど前の平安時代、500年前の中世の館跡、そして新しいものでは江戸時代の遺跡がある。平成7年近内中村・縄文時代後期(約4000~3000年前)の遺構から全国的にも珍しい巻き貝形土器が出土した。この土器がどのぐらい珍しいかと言うと国の重要文化財となっている新潟県上山遺跡の縄文後期の層から昭和36年(1961)に出土した巻き貝形土器と、巻方が左右対称なことを除いて瓜ふたつなのである。巻き貝形土器は通常の暮らしに使われた器ではなく、何らかの儀式に使われたものと考えられ、新潟上山遺跡に続いて昭和41年(1966)に宮城県伊具郡岩ノ入遺跡で出土したものと、この近内の3点しか出土例はない。
 
 他県の遺跡では雑多な土器郡と混じり合って破損して発見されているが、近内では竪穴式住居跡から猪の土製品などと一緒にほぼ完形品として発見されている。巻き貝形土器は全長23.5センチ、幅11.5センチ、重さは370グラム。濃い褐色で全体にイボ状の突起やらせん模様がある。関東方面に生息するボラ科の貝をかたどったとみられるが、巻き型は実際のものと逆の左巻きである。近内から巻き貝形土器が発見されたということは、はるか昔の縄文時代に新潟県で発見された物と同一の制作者が流れきたのか、あるいは製品として同じ物が交易品として流通したのかいずれにせよ縄文時代の何かをつないでいた架け橋があったという物的証拠でもあり、この近内の巻き貝形土器は、国の重要文化財の土器と従兄弟的な物品であることは間違いないと言える貴重なものである。」
http://miyapedia.com/index.php?title=%E5%B7%BB%E8%B2%9D%E5%BD%A2%E5%9C%9F%E5%99%A8
 
 
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4 番外 新潟県村上市元屋敷遺跡出土巻貝形注口土器
 
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県文
人面付注口土器などとともに出土
旧朝日村奥三面(おくみおもて)遺跡群の内のひとつ元屋敷遺跡出土
奥三面遺跡群→http://inoues.net/club2/asahimura.html
 

 
 
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5 その他破片出土地

秋田県藤株遺跡
山形県泥部遺跡
岩手県花泉町中神遺跡
北海道千歳市キウス遺跡
と東北、北海道内陸部広範囲に類似品破片が出ている。

詳細研究と分布PDF→www.domaibun.or.jp/nenpo8.pdf
 
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画像は青森県藤株遺跡出土巻貝形注口土器http://dalaz.exblog.jp/i2
 
「この中で元屋敷遺跡例は多量に出土し、土偶、石棒類の多量出土から祭祀儀礼行為の高まりを示し、新潟県と東北地方で同土製品の出土例が見られ女性器を象徴とした要素が垣間見る事ができるという。」
http://blogs.yahoo.co.jp/rekisi1961/43278241.html
 
 

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これらの巻貝形土製品類が、上記引用文にあるように女性器(生殖の根本)をイメージしたものであることはまず間違いないことであるが、気になるのは縄文時代にはありえないはずの表面に刻まれた「直弧文的な」装飾である。

特に1と3のふたつの土器に顕著で共通感が感じられる。
 
直弧文(ちょっこもん)は主に西日本の古墳時代の絵柄であり、日本でしか出てこないオリジナル装飾と考えられている。

縄文後期の北日本にそれがあるはずがない意匠なので、一般にその絵柄は”刻目のある隆帯”で表現されるようである。
 
 
◆隆帯文(りゅうたい・もん)
http://www.asahi-net.or.jp/~XN9H-hysk/jousiki/gaiyou.htm
隆帯紋・隆線文は非常に種類が多いが、基本的に文字が示すとおり、帯のように流れる線分が浮き彫り(陽刻)にされる絵柄である。しかし種類の多さからか、これという定型が存在しているわけではなく、言うならば隆線文の中の幅広な、浮き彫りされた(=隆起した)線文の総称でしかない。いわゆる隆線文土器でさえその種類は雑多で、定型がないといってもいい。古墳時代の直弧文や弧文のような「これが」という絵柄概念があいまいな言葉なのである。少なくとも盾築墳丘墓の弥生末期(2世紀)~古墳時代の模様ならば直弧文に分類されるところを、縄文時代にはそれはありえないので便宜的に巻貝の絵柄にこれを用いているのだろうと思う。隆起した帯状文の総称。
 

つまりこの二ヶ所から出た巻貝形完成品の模様は実は正しい名前のない絵柄だと言ってもいいだろう。そもそも縄文式土器と弥生式以降の土器では作り方も違うし、絵柄の分類方法も違うので(縄文土器は模様をパーツにして貼り付けるのが基本、弥生式は描く。例外あり)、同じ言葉は使えないのだ。しかしこの隆文は縄文中期までの貼り付けたものでなく、どう見ても刻んで描き出された陰刻になっている。
 
 
●そこで、ではこれが直弧文じゃあないのか?と疑問を持った人は、困ることになる。
せいぜい纒向遺跡の3世紀前半からではないかという直弧文が縄文時代後期の3000年前の、それも西日本から隔絶した東北で存在したなどとは、縄文専門家も弥生・古墳専門かも、絶対認めることができないからである。それが学問の縦割り思考の限界なのである。

これがプレ直弧文であることを認めさせるには、時間的・地域的にそれをつなぐ中間例証が必須になることは言うまでもない。
 
巻貝が、その内在させているラセン形を以って「生命誕生と再生の根源」の象徴であることはナンビトも否定できない。それは古代人の死生観である「生=死」の形象である。それは母親の産道の表現なのであり凹の図形である。

ということはこの土器の表面に描かれる隆帯もまた、当然それに類似する観念を表したものであるはずだ。
からみつく蛇であればそれは父親の男根のデフォルメであろうし、永遠の輪環を表しているならば当然、途中で途切れた絵柄にはならず渦巻きや螺旋形にならねばならない。しかしこの隆帯絵柄も直弧文も帯が一定間隔の長さで切り取られた帯になっている。
 
切れてはからみつき、切れてはつながる・・・そういうからまりあった連続なのである。
切れているということは永遠ではない・・・ひとりの人間の生命が決して永遠ではないということを弥生人のように縄文人も知っており、それが決して再生してくるものではなく、むしろ分断される死の数々がつらなりからまって、一族の種が輪環していく・・・リーインカーネーションを意識した絵柄だということになる。
 
そこには古代人すべてに共通した「諦観」がすでにあり、それを前提にした「永遠」がすでにあることになるだろう。そのつながってゆく永遠とは、中国の神仙思想にある不老長寿への願いなどより、はるかに宇宙的観念であり、まさに巻貝の螺旋が作り出すマクロからミクロへのインナー・トリップ・・・インド哲学のごとき広大無辺な極地に、彼らがすでに太古から到達していることを示しているのである。
 
しかし、もしこの巻貝土器表面の隆帯文を直弧文であると証明したなら、それこそ考古学界はひっくりかえることだろう。まずすべての学者を納得させるにはt百年ほどかかるかもしれない。誰かがやらねばならないことである。
 
いずれにせよこの巻貝形土器の源流は実物の巻貝である。その巻貝への思いが日本の南北でとも生まれた。しかも常識に反して、それは考古学的には、沖縄や西日本で形象化するよりも、1000年も早く北日本の縄文人が思いついたという結果になる。ということは?
 

 
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