歴史区分のおおまかな定義

欧州史では

[原始(先史)]
 文字が無く、遺跡や遺物から推測する。新石器時代前半。土器の使用。
 
 [古代]
 文字の使用により文献が残っている。青銅器や鉄器が鋳造される。
 国が出来る。
 
 [中世]
 絶対王制。中央集権国家。
 
 [近世]
 封建主義社会。権力の分散。新勢力、諸公(貴族、大名)の台頭。
 
 [近代]
 産業革命以降。第三の勢力(市民層)の台頭。
 
 [現代]
 第二次世界大戦後の新秩序に基づく社会。
 
 
 

日本史では
[先史]
 旧石器時代(縄文時代)~古墳時代
 
 [古代]
 大和朝廷の成立~奈良時代
 
 [中世]
 平安時代~
 
 
 [近世]
 ~戦国時代~江戸時代
 
 [近代]
 明治維新~第二次世界大戦

 [現代]
 第二次世界大戦後~
 
となっている。
 

日本の歴史では、例えば神武天皇のような征服とされていてても、勝ったというより在地先住氏族を嫁にして、「婿入り型」先住残存、共立王しか登場してこないが、実を言うと倭五王は『宋書』の倭王武の描き方ではあたかも征服王であったかのように自称したとなっている。もちろんそれは神武東征同様、対外的に大陸の世界史に沿った見栄でもあっただろうが、西欧中世(中古)の条件、定義に照らしてみれば、中央集権、征服政治王へのとっかりであり、先土器~縄文~弥生~古墳~飛鳥時代へと、長いスパンの広義の古代の中では異彩を放っていると言える。

朝貢、宗教王、畿内内部に限るなどの定義からはみ出す部分も多々あり、確かに古代だったのは間違いはない。ただ、建造物に関しては、西欧で仰視型王墓・祭祀場から対面型の教会・寺院への以降の一時期に、巨大寺院、教会(ゴチック様式)への道が登場したことで観るなら、倭王の巨大古墳の突然の登場は、それまでの纏向の巨大古墳からは隔絶するほどの巨大さをもって造営されているのは、実に不思議な現象なのである。

古代日本人の巨大化嗜好は、弥生や古墳時代の鏡、銅鐸、古墳などに顕著であるが、それが何をオリジナルとして巨大にしたくなったかは謎で、中国にも朝鮮にもドンソン文化にも、あのような馬鹿げたといえるほどの壮大な底辺を持った鏡も鐸も古墳もないわけで、まったく日本人がどこかでピラミッドでも見てきたか、ストーンヘンジでも観たのかと、思えてくることになる。

ある意味で、大陸的な中世王意識が倭五王にもまったくなかったとは言えないかも知れない。すると次の飛鳥政権はそれを引っくり返し、元の先史の王権に逆戻りしたのではないか、そう思えてしまうほどである。つまり対外的にオープンだったのは蘇我氏の一時期だけであり・・・未完
 
 
 
 

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