今日からしばらく、古代エジプト人と世界・日本のそれとを比較する。

地形から見る古代エジプト人の境目意識
1 川  オシリス神話では、ナイル河は境界である。近隣では例えば西アフリカの西部にあるシエラレオネ共和国のメンデ族も、死者の霊は河、あるいは山を越えるとされるが、『オシリス神話』でも、オシリスは弟セトによって殺され河へ投げ込まれた。この話は民俗学的な類型伝承で、世界中に聖人やのちの王が生まれてすぐに河に流される話が存在する。日本でも、河ではないがニニギの命は地上界へ天孫降臨するのに、真床御衾という布団にくるまれて下ろされたが、ペルセウス、モーセ、ロームルスとレムス、サルゴンらの王、聖人も同じように川に流され、王女や庭師にひろわれる。河川はあの世とこの世の境目であり、生き返るも殺されるも、その境目を越えることで決まる。


セべク神

ナイルと言えばワニははずせない。ワニ=セべク神はナイルの主であり、ギリシアではワニの語源となったのはクロコディボロというポリス(都市)である。インドでもワニは男根とヴァギナの合体したリンガの姿(クンビーラ=金比羅神)で表され、生命の根源、水の湧くところでマカラというクンビーラの乗り物であるキメラ動物の口が蛇口になっている。それは日本に持ち込まれると獏や象になった。





マカラもワニ・カバ・パーチ(淡水の猛魚)などのキメラ

ソベク・ラーは太陽神と生命誕生の神の合体したキメラで、エジプトの重要な神になった。こうした絵柄は遺物として、マジカルナイフ、マジカルワンド(棍棒)などのナイフや棍棒や、枕の脚の女神トゥエリスとともに絵柄になって今に残されている。


トゥエリスとはギリシア語ではタウレト女神で、姿はカバだが、女神としては大地母で、インドのマハ-カーラやシヴァ、中国西王母や女媧に同じ。エジプトではこの女神が河の王・生命の根源としてアテンの使者だったものが、おそらくアマテラスのように太陽神ラーと合体することで一神教化した。持統女帝以後のアマテラスの男太陽神入れ替わりとほぼ同じである。




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太陽と水は、生命の根源であり、聖なる王たちは河から生まれる、河で再生されると考えられた。日本でもお盆の精霊流しなどは死者に託す祖霊の往来を灯篭の明かり=生命・霊魂に見立てた再生儀式である。この死生観は、そのまま洪水神話につなぐことができる。洪水による国家、国民全体の再生・更新である。つまりそれは王の死と、聖なる動物とのまぐわいによって、新生国家が始まる=易姓革命が起こったと考えるべき大事件を指すことになる。





2 山  
「特定の山が聖山となる、霊山と仰がれるというのは、何を意味するかと言えば、生き身の俗界の人間が、その山へ入ることによって聖なる世界へ、あるいは神や霊の世界へ入ることだ。それは俗界を去って霊界へと超越する。逆に言えば、神や霊はそこを越えて俗界に降臨するということにもなる。そこは俗界と聖界の交わるところ、天と地の接するところなのだ。だから古代においても、中世においても・俗なるものから聖なるものへ、人間から超人間へと飛躍するための、超越のイニシエーション(通過儀礼)的実修験に聖山、霊山がとくに重要だった」堀一郎





ピラミッドは山を模した祖霊昇天の墓であると同時に、王の再生のための装置でもあったことは、早稲田大学などの考古学の発掘ですでに明確化して久しい。これは日本の古墳もまったく同じ死生観で共通している。




3 太陽
日本の太陽信仰も、古代エジプト、あるいは中欧のケルト民族の太陽信仰も、またはるかに遠い南米アステカやマチュピチュの太陽信仰もそうだが、海や河を経て渡ってゆく人々、つまり海洋民族と、農作によって生きた農耕民族にとって太陽こそがすべてであった。一方、遊牧民やポリネシアのトリガーボート民族には星こそが頼りである。

日本の最初の王朝を作った天武天皇は、遊牧民族や海人族の星信仰(のちに仏教から派生して妙見といわれる)つまり天文遁甲の国家作りは、しかし天武が死ぬと、がらりと旧来の太陽神に逆戻りし、しかもその神は女神であると激変した。理由は藤原氏が女帝を傀儡として藤原氏のための政治を行うためにほかならない。

同じことはエジプトでも起きている。前に書いたツタンカーメンの父であるアメンホテプが新しい太陽神アテンによる一神教を初めて開始したとき(アマルナ改革)、アメン・ホテプは改名してアクエン・アテンと名乗る(アメンの子からアテンの子へ)。跡継ぎの息子トト・アンク・アメンもトト・アンク・アテンに改名。しかしツタンカーメンはすぐに若くして謎の死を迎え、アマルナ宗教改革によった画期的一神教国家構想は瓦解させられた。これはまったく天武から持統の記録と同じ政権と信仰神の逆戻り状況をあきらかに表す事件である。
つまりツタンカーメンの死も、天武やその子どもの草壁皇子を始めとする親王たちの死も、政治的暗殺だったことを暗示していると言える。


続く

次回、坂・辻・手形