『源氏物語』末摘花(すゑつむはな)
「四五人、物くふもあり。みなさむげに、ふるきものきてふるふもあり。かたはらいたければ、立のきて、たゞいまおはするやうにて打たゝき、入給ふ。・・・・かみはうちきのすそにたまりて、ひかれたる程一尺ばかり、うつくしげにめでたし。聴色のわりなう上白みたる一襲、なごりなう黒き袿重ねて 、表着には黒貂の皮衣(ふるきのかはきぬ)、いときよらに香ばしきを着給へり。」
 
 

 
 
 
 
聴色のわりなう上白みたる一襲、なごりなう黒き袿重ねて 、表着には黒貂の皮衣(ふるきのかはきぬ)、いときよらに香ばしきを着給へり。
 
大意
ゆるし色のひどく色あせた一襲(ひとかさね)に すっかり黒くなった袿(うちき)をかさね 上 着には黒貂(くろてん)の毛皮の とてもきれいで香を焚きしめたのを着ていらっしゃる
 

ゆるしいろ【許し色/聴し色】とは。意味や解説。平安時代、だれでも着用を許された 衣服の色。紅色・紫色の淡い色など。ゆるしのいろ。→禁色(きんじき)

ここに古くはクロテンを「ふるき」と呼んだことが書かれている。「かわきぬ」とは毛皮である。毛皮は奈良の頃から朝廷や豪族の間では垂涎の貴重品で、平安時代でもクロテンの毛皮は参議以上しか見に付けられなかったほどである。毛皮の多くは高句麗や半島各国から取り寄せる交易品であるが、クロテンの多くは渤海産だったと言われている。
 
 
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エゾクロテン
 
 
 

阿倍比羅夫は遠征した東北で、多くの毛皮を持ち帰っており、『日本書記』には粛慎(みしはせ、あしはせ=オホーツク文化人の一種で大陸では「しゅくしん」と言われる民族がいたが混同されて文字だけ当てたか?)から入手した「生羆(しくま=ヒグマ)二、羆皮七十枚を献じたとある。ちょうどそのとき交易で訪れていた高句麗使たちは、クマ皮を高値で売りつけようと考えていたが、その大量の毛皮を見てビックリ仰天している。

渡島蝦夷が出羽国に持ち込んだ毛皮の記録では「雑皮」とひとからげにしてあるが、ヒグマ皮、葦鹿皮、独犴(どっかん=アザラシあるいはラッコ)などが『延喜式』に出羽・陸奥特産雑物として記録があり、天武年間での交易皮革は類推できる。

渤海のクロテンは、926年に渤海国が滅亡していることから、記録に多い10~11世紀のクロテン毛皮は渤海産とは考えにくいので、末摘花の着たクロテンはおそらくオホーツク産だった可能性が高い。つまりそれはサハリン産のエゾクロテンだったと考えられるのである。
 
 
 
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蝦夷は北海道の北東部オホーツク海沿岸のアイヌだったと考えられ始めている。そして日本の粛慎もまたオホーツク文化との関連が深い遺物が見つかり始めた。すると北海道の北東部から南下した種族が蝦夷、南西部擦文文化圏の住人が靺鞨・女真・古ギリヤ-ク民族であったろうと鈴木靖民は想定している(『日本古代の周辺史』2014)。
ただ、記録にある蝦夷や粛慎はかなり認識に混乱もあったと見たほうがよかろう。
 
 
 

 
 
  
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