鹿の角
 
 

 
鹿、特に牡鹿はその姿かたち、皮をたたらフイゴにすること、なめし皮の袋が水や砂金を入れるに絶好だったこと、さらに角が秋に落ちて生え変わる再生能力、角の形が樹木に似るためにそれが神樹の枝に見立てられたりしてきた。
 
 
 
 
さて、ひとつ前の記事に書いた、稲吉角田遺跡の不思議な土器の絵柄Cの復元したものを、見てみよう。
 
 
 

 
下に吊るしてある二個の丸いものは、実は鏡であるそうだ。
銅鏡である。
 
記紀アマテラスの天の岩戸隠れ神話に、木の枝に鏡をかけて祈るという話が出てくる。これはまさにそれに酷似するオブジェである。
 
 
 
これまでその儀式は、太陽に感応して祖霊を呼び戻す太陽信仰の再生儀式だと、誰言うともなく認知されてきて、常識化していた。
 
 
しかし、この枝の上部の枝えだが作り出す櫛目状の空間を見ると、筆者にはイザナギ黄泉国巡りで、イザナギが投げつけた「櫛の男歯を抜いて」の一説を思い出した。
 
この形状は、どうもオス鹿の角にも似ている気がする。
 
 
 
 
この絵柄がなぜ、日本海側の鳥取の遺跡の土器に描かれてあったかは、次のような解釈をすることができまいか?
 
 
枝のすきまを通り抜ける風をうっちゃる形状であると。
ではなぜ鏡を下にかけたか?
風によって鏡は回る。
すると反射光線はくるくるとあたりを照らすだろう。あたかも現代の鳥おどしのように。その光はめぐる。ぐるぐるとめぐる。
 
風がそこを通り抜けてゆくのであろう。
太陽を呼び戻しつつ、北風を難なく通り抜けさせる・・・。
春を呼び、冬のすみやかな通過を祈念する、これはその装置なのだろうと。
 
 
戌亥の風には祖霊が乗ってやってくる。そして新生児の誕生をムラにもたらす魂風だと、東北の縄文世界では信じられてきたともいう。
 
枝に季節風がもたらしてくれる生命がくっつく。
その着想は、北西からの豊かな大陸の黄砂が含まれ、また種子なども含まれている。だから日本の国土には自然に養分の多い土壌と、樹木が育ってきた。その自然にひきおこる不思議ななりわいは、ちょうど新しい命がいつのまにか母親に宿ることによく似ていた。それは風が運んでくるのだ・・・
 
中国では黄泉(こうせん)に棲む黄龍が死者の生命の再生を、春、蒼い竜が天に上って、秋に黄竜となって生命=玉を握り緊めて帰ってくるのだと信じられていた。
 
これをヨミガエリと言うのだ。
 
春の一斉の芽吹きの不思議を、古代人はそんなふうに解釈した。だから黄竜=西の下り竜は春・生命の象徴、秋の青龍は冬・死滅の象徴だったのである。これが「春耕秋収」の一年間であった。この年間二順の観念は、稲作民共通の死生観を生み出した。だから同じ中国人であっても、北部の雑穀民族である漢民族には、倭人を見たときに奇妙な風習だと見えた。しかしそれは漢民族がかつて追い出した江南民族たちには当たり前の観念だったのだ。
 
 
 
 
今日。まさに全国に季節風が吹き荒れた。
春の嵐と秋の嵐は、この稲穂の国=葦原中つ国を吹きぬけてゆくとき、多くの福と災いをもたらしてきた。福は吹く。そして枝に福だけがひっかかることを人は望んだ。災いは枝の隙間、巨木建造物の間を吹く抜けてくれればよかったのだろう。
 
 
 
切ない願いが、日本海の何箇所もの巨木の九本柱に見えた気がする。
 
 
太陽に関する冬至と夏至だけ祈っていればよかったわけではないってことだ。