結界遺構(考古学・民俗学・宗教学・人類学)
 
 
結界とは
結界(けっかい、Skt:Siimaabandha)とは、聖なる領域と俗なる領域を分け、秩序を維持するために区域を限ること。本来は仏教用語であるが、古神道や神道における神社なども、同様の概念があることから、言葉として用いられている。大和言葉では端境(はざかい)やたんに境ともいう。Wiki結界
 
 
 
結界遺構
「たとえば現在、里山に残っている近代村落を概観してみると、いくつかの氏(父兄のマキ※)で村落が構成され、家が分布している例が見られる。埋葬は共同墓地でおこなわれ「マキ」ごとに墓域を形成する事例がある。ほかには、お堂や集会場、消防小屋と火の見櫓、燃料材を積み上げて保管する「キニョ※」などが空間分布することで、集落範囲をおおよそ認識することができる。そして村境を示す結界民俗事例が確認できれば、確実にそこまでが集落範囲だと確認できるのである。」
(佐藤雅一 2014)
 
 
 
語注
※マキ
一集落内での父兄集団のうち、直系ではないが、同じ苗字を持つ父兄集団。
 
【家】より
「…また本家・分家の関係は,一族の氏神の祭祀や墓地の清掃整備を共通することなどによって,血縁関係の濃薄にかかわらず継続した。それは同姓とか一マキなどと呼ばれて,婚姻による縁戚関係とは別なものであった。田畑の細分の制限令などにより農民の分家はしだいに減少するが,新田開発等によって新しい家の増加は継続していた。… 」
 
【同族】より
「…本家とその親族分家や奉公人分家,また直接分家だけでなく間接分家(分家の分家,すなわち孫分家とか又分家と呼ばれた家)をも含む組織集団。農山漁村社会でマキ,マケ,マツイ,カブウチ,イッケ,クルワなどとも呼ばれ,商人社会ではノーレンウチなどとも呼ばれた。社会学,民族学,民俗学,社会人類学によっては同族団(同族集団,同族団体,同族組織)と呼ばれ,国際学界でもdozokuの名でとおり,クランclanやシブsibとは区別されている。」
 
 
 
※キニョ
ニョとは「積み上げたもの」。キニョは木を積み上げて山にしたものを指す。通常、キニョは長さ三尺に切られ、割った材木を整然と積み上げた貯木を言う。
 
 
 
 
 
結界の凡例
新潟県十日町市の白羽毛(しらはけ)集落と程島(ほとじま)集落の境界である十二沢に結界札が吊るされている。
 
 

 
斎つき祭る久那斗大神(くなどのおおかみ)と墨書された札を、近隣の倉俣(くらまた)集落にあるお寺の住職に祈祷のうえ書いていただいたこの結界札を、程島集落の入り口にある神木に吊るす民俗儀礼。
 
 
 
「考古学的観測によって把握されている集落範囲は、集落機能がおおよそ平坦分布する範囲を想定しており、その外縁部で営まれた観念的儀礼を背景とする結界遺構を把握することはむずかしい。また、拠点集落遺跡は、そこが平坦だから立地するということではなく、集落造成コストや「遺跡の心性・場所性」などをふまえて考察する視点が必要である。
 また、拠点集落遺跡を取り囲む里山、山、深山は、資源の宝庫である。対象によってその採取加工場跡も多様である。」(佐藤雅一「遺跡を探して守り、研究する」 『遺跡・遺物の語りを探る』2014より)
 
 
 
民俗学・人類学では結界のある集落を中世から江戸期にかける「結い」のような古い、集団意識のひとつとして捉え、集落の血脈や家、同族性を研究されてきたが、考古学が遺跡をこういう結界集落内部に発見し、発掘するケースでは、縄文から引き継がれてきた岩陰遺跡・洞穴遺跡のような、人の狩猟などの移動の最中の中継点、物置小屋のような、季節回帰性長距離移動生活者の山小屋だと認識しているようである。
 
そして、そういう集落の人びとの生活は、縄文時代から営々として引き継がれたものである限り、そこに造られた後世の遺跡・遺構も当然、その流れの中に置かれた人々=同族マキの子孫のもの、として、長いスパンと環境変化などをつきあわせたうえで古い遺跡とともに把握しておく必要があるわけである。もし民俗が変わらずにそこで存続された文化であるならば、結界札や岩陰・洞窟利用とは、一万年も長く続けてこられた風習となり、ひとつの時代だけの遺産ではなくなるからである。
 
旧石器・縄文から現代に至るまで、さして変わる事がなかった風俗があるとするなら、それは日本人の基層にある基本理念そのものを知るための貴重な資料となる。
 
 
 
なかなかすぐに「これは新しい時代の遺跡だから古代とは無関係」などと切って捨てていては、人間の行動学はつかめない。
 
 
 
 
 
また開けた土地の遺跡=開地遺跡とこれらの林間、山間の遺跡との相関関係も考えていかねばならない。
 
 
このように考古学では、当座の遺跡・遺構の調査だけでなく、周辺の遺跡空間ーセト(ツ)ルメントの調査も重要である。当時の人間の行動範囲を知るためにも。
 
つまり結界を、神秘主義者のように、極めて通常空間とは差別する(特別視・超常現象的な呪物と考える)非科学性は邪魔になる。神秘な行いを神秘のままに放置し、憧憬し、特別視することは、むしろ差別と同じことであり、溺愛するに等しい偏向・迷信であるとするのが科学の立場である。良し悪しはこの際言わぬが花だろう。
 
 
 
 
「この他、生活作法上注意すべきなんらかの境界を示す事物が、結界と呼称される場合もある。作法・礼儀・知識のない者は境界を越えたり領域内に迷いこむことができてしまい、領域や動作を冒す侵入者として扱われ、無作法または無作法者とよぶ。
また、日本建築に見られる「(ふすま)」「障子(しょうじ)」「衝立(ついたて)」「縁側」などの仕掛けも、同様の意味で広義の「結界」である。商家においては、帳場と客を仕切るために置く帳場格子を結界と呼ぶ。

空間を仕切る意識が希薄な日本においては、日常レベルでもさまざまな場面で「結界」が設けられる。例えば、「暖簾(のれん)」がそうである。これを下げることで往来と店を柔らかく仕切り、また時間外には仕舞うことで営業していないことを表示する。このような店の顔としての暖簾は、上記の役割を超えて、店の歴史的な伝統までも象徴することとなる。」Wiki結界
 
 
 
 
結界とはあちらとこちらを区切るもの。あちらがわからの侵入を防ぐ観念で成り立っている。つまり両者には精神面、民俗面、宗教面、文化面などになんらかの相違があるということが前提になるが、それ以外に、異界の侵入者を防御する意味のほうが古くから存在したと思える。十日町市のお札には「くなどのかみ」によって魔物を封じる呪が込められている。「く(ふ)などのかみ」とはつまり塞の神、道祖神、木の俣神、岐の神のことである。行く手をさえぎり魔は封じ、善は導く神。
 
 
 
このように「呪」には二つの面がある。
魔術に黒白があるように、呪にも「のろい」と「願い」の両方をかなえる法がある。念仏も呪であり、呪文である。石棺の密閉度の充実してゆく歴史はまさに呪の強化されていった歴史でもある。赤い水銀の呪性とは死者の再生を願う呪の色であり、またあるときは正反対に、死者の再生を封じ込める呪でもあったわけだろう。
 
ものごとには両面性が常につきまとう。
 
 
愛の裏には憎悪があるように。
封じられたことが必ずしも常に、のろいだったわけではない。
人の心は面白い。
 
 
 

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