雑感である。
 
 

NHK朝ドラ「マッサン」は民放テレビ局では制作できない。その理由は?
エコノミックニュース 11月15日(土)15時27分配信
 
 
NHK朝ドラ「マッサン」は民放テレビ局では制作できない。その理由は?
 
 「ニッカウヰスキー創業者の竹鶴政孝と妻リタをモデルにしたNHK連続テレビ小説「マッサン」の放送が9月29日から始まった。が、そのドラマ「マッサン」は、在京大手民放TVキー局では、絶対に制作できない内容のドラマなので、ニッカウヰスキー関係者の期待は高い。なぜ民放各社で制作できないのか? その理由が端的に分かる事例が発生しているようだ。
 
  大ヒットした今年度前期のNHK連続テレビ小説「花子とアン」に続いて、「マッサン」に対する視聴者の注目・関心は高いようだ。NHK朝ドラ史上初めて外国人をヒロインにしたことでも話題になっており、スタートから5週連続で平均視聴率20%超えなど好調だ。ドラマの影響は放送開始前からニッカウヰスキー創業地である北海道の余市蒸溜所にも波及し、「工場見学ナンバー1」となった施設と言うことも手伝って、例年より多くの見学客が訪れているという。
 
  ところで、事件は東京・文京区音羽の出版社、講談社で起きた。同社発行の「週刊現代」8月25日発売号に、サントリーから角ハイボールに関する2ページのカラー広告の出稿があった。ところが、この広告の次ページから、「我が社に伝わる秘宝」とのカラー企画記事が掲載された。ここでニッカを2ページにわたって取り上げ、写真も大きく掲載した。事実上、ニッカを後押しする記事と受け取られても仕方のない構成だった。これがサントリーの逆鱗に触れたというのである。
  その企画記事は、竹鶴政孝氏を「日本のウイスキーの父」、ニッカを「ジャパニーズウイスキーの原点」と紹介し、NHKの朝ドラ「マッサン」は政孝とリタ夫妻の物語と紹介した。事実は間違っていない。
 
  しかし、「日本で最初にウイスキーをつくったのは、大阪「寿屋」(サントリーの前身)社長の鳥井信治郎である」と一貫してアピールしてきたサントリー。確かにそれも間違いのない事実だ。日本で初めてウイスキーを蒸溜したサントリー山崎蒸溜所のパンフレットでも同じように記載している。山崎蒸溜所を設計したのは、当時「寿屋」に請われて入社し、日本初のウイスキーづくりに参画し、初代・山崎蒸溜所所長の竹鶴政孝だとは、ひと言も触れられていない。
 
  そうした事実を封印してきたサントリーの広告ページの後に、ニッカ礼賛記事が載ったことは、サントリーにしてみれば、到底容認できる内容ではない(広告代理店関係者)。しかも自社が出稿した広告の隣に当てつけのようにニッカの記事が並べられ、サントリーは黙っていなかったというのだ。
 
  一部報道によると、サントリーは「今回の広告費は払わない。御社の媒体には、今後一切広告を出稿しないことも検討する」と講談社に激しく抗議したという。
 
  サントリーは日本のウイスキー事業をリードしてきたという自負がある。逆にNHKとニッカにすれば、ドラマ「マッサン」が当たれば、新聞や雑誌で報道される機会が増え宣伝につながる。が、ウイスキーの国内シェア6割を誇るサントリーにとっては、打撃にもなり得る。なんらかの対策を講じるだろうと予想は立つ。
 
  しかし、分からないのは講談社「週刊現代」の記事構成だ。編集者なら、8月25日発売号の台割を見た次点で“まずい”構成だと気がつくはず。広告部だって「ニッカの企画記事を次号送りにするなどの要請」を編集長に申し入れるはずだ。長年、業界にいればサントリー宣伝部の対応は予想できた、と思うのは筆者だけだろうか。
 
  サントリーは「ジャパニーズウイスキー」としてサントリーとニッカの製品が並列に紹介されることさえ嫌う。そんなことは雑誌出版社だけでなく、年間広告収入クライアントのトップクラスにあるサントリーに支えられたテレビ局だって百も承知だ。だから、ドラマ「マッサン」は、NHKでなければ制作できないドラマなのだ。
 
  ドラマ「マッサン」にはサントリーが「神経を尖らせている」(広告代理店社員)との噂でもちきりだ。今後、メディア各社は「マッサン」の扱いに苦慮することになりそうである。ニッカは今年創業80周年、竹鶴政孝・生誕120年で記念事業を仕掛け朝ドラに乗じて攻勢をかけてくる。サントリーは広告を盾にマスコミ各社に「ニッカ外し」の圧力をかけてくる可能性が高いと広告代理店は予想している。」(編集担当:吉田恒)
 
 
 
 
 

サントリー佐治敬三の 東北熊襲発言
「1988年(昭和63年)2月28日、TBS系列「JNN報道特集」で、東京からの首都機能移転問題が扱われた[1]。この中で、佐治敬三が、
 
「仙台遷都などアホなことを考えてる人がおるそうやけど、(中略)東北は熊襲の産地。文化的程度も極めて低い」
 
と発言した。この発言が原因で、サントリーに対し東北地方での不買運動が起こる事になった。
 
熊襲(くまそ)とは、古代の日本において九州南部にいた反朝廷派勢力をさした言葉で、東北地方の住民は蝦夷(えみし)と呼ばれていた。いずれの呼称もヤマト王権側の畿内(近畿一円)から離れた地域を下位に見る傾向から付けられた蔑称であり、ヤマトタケル神話などではともに征伐される対象として登場するため、どうあれ文明の低い「未開人・蛮族」というニュアンスの言葉である。
 
背景
 
当時は首都機能移転の議論が行われていた時期の一つであり、仙台市や南東北3県では誘致活動に熱心であった。同じく近畿地方でも新首都誘致の活動が盛り上がっており、俄かに郷土主義的な対立が高まっていた。そうした中で近畿地方の財界人の筆頭による差別発言が行われ、東北地方を中心として強い反発を招くこととなった。
 
サントリーは美術館やコンサートホールを運営するなど予てより企業メセナに多くの資金を投じ、文化的な企業としてのあり方を標榜してきた。こうした文化貢献はオーナー一族出身の社長である佐治の意思で行われていたにも関わらず、その当人から発せられた特定文化・民族に対する蔑視発言は矛盾した行為として非難の対象となった。またそもそもサントリー自体が日本を代表する大企業の一つであり、社会的な影響が大きい事も発言が重く受け止められた理由になった。
 
名指しで批判を受けた仙台市では300本以上の抗議電話が殺到し、サントリー仙台支店は対応に追われる事になった。まれに励ましの電話を受けた時、女性社員が感動して涙したと朝日新聞が報道している[4]。他に秋田県では当時の佐々木喜久治知事の指示で同県共済組合の保養・宿泊施設におけるサントリー製品の仕入れが停止される異例の事態となった。
 
、青森県では野辺地町でサントリーの原酒工場の計画が進んでおり、熊本県との間で誘致を競っていた。北村正哉知事は表立った批判を避けるなど配慮を示し、また地元でも工場設置を望む声が引き続き強いなど東北各県で対応が分かれる結果となった。抗議運動に温度差があることについて週刊新潮は「怒ったフリする東北」と題した記事を掲載している。
 
1988年3月9日、衆議院予算委員会で沢藤礼次郎衆議院議員は「ここまで言われたのでは東北人のプライドといいますか、大変傷つくのも無理がないわけであります」と差別発言を批判する意見を述べている[8]。一方、当時の竹下内閣の奥野誠亮国土庁長官は「首都を自分のところへ持っていきたい、その熱望の余りに口が滑ったというふうに受けとめたい」と批判する意見を述べている。
 
また本来の「熊襲」を含む地域であり、同じく畿内から離れた地域である九州では殆ど抗議運動は起こらなかった。用語はともかく差別発言の対象自体になった訳ではなく、また熊襲と定義されていた地域も一部に限られている事から当事者意識は余り抱かれなかった。むしろ青森県と工場誘致を競っていた大分県では地元の経済団体が佐治を応援する形で講演会を開き、歓迎ムード一色であったという。その大分県と誘致を競う形となっていた熊本県の細川護熙知事は発言についての言及を行わなかった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E5%8C%97%E7%86%8A%E8%A5%B2%E7%99%BA%E8%A8%80
 
 
 
 

さて佐治敬三の蝦夷と熊襲の取り違えは、西日本人の東北無知・無関心を如実に示す歴史的誤解として歴史学や神話学でもよく持ち出されるエピソードである。
西日本人の佐治は熊襲と蝦夷の違いもわからなかったのである。明治時代の民俗学者喜田貞吉は蝦夷を「毛人 もうじん、けひと、けっと」などと表現している。一方、記紀には熊襲を毛深い人つまりやはり毛人としてある。たがいに中央部の渡来人子孫とは別種であるとしてあるので、佐治は混同していた可能性はあるのだが、どっちにせよ東北人や九州南部人を異人種
だと言ってしまったことに変わりはない。今なら大変なことになってしまう出来事だった。

この時から東北ではサントリー不買運動が勃発。あらゆる飲み屋、スナック、バーからサントリウイスキーその他の商品は消えてしまう。代わって当然のようにニッカが台頭。

なぜサントリーとニッカが不仲になったかは、
「1933年11月、寿屋は突然、横浜工場を売却する。購入額よりはるかに高値であったことから、寿屋にとってはよい商談であったが、工場長である竹鶴に事前に何の連絡もなかったことから、寿屋に対し不信感を持つようになる。
大日本果汁(のちニッカウヰスキー)の設立
1934年3月1日、後続の技師が育ってきたこと、帝王教育を竹鶴に任されていた鳥井の長男・吉太郎に一通りの事を教え終わったこと、最初の約束である10年が経過したことから、竹鶴は寿屋を退社」
 
から想像するほかはない。ニッカとサントリー間にとりたてて確執はなかった。
ただ竹鶴はあまりにも職人であり、鳥居はあまりにも経営者であった、それだけのことである。入社時はその違いが利点に働き、互いが相乗効果をあげたが、退社時には今度はそれが職人の理想から遠ざかっていく、それは最初からわかっていたことである。

どっちにしても、日本でウイスキーへの嗜好性は、本格洋酒の安くなったことや焼酎ブーム、安い発泡酒ビールの登場などで終焉したといってもかまうまい。ハイボールも水割りもオンザロックも、実はシングルモルトウイスキーの楽しみ方としては邪道である。しかし日本人にはショットでやる習慣はいまだに根付いてはいない。自前の蒸留酒でさ湯で割るのが日本人。それは酒に強いとされる鹿児島県人や九州人がそうするのであるから、もともとアセトアルデヒト分解力の弱い渡来系雑種の日本人には蒸留酒のショット飲みそのものが向いていないのだ。

オンザロックこそが日本人のウイスキーの飲み方のNo.1である。
 
さて熊襲と蝦夷の取り違えから見えて来るのは、西日本人と東日本人の大きな溝である。日本史上、これも二度の遷都で見えてくる。鎌倉の遷都から室町幕府の平安復活。信長の安土から家康の江戸の二度の首都変更である。東国人はあきらかに京都へのコンプレックスがある。

鎌倉時代という時代区分はよくわからないところがある。まず鎌倉のような狭い地域で、しかもあのように首都機能としては貧弱な場所で、果たして首都と呼べたかどうか?またかりにそうだったにせよ、当時の都はやはり京都のままで天皇はちゃんと御所におられたわけである。これは江戸幕府も同じ。天皇が関東に移るのは公武合体以後である。鎌倉は頼朝が源氏の武家政治の中心地として平安京の古き悪しき慣習から離れるために作られたわけだが、その源氏の世の中はわずか三代で幕を閉じ、あとは摂関家として平氏の北条家が幕府を運営。結局、足利家が南北騒乱に勝って、また首都は京都へ戻ってしまう。

次に応仁の乱から足利家は没落し、戦国時代となって信長が台頭、都を琵琶湖へ。これを受けた秀吉は大坂遷都。しかし浜松殿が今度は江戸へ遷都。そのまま明治政府も東京へ改名して、以後、東京関東人の関西嫌いが定着した。「京都は人をだめにする」「京都で学ぶと遊び人になる」などと東京大学は言い始めてしまう。まあ、しかし東京で学んでも、なる奴はえらくなるが、ならない奴は遊び人になることに変わりはないだろう。遊び人になれるほど根性があれば、大臣にだってなれとも言える。筆者の経験では確かに京都で学生になったら遊び人になったけどね。逆に言うなら京都で遊んでないから東京の政治や学問は杓子定規でつまらない、という言い方だってできてしまう。
 
関東人には関西人への、関西人には関東人への、それぞれ差別と排他はある。それはむしろ当然のことである。歴史が違う、言葉が違う、味覚が違う、住んでいる環境が違う・・・。
 
自由主義で見るならば関西はばらばらで自由である。関東はひとつの類型を押し付けて不自由である。簡単な例では関東では信号を無視したらしかられるし、列に並ばないとしかられる。これは不自由であるが平等である。関西には自由は山ほどあるが平等はない。もともと公家が作った関西とン、武家が作った関東が水と油なのはあたりまえ。鳥居と竹鶴がやはりそうだった。
 
ただし環境で考えるなら、関東・東北は冬は寒いし、雪が降り、地震はあるは、夏はクソ暑いと、かなり劣悪。関西・西日本は、夏は暑いが冬暖かく、雪は少ないし、地震も少なく、晴れた日が多くて経済活動の邪魔をしない環境である。だからなぜ東京に首都があるのか、外国人には不思議である。まして放射能の危険性も高い。ハブ空港は遠い。犯罪は多いし、危ない外国人もたくさんいる。細菌やウイルスは一番に東京に上陸する(これは首都だからしょうがないか)。東京は本州の最東端で、東アジアからも欧州からも一番遠い不便な土地である。それだけ経済的にはよくない遠隔地なのである。なぜ中心に首都がないのか?
 
いろいろなことを勘案してゆくと、ぼくは岡山県が首都には一番いいように見える。つまりかつての吉備王国である。
 
 

 

 
 
 
 
 
 
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