「才(ざえ)を本(もと)にしてこそ、大和魂の世に用ひらるる方(か た)も強ふ侍(はべ)らめ」紫式部『源氏物語』「少女帖」
 
 

大和魂という言葉の、記録上の初出であろうと言われている。
ここで式部は「大和魂」の訓について言及していない。
読み方をどうするかは、従って私たちにゆだねられたことと考えたい。
 
『源氏』の「大和魂」を、式部の平安時代における「漢才(かんさい、からごころ)」に対しての「和魂(わこん、やまとごころ)」と筆者は読むことにしている。「やまとだましい」とは読んでいなかっただろうと見ているわけである。
 
「やまとだましい」という和訓は、歴史的には江戸時代、国学華やかなりし頃からの読みであろう。国学というのは、中国の儒教の国粋的部分をクローズアップした、悪く言えば至上主義的なところの多い学問である。
 
いつも書いているように、人は右に偏りすぎても、左に偏りすぎてもいけないわけで、筆者はあまりに時勢が左よりな、あるいは平和ボケし過ぎる反応が見える論調がはばをきかせようとしたときは、あえてアイロニーをこめて右寄りに、反対に右が強く出すぎた論調には、あえて左寄りに記事を書くことにしている。
 
例えば今話題の集団的自衛権の問題で、朝日などの世論が平和ボケしているなと感じたときは、むしろ自衛権を肯定し、オスプレイ歓迎とか、核を持つべきだと書く。これは論調や立場を明確にしているわけではない。今、やや右に寄ったところで、重大な有事には至らないことをちゃんと確認したうえでの書きようをしているだけである。それが見えないで反論してきたり、ここから去ったものは、おっちょこちょいである。

今の国際情勢は、きなくさいように見えていて、実は東西イデオロギーが対立して、いつか世界大戦へという風潮の中にはない。中東とイスラエル、あるいは中国とロシアの右傾化、なぞ、どれももっと複雑化している三つ巴、四つ巴の時代ゆえに、まだ大丈夫だと知った上での書き方である。
 
相撲界で久々に国産大関が生まれ、彼が「大和魂」などと、死語を持ち出した。その本意はもちろん、久しく日本人の横綱が出ていない情勢を意識しての「自分は横綱になる」宣言の、ひとつの意思表示であろうと思う。つまり戦時中に利用された「やまとだましい」と彼の「やまとだましい」は意味合いが違うのであろうが、戦後教育をよきもあしきも受けてきた筆者世代以上には、違和感の多い言葉だったことは否めない。
 
だからあえてこの記事を書いておくことにした。
 
戦前派、戦後派にとっては、大和魂は敗戦のあしき思い出の産物であろうし、そのあとの世代ならボクシングのハワイ二世選手だった藤猛(ふじ・たけし)の「ボクシングは大和魂」「岡山のおばあちゃん」「勝ってもかぶってもかぶとの緒を締めよ」を思い起こさせた言葉かも知れない。
 
筆者の小さい頃までは、大和魂は=日本軍のまけじだましい・・・つきつめれば、勝てるはずもないのに大国にたちむかった負け犬根性というイメージしかない言葉である。しかし平安時代には「やまとことば」に類似した漢風に対する「和風」「国風」のわびやさびを言っていた言葉でもある。
 
海外から見たときに、今でもそうだが、「和風」にはいろいろな意味が含まれていた。古墳や鏡や銅鐸を巨大にしてしまう畿内風のヘテラルキーとヒエラルキーが交じり合う時代の風習も、いわば和風の虚栄だし、まったく逆に精緻なミニチュアへ向かう職人気質もまた和風である。でっかく見せたい・・・この部分だけを軍部は取り出してきて、やせがまんや欲しがりませんを国民におしつけつつ、両方を大和魂なんだと押し付けてきたわけである。
 
それでは今の若い人にはちんぷんかんぷんだったり、少しは世界を知ったものには「右」としか見えないことになりかねない。そこで筆者は今度の大関に言葉は「やまとごころ」が正しいとしたいのである。日本人として、なんとしても横綱になるぞと豪栄道クンは言いたかったのだと捉えるようにしている。
 

このように、言霊はちゃんと理解してやらないと、ときおり、とんでもない反発を生むこともある。一昔前の柳沢大臣の「女性の生む機能」発言など、まあ冷静に考えれば、ちゃんと理解できる言い回しだったのだろう。何も女性が産む機械だと言ったわけでもないのに、機能という言葉を勝手に誰かが「出産マシーン」みたいに思い込んで、思わず世論もそれに乗せられたが、機能という言葉にマシーンの意味はなく、あくまでも彼が少子化をまじめに考えていたからこそ出た言葉だったと当時から思っている。
 
なにか言葉尻だけをとって、一大事!だとしたいのはいつもマスコミであり、それにのせられてしまうから、先の大戦なども大和魂が復活してしまったのである。こういうのはヒステリックでシニカルな、日本人の悪いところだろう。もうすこし、言外の思惑をおもんばかって理解してやる方向性、寛大さは、特に日本のマスコミを中心として必要になっている。それこそが「やまとごころ」のやさしさではあるまいか。
 
 
 
 
次回、古墳の持つもうひとつの「機能」を類推する。
古墳、神社がかつて「兵庫」「兵主」だったことについて。つまり自衛権のための倉庫としてのはりこの虎・前方後円墳を証明する。
 
 
 
 このように、筆者の記事は、常に振り子のように両極端に平等であらんとしている。たまさか、一方の記事だけを読んで正論で反論してくる人もあるが、わたしはある意味悪く言えば優柔不断、よくいえば懐が広い人間なのだわ。なぜなら、時流は昨今の天気のごとく不安定なものだからである。
 
 
 
あっちへふらふら、こっちへふらふらしているおっさんだと思わないで、がまんづよくつきあいなさいや。
 
 
 
 
 
 
Kawakatu’s HP 渡来と海人http://www.oct-net.ne.jp/~hatahata/
かわかつワールド!なんでも拾い上げ雑記帳
 http://blogs.yahoo.co.jp/hgnicolboy/MYBLOG/yblog.html
画像が送れる掲示板http://8912.teacup.com/kawakatu/bbs/
Kawakatu日本史世界史同時代年表http://www.oct-net.ne.jp/~hatahata/nennpyou.html
公開ファイルhttp://yahoo.jp/box/6aSHnc
装飾古墳画像コレクションhttp://yahoo.jp/box/DfCQJ3
ビデオクリップhttp://www.youtube.com/my_videos?o=U