一神教の誕生
アメンホテプ4世
Imen hetep
生年紀元前1362年?~没年紀元前1333年?、在位期間は紀元前1353年?~紀元前1336年?
息子はツタンカーメン。
多神教であった従来のエジプトの宗教を廃し、「唯一神アテンのみを祭る世界初の一神教を始めた」事が挙げられる。ただし、著名な宗教学者のエリアーデは、アメンホテプ4世の宗教を評し、「実際には二神教であった」としている。 というのも彼の宗教ではアテンのみならず、伝統的なエジプト宗教と同じく王たるアメンホテプ4世自身も神であるとされたからである。

アテンは太陽円盤の形で数多くの手を持っており、通常のエジプト宗教においてこれは多くの民を救う為のものであると解釈されていたにも関わらず、アメンホテプ4世の宗教では、アテンはアメンホテプ4世だけの為の神であった。そしてその他の一般の民に対しては、アメンホテプ4世自身を神として崇拝するよう説いたのである。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%B3%E3%83%9B%E3%83%86%E3%83%974%E4%B8%96
アテン神
もともとは夕日を神格化した神で、テーベで祀られていた[1]が、マイナーな地方神の一つにすぎず、これといった神像も神話もなく、どんな神なのか、はっきりした性質ももたなかった。そのため当初から人々の解釈としては、夕日の神であることから、太陽神ラーと同一視されたが、あまり信仰は盛り上がらず、後には神性が薄れて、天体としての太陽を表すようになっていった。
アメンホテプ4世の妃ネフェルティティはアテン神[2]を信仰していた。妃の影響もありアメンホテプ4世もアテン神を信仰していた。一方、当時エジプトで信仰を集めていたのはアテン神ではなく、旧来の太陽神アメンであった。アメンホテプ4世の治世に於いてアメン信仰は全盛期を迎え、アメンを讃えていたエジプトの神官たち(アメン神団)はファラオをも凌ぐ権勢を誇った。アメンホテプ4世は、アメン神団を抑圧し王権を強化する目的で、自分の名も『アクエン・アテン』に改め、アメン神の文字を削った。王家としてのアメン信仰を停止し、アテン信仰をもってこれに換えたのみならず、他の神々の祭祀を停止したため、多神教ではなく一神教の様相を呈するに至った。これを「アマルナ宗教改革」または「アマルナ革命」[3]という。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%86%E3%83%B3
 
太陽神アメンがエジプト従来の多神教の太陽神であったのを、アクエン・アテン王と変名してまで唯一絶対神としてしまったのがアメンホテプ4世の時代である。アメンホテプのアメンは当然アメン神としてのエジプト王という意味だった。息子のツタンカーメンもエジプト語ではトゥト・アンク・アメン(Tutankhamun、Tutenkh-、-amen、)と、やはり「王杖であるアンク十字架を持ったアメン神の使い」のトトというネーミングになっている。
 
アメンとラーとアテンの違い
太陽神ラーとアメンが合体してアメン・ラーというのがこの時期までのエジプト王朝の太陽神であった。その中でアメンとは豊穣の神で、「隠されたる者」という意味があるものの、この時、この神は地方に散在するいわゆる「その他大勢の神」という位置づけである。それが本来の多神教の最高神だったラーと合体する時代がある。
ラーはエジプト神話における創世を行ったと言われる九柱神のうちの太陽の神であるから、ちょうど五柱の天地創造神から生まれたアマテラスのような存在。その後創造神アトムと融合してラー・アトムとなりエジプト神話における最重要神となった。古代エジプト末期までに様々な神と融合し続ける。
アテンはアメンホテプ4世の妃の地方神。


アメンホテプ4世はそのレリーフ像の様子から、生来突然変異による奇形だったとも言われる。これについては諸説は、血のつながっていない妃や家臣らも同様にされているから、古代~中世にはよくあった貴種生誕伝説の表現であり、実際は正常だったとしている。しかし息子のツタンカーメンの夭折もあり、全否定は難しいだろう。



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確かに日本の豊臣秀吉の天才児・太陽の子としての表現にも、宣教師が書き残した六本指伝承があることは以前ここでも取り上げた。ただし、秀吉は確かにそれほど不世出で異形の天才交渉家ではあったが、子どもを作れない種なしだった可能性もある。秀頼が本当に秀吉の実子であったかも疑う余地があるのだ。すると一説として秀吉もアメンホテプ同様、同族結婚から生じやすい突然変異による奇形であった可能性も考えうるだろう。


「アメンホテプ4世の像は指が異常に長い、顎が尖る、脂肪の付き方が不自然であるなどマルファン症候群の特徴的な症状を持つように見受けられ、生前から奇形だったという説もあるが、王家の血筋ではない王妃ネフェルティティや家臣たちも同様の形式で描かれることから、これはアマルナ美術特有の高貴な人々の表現形態であったと見るのが妥当である。また、遺伝子調査による王族のミイラ特定に伴い、この表現は、王家の人々の容姿の特徴をかなり誇張したものであることも分かってきている。 病弱であったとする証拠は特に無く、かつては憶測のままだったが、2010年の本人のミイラ特定により、今後の研究が待たれる状態となっている。」上記Wikiアメンホテプ4世

真偽はともかくも、彼の時代に一神教が世界で始めて始まった理由には、やはり地球環境の大きな影響があったようである。アメンホテプの時代の紀元前1300年頃は、3200年前からの氷期を経て、サハラが乾燥化し始めたあと、文明が追い討ちを掛けて人為的森林破壊を推し進めたピークが、温暖化時代によって少しずつ回復しつつあった時代に栄えた文明が、せっかく回復しつつあった森林を破壊し、再び世界から多神教の背景となる深い森や陰影が消えた時代。ちょうど最後の安定期の小寒冷気であった。この消えてゆく森林が一神教が生まれた背景である。


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それは・・・



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