「(縄文時代の)環状集落の平面プランに当時の社会(縄文社会)を読み取る作業は、さまざまな研究者によって、もう何十年も続けられている。マルクス主義の歴史学が華やかだった1970年代までは、真ん中の広場をたくさんの住居が囲んでいるところから、縄文時代の基本的な集団は大きな共同体で、それを構成する個人や小家族は互いに平等な関係にあった、とみる人が多かった。しかし、発掘のデータも増え、さらに検討が進められた結果、興味深いことが二つほどわかってきた」
(松木武彦2007)

1 住居は円形の広場のまわりに均等に切れ目なく配置されるのではなく、すきまをはさんでいくつかのグループになったり偏ったりする。規模にもよるけれど、環を二分~四分する大き目のまとまりがあり、それがさらにいくつかのまとまりに分かれている。

2 墓の配置、副葬品の有無・種類などに個人間の差異がある。
 
1については意外な見解が出され始めている。
普通、こうした集団の小さなまとまりは、同じ出自の集団・・・一族の集まりと捉えられる。ところが実際はそうではなく、複数の出自集団の同居とする見方が出ている。ひとつの一族ではなく、少なくとも二つ以上の一族が同居している。その理由は、近親結婚を避けるためだというのである。

さらに、円の中の複数の小集団に、最も大きな一族の血縁者が点在するのだ。この一族はなんらかのエキスパート、例えば祭祀者とか土器の専門家とか狩猟の熟練者のような、選ばれた人々で、その子孫が、円の中の多くの小集落にばらまかれるように入り、統率していたらしいのである。つまり先日書いた畿内弥生時代のヘテラルキー社会組織が縄文の環状集落には存在したことがわかるのである。

先日「あいまいでファジーな」と、ヘテラルキーを総括しておいたが、ただそれだけの漠然とした集まりではなく、ちゃんとヘテラルキーにはそれなりの連隊の小リーダーがいて、それらの連隊の並立する個別集団がまとまったのが環状集落という一個大隊であったらしい。

2では、環状集落が二重、三重の竪穴住居と掘っ立て建造物で何層にも円を形成し、中央に墓所を置き、外周へゆくほど土地が高くなっている・・・浅いすり鉢状であることがわかった(佐々木勝)。岩手県の紫波(しわ)町、西田遺跡では、広場の真ん中に十数基の墓が二列に並び、円の外側に置かれるその他大勢の墓とは、あきらかに区別されている。そして真ん中の墓群の死者の頭は、高いほうに置かれるため、円になって外側を見上げる格好になり、人びとの居住地がこれと対面していることになる。つまり真ん中の墓の人びとは、この環状集落の特別な人たちだと考えられる。しかし彼らの墓のすべてが全員豪華な副葬品を持つわけではなく、複数に区切られたまとまりに偏って出てくる。
 
 
 
 
 
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間違いないことは、縄文社会と言えども平等ではなかったということである。
 

松木武彦は「平等とは作られた概念」だと言う。もちろん、自由も平和も作り出された形骸概念である。そこには理想主義しかなく、子どもが夢見る机上の空論である。現実にはこの地球上にそのようなものは存在していないし、今後も出現しないだろう。人類は、真の自由・平等・平和を捜し求めるよう宿命づけられたあわれなクリーチャーだと言ってよい。
 
 

筆者は、すべてが平等な社会では、今度は自由がなくなると考えている。
例えば共産主義がまさにそうである。
全員が同じ地位にあって、作業を分け合い、同じ方向を向いた報酬として、平等な分配がなされる・・・一見、理想的社会に見える。しかし、そこには努力や能力による順位がなく、結果的に個人の生物としての本能である労働意欲、向上心が消えて行き、結局とどのつまりはその国家自体が萎えてゆくことになりかねない。

今話題のTPP参加問題で、なぜ日本はまとまって賛成しないか、の背景に、実は農協という奇妙な農民統率団体の強力な反対があることも、実はヘテラルキーであるべき協同組合を、ヒエラルキー序列で統率し、ピラミッド型の階級世界へ農業を牽引した農協幹部たちの、既得権益の思惑がTPP参加をけん制してきた。面白いことに、アメリカなどの先進国ではまったく逆に、農協のような組織はヘテラルキーで、共産主義に近い共同体なのが普通である。
 
なぜならば、その始まりからして日本とは違うからだ。日本では戦後の改革で、財閥と、小作人と庄屋のピラミッド体制が解体、自由になった。農協はその庄屋たちが中心になって開始されたため、庄屋・小作のピラミッド体制を復活させたかったのである。一方、社会のイデオロギーが最初から自由主義で始まったアメリカや欧州では、まったく正反対に、農業だけは平等分配と自由な開発を許容した。だから個人の努力しだいでいくらでも発展ができた。儲かっているから薄利多売に耐えられる。ところがピラミッド型で農民に莫大な資金を出させ、しかも新品種苗や農薬を押し付けるように無理強いしてきた日本では、農家がいつまで経ってもセレブにはなれないままだった。だから関税自由化で海外から安い農作物が入ってきたら「ひとたまりもない」と口々にいい、実際そうなるだろう。それは全部、農協の搾取と共同体としての甘やかしの賜物なのである。農家は明治になっても結局は江戸時代の「生かさぬように、殺さぬように」の小作人のままが長く続いたわけである。

縄文のヘテラルキー社会は、われわれが思っているより複雑だったようである。しかもうまくいっていた。それは外部からの侵入者がない、複雑な地形の中で、孤立する形でやっていけたからだ。しかし、弥生時代になると、南下していた縄文集落の人びとは、武器を持つ渡来人を受け入れねばならなくなる。そして受け入れたのである。弥生時代の近畿や瀬戸内の縄文的遺跡には、円の集落の思想と、弥生の最新技術が同居するようになる。
 
 
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弥生環濠集落も縄文の思想で作られたのが近畿
 
 
 
 
 

北部九州では世界のヒエラルキー思想がいちはやく実現し、須久岡本や三雲南のように、墓に序列がはきりと現れるようになる。奴国王や伊都国王が登場したのである。ところが縄文の影響が強い近畿では、いつまでも円の思想が残存し、卑弥呼の時代になっても、各地の小集落内部で「魏か呉か」のこぜりあいがあり、なかなかまとまれないまま。仕方なく呪力を持つ巫女王を立ててメンタルに統合するしかなかった。しかし、大陸でことあるごとに、またまた結束は壊れるを繰り返した。あっちだ、こっちだで、いつまでたっても世界的な古代国家世界はやってこないのである。これをまとめられるのは、結局、実力主義者の登場しかない。それが倭五王だったのである。
 
 
 
いわつる弥生時代の環濠集落とか、卑弥呼の居館にしても、巫女女王は中心であってもただの預言者であるだけで、政治的には縄文の環状集落のままだったのだろう。それが近畿の伝統的あいまい政治の始まりだったのだから、それを引き継いでいる東京の明治政府もまた「寄り合い所帯」で、縄文のイデオロギーから始まったのである。日本は敗戦によってようやく古代から抜け出し、一気に加速して大車輪で欧米に近づいた。これでは中身はまだ古代で当然である。中国や韓国もそうである。人のことをどうこう言える立場にみんなない。それが東アジアなのだ。
 
 
 
 
日本が古い多神教や天皇にとりこになっている間は、本当の「精神の近代化」は達成していないと言える。だから、いつまで経っても「おまえが結婚しろ」「子供をおまえが作ればいいじゃないか」なんていう下劣で低俗な前近代的野次が飛び交うままなのだ。センスがないにもほどがある。土建屋のおやじ並みのノーセンスである。だから白蓮はかけおちするのだ。なんのこっちゃ?
 
 
 
どっちにせよ、日本人は明治政府を選択し、それに従って動いた結果、大敗北をした。明治政府を作り上げた勤皇の志士たちにあこがれたりするにわか歴史ファンの気持がさっぱりわからない。ただへたくそな物まねをしてみせただけの古代国家である。
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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