4坂・境・敷居 ピラミッドは山の形状だが、ある意味死の世界と現実世界を区切る「さかいめ」の装置でもあっただろう。「さかいめ」の「さか」は「坂」「堺」「界」「境」である。「かい」は世界・境界・他界の「かい」である。あちらとこちらを分かつもの、地点。家の中なら「敷居」である。山里なら山と里のあいだは「さとやま」である。エジプトには高い山がないが、河岸段丘はかなりの高さを持ち、それは常にあの世への境であったナイル河に寄り添ってきた。だから河岸段丘=山であり、その向こう側は他界である。日本の河岸段丘のつくる台地中腹に横穴古墳が山ほどあるのも、王家の谷が河岸段丘直下にあるのも、ほぼ同じ他界観でそうなっている。


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こうした境目に墓を作るのは、そこから先に黄泉の国があると考えられたからである。そして死者はここで生き返る=黄泉から帰る=蘇ることを期待された。

ヨルダン川流域のエリコは世界最古の遺跡のひとつがあるが、エリコの古代人たちは家屋の床下に死者を埋葬する風習があった。http://poyoland.jugem.jp/?eid=539

台湾の高砂族も家屋内の床下、敷居の真下に死者を埋める。日本では東北の縄文中期くらいから柄鏡型住居の通路(方形通路部)に幼児死体を入れた甕(土器棺)を埋める。

『播磨国風土記』
「昔、丹波と播磨の国境を定めたとき、大甕(おおみか)を坂の上に掘り埋めて国の境とした。だからここを甕坂といふ」

『日本書紀』には黄泉比良坂(よもつひらさか)とある。あの世とこの世を隔てる坂で、古墳石室のやや下ることの多い長い玄道もこれである。

『古事記』孝霊天皇・崇神天皇記、『住吉大社神代記』などに、土器を神に80個ささげた記事がある。

ある時代の古墳から、必ず同じ様式の(おそらく河内の陶邑製品)巨大な須恵器甕が出てくる。全国的に出るし、出るのはその地域でもトップクラスの大きな前方後円墳である。おそらく被葬者は国司クラスの豪族であろう。甕に最初は夭折幼児だけを入れて家屋内に埋めていたのは、祖霊が乳幼児によりつくと考えたからだろう。その考えはのちの陰陽師の使う形代(かたしろ)に引き継がれたと思える。今でも子どもの遺骸の代わりとして神社に人形を収めたりする人がいる。弥生時代の甕棺も最初は幼児だけだが、次第に大人もそうされていった。

古代ギリシアでも甕を埋めている。
エジプトのコプト教徒(初期キリスト教徒)たちは、洗礼前に子どもが死ぬと壷に遺体を入れて家の床下に埋めた。そしてそうすると母親はまた子宝に恵まれると信じられていた。祖霊は幼児によりつくのである。鳥が子の魂を天上界へ持ち去り、そこで祖霊の魄が乗り移り、山の上に降りてくる。それが床下の遺体を蘇らせるかのように、新たな生命を根付かせ、ムラの血脈はつながり護られる。


エジプトの遺跡の住居跡から、おびただしい数の幼児遺体の入った箱や壷が出る。


 エジプト第6王朝の高官シェンドワの埋葬室の偽扉の真下の地下6階に相当する深さにある通気孔にちらばる石灰岩製の壷(撮影日不明)。これらの壷には、鴨をかたどったものや、鴨の骨が入れられていたものもある。 シェンドワのサルコファガス(棺=ひつぎ)は湿気と腐食によって形が崩れていたが、埋葬室には高さ30センチのオベリスク(写真奥)など、比較的保存状態のいい埋葬品がいくつか残っている。エジプト最高考古庁事務局長のザヒ・ハワス氏は、「このオベリスクは太陽神ラーの崇拝の象徴である」と述べている。

Photograph courtesy Egypt Supreme Council of Antiquities

王族はカノプス壷という死者を象った壷を骨臓器とした。

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ミイラは死者の復活のときの肉体、骨臓はそのために保管した。これは貴族だけ。



古代エジプトにおいて死とは来世への 旅立ちであり、 輪廻転生に基づく死生観が文明に非常に大きな影響を ... 再生、復活を 遂げる 」辰巳和弘


日本では胞衣(えな=臍の緒や胎盤)を埋める方法も中世前後に行われた。

このように、広く東西世界で、坂、床下、敷居などは黄泉と現世の境目であった。

なお、土に埋める行為は境界線、国境の印でもある。出雲の銅剣や銅鐸をひとところに大量に埋めた意味も、おそらくここにあったのかも知れない。整地と平常の生活空間との区切り=ここから黄泉世界の印である。


5 穴
キプロス島のソロモ二のカタコンベは地下施設として有名である。




カタコンベ奥から湧く水は眼病に効くといわれるが、それ以前からこの穴は、聖母マリアのイコン(聖像。なおアイコンはイコンを起源とするマーク)が置かれ、死者の再生復活や妊娠祈願のための施設だったと考えられている。湧き水はどの世界でも生命の源泉である。

古代エジプトで「穴を潜る」という言葉は、妊娠祈願に使われた。アコリス近郊の険しい山の上に穴があり、妊娠を望む女たちは、山をのぼり、狭い正方形の横穴を潜り抜けた。

穴はつまり産道である。古墳の玄道もそうである。だから奥にある玄室は当然は母の子宮であり、つまり前方後円墳とは女性のヴァギナを象ったものだとわかる。しかも周囲には羊水=環濠が作られた。これはあきらかな母体回帰による再生装置であることを意味する。

ヘロドトス
ランプシニトス王は、ギリシア人がハデス(冥界)の在るところを考えている地下へ生きながらに下ったということで、ここでデメーテル(イシス)と骰子(とうし・サイコロ)を争い、互いに勝敗のあったあと、女神から黄金の手巾をもらい再び地上に帰ったという。これ以降、エジプトではこれにならった祭を行うようになった」

地下、洞窟、人穴などに潜った神・人間が戻ってくる話は、日本のイザナギ・イザナミ神話、諏訪の甲賀三郎人穴伝説など世界に多々ある。つまり黄泉からの再生、甦り説話である。あきらかに母体回帰と祖霊復活、神獣変身譚などをからめた再生、通過儀礼である。



6 十字路・三叉路・又
三叉路つまりY字路のYについては、過去、何度か書いた。Yは女性性器であり、木の股神が道祖神である。生命が生まれ出る根源で、聖地であるので、川俣や道の股は、聖なる場所。また川俣の突端部で埴輪やハソウを用いた再生儀式が古墳では行われた。三叉路も十字路も分岐点であり、人生・運命の分かれ目であり、ハレ土と穢土の分かれ目、魔界とうつせの分かれ目である。十字架が西の世界で強く宗教の象徴とされる理由もここにある。エジプトのアンク十字架や、ケルト十字架には、先端に男女の混交を現す楕円形部分があるが、つまりそれは卵の形状であり、生命の根源を指す。十字は時間と空間の彼方を指す。

ルルカー「水平線は垂直と交わり地上に横たわるものは天に聳えるものと一体となる。干からびた十字架の木自体が生命の木となる。

交差するところから生命が湧く。交差点をたくさん持つのが籠であり、その模様がカゴメである。陰陽道の九字も多くの交差を描くことで魔よけとなる。直弧文の×も魔よけである。宮古島の狩俣では、ススキを狩って、円を描き、真ん中に交差模様を作る。いわゆる丸に十の字形にして産小屋入り口に下げたり、窓に吊るして安産を祈願した。同時に幼児の夭折を防いだという。十字路を日本では国字を用いて「辻」と書くが、往古から辻では村の祭りが行われた。

エジプトではピラミッドやマスタバ墓の壁にはたくさんの格子模様が描かれる。
二股ではエジプトにはワス笏がある。

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底部が二股に分かれている。王権威の象徴。


杖が権威の印となる例は多々あるが、同時に聖者の杖でも在る。
宝塚古墳出土の巨大な船の埴輪には、二股のV字形柱が立っており、古墳から出る王の杖もY 字形、V字型が多い。二股=神である。あきらかに女性の陰部を象って、生命をつかさどるもの=王を現している。


ヘロドトス
「エジプト人たちの言うところでは、そのウシ(母牛)は天上からの光によって受胎し、アピスを生むそうである。アピスと呼ばれるこの子牛は次のような特徴を持っている。黒色であり、額に三角形の白斑と背中にワシのような模様を持ち、尾が二股に分かれており、舌の裏にコブがある」



牛と言えば・・・・


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以上、ここまで1・2に渡って王族よりも民衆を中心に古代エジプトの死生観を書いた。テレビでは王族・貴族のことしか扱わない。民衆のことはほとんど知られていない。王でさえ、ツタンカーメンが知られたのは、未盗掘で金銀財宝がごっそり出たからである。もっと偉大な王のことなど、ほとんどの人々は知らないままだ。ツタンカーメンはなにも業績がない王であり、父親アメンホテプ4世のほうが歴史上は重要である。それは世界最初の一神教による国家統一を目指し、あえなく二代でついえたという意味で、世界史・日本史にとって貴重な前例となるからである。

人はイメージしか過去の人物像をとらえない。それはただのファンである。
歴史を知っていることとは別である。歴史マニアと歴女・歴ファンの違いだろう。
もっとも、そんなマニアな知識など一銭にもならない。世の中は大事なことは金にはならず、つまらぬことほど金になる。特に女子と子どもは金になるようだ。それではいかんなあと感じていただきたいね。




なんか最近、来訪者がまたぐんと増えている。
フェイスブックの影響か?でもほとんどはブログ監視組織の鵜の目鷹の目か?
来るばかりで反応もなし。うれしくねえな。