腰穴 こしあな
 新温泉町二日市の「浅谷下山古墳群」で、古墳の埋葬施設(木棺)の下から副葬品を納める腰穴などを確認し、県教委が発表した。古墳時代の腰穴の確認は県内で初めてという。

 同古墳群は岸田川に面した山の尾根にある。浜坂道路(国道178号)の整備に伴い、県教委が県まちづくり技術センターに委託し、5月から発掘調査を実施したところ、弥生時代後期末(3世紀後半)から古墳時代初め(4世紀前半)の墳墓・古墳を7基確認した。
 



 埋葬施設の木棺はすべて流失していたが、尾根上部の古墳時代の7号墳は、埋葬施設の下に副葬品を納める長円形の横穴(長さ80センチ、幅45センチ、深さ15センチ)があり、「珠文鏡」と呼ばれる銅鏡1面(直径7センチ)、竪櫛の一部、碧玉製の小玉、土師器(はじき)の高杯などが埋葬されていた。

 腰穴のある埋葬方法は中国、韓国にある風習で、国内では弥生時代にみられたが、その後途絶えた。7号墳は古墳時代に復活したことになるという。

 同センター埋蔵文化財調査部の渡辺昇・副課長は「腰穴は県内では弥生時代の尼崎市の遺跡で確認されているが、古墳時代の腰穴は県内で初めてとなり、身分の高い人が埋葬された可能性がある」と話している。

 一般向けの説明会は、25日午後1時半から2時半まで、新温泉町の山陰海岸ジオパーク館で行う。
 
 
 
腰穴。
はじめて聞く言葉である。
「腰穴のある埋葬方法は中国、韓国にある風習で、国内では弥生時代にみられたが、その後途絶えた」
どうやら埋葬施設の下に副葬品を納めるための別区らしい。
 
弥生時代の風習だったものが古墳時代に復活。
 
場所は兵庫県美方郡新温泉町二日市
 
日本海側の鳥取寄り。
兵庫と言えば日本海なら東部の城之崎、出石であるが、正反対の西部である。
どちらかと言えば出雲文化圏が近いところだ。
 
腰穴について用語検索しても見つからない。
ほかの地域でもあったようだが、どこだか不明。
 
 
いきなり「腰穴」と来ても、しろうとにはさっぱりである。
 
解説のしようがない。
 
ニュースソースを作る人間は、こういう初出の用語に疑問は感じない奴が多いらしい。ジャーナリストの癖に・・・。好奇心や探究心もなく、用語を右から左か・・・。次元が低い。ちゃんと用語解説くらいつけた記事にしていただきたいものだ。長年考古学の本を読み込んできたが、そんな筆者でさえ知らない言葉。
 
 
 
想像するに、弥生時代は甕棺?、あるいは周溝墓石槨の下に穴を掘ってそこに副葬品を入れたのだろう。それはたぶん、盗掘を恐れてのことだったか?穴や槨が小さいからそういうスペースしかなかったようだ。
 
その様式をこの古墳の被葬者は古墳時代になってまだ継続してきた氏族ということになる。日本海の旧態を残存させる傾向のひとつか。
 
 
 
いずれにせよ、古墳と言う祖霊再生装置が、決して全国画一でなかったことをこれも示す遺跡だと思う。
 
 
 
しかし、これでは腰穴解説になってないな。
また調べておきたい。
 
 

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