倭族の水田の特徴のひとつが棚田である。
その始まりも寒冷化にある。
漢民族によって四散させられた倭種・倭族たちの一部は山間僻地へ追いやられ、山・谷での隠棲生活をするようになった。そこで平地。河川沿いでやっていた水田稲作をする場所は山を削るしかなかったのだ。

この事情は日本でも時代時代に追いやられた「敗者」による棚田開発として同じである。多くの扇状地近くや山奥の谷あいには、そうした敗者の子孫たちが代々移り住んだたとえば平家落人伝説や貴種流離譚が必ずともなうのである。