民族学伝承ひろいあげ辞典過去記事
から再掲載する。





南島的来訪神(精霊信仰)の祭り
琉球諸島
●マユンガナシ(川平島・石垣島群星御嶽)http://www.kagakueizo.org/2009/04/post-97.html
動画http://www.youtube.com/watch?v=LZqaEnV66WM

 ●アカマタ・クロマタ・シロマタ(八重山諸島)http://blogs.yahoo.co.jp/kawakatu_1205/50647516.html

 ●アンガマア(石垣島)http://www.churashima.net/shima/ishigaki/angama/

 ●パーントゥ・プナハ(宮古島大神島の大神御嶽)http://www.youtube.com/watch?v=sTlzU1e5-RU
 

http://kamiyamasaori666.ti-da.net/e4315834.html
http://www.miyakojima.ne.jp/photo/shinjo/main13.htm

●フサマラー(波照間)http://haterusima.ti-da.net/e1708113.html

●ボシェ・ボゼ(悪石島・トカラ列島)http://blogs.yahoo.co.jp/kawakatu_1205/54977298.html

●ミルク(弥勒) (八重山諸島)http://www.kt.rim.or.jp/~yami/hateruma/miruku.html

●沖縄本島北部・・・海神祭(ウンガミ)・アガリの大主・ガナシ

追加 
●フェーヌシマ(南島系棒踊りの総称)
●ダートゥーダ(小浜島・天狗)


秋田県男鹿半島
●ナマハゲ

鹿児島県甑島
●トシドンhttp://www3.ocn.ne.jp/~nansatu/fasta8.html

石川県
●アマミハギ
●アヘノコト(あえとは阿閉。和え物の「あえ」)

石川県から愛知県にかけて
●花祭りのしらやま

新潟県
●アマメハギ

山形県
●アマハゲ

岩手県
●スネカタクリ

岩手県三陸
●ナモミ、ヒガタタクリ、スネカhttp://jomon.com/~emisi/kawara/33/33ogasawara.htm

青森県
●シカタハギ

長野県
●新野雪まつり

 
海外
北欧
●オーストリア フルト・イム・ヴァルト祭り
●オーストリアミッテンドルフ及びドイツ 冬至祭 クランプス・シャープ
●ブルガリア 新春祭クッケリ・シルバチカリ
北欧諸国各地の冬至祭・・ループレヒト・ブッテンマンドル・シャープ・ヘルシェクラーゼ・クランプス
http://blogs.yahoo.co.jp/kawakatu_1205/53546211.html

韓国済州島・・・ヨンドンクッ

中国湖南省・・・マオグースー
貴州省イ族のツオタイジ(変人戯)
   広西チワン族自治区ミャオ族のマンコウ
   広西チワン族自治区チワン族の青蛙節など13種以上

ベトナム・・・オンディア
 

ニューギニアタミ島などポリネシア、ミクロネシア、ビスマルク諸島などに無数に点在




「岡正雄「日本文化の基礎構造」を見てみよう。
彼は、そこで日本文化の成り立ちを、次の 5 つの文化層に分けて考える。
1 母系的・秘密結社的・芋栽培ー狩猟民文化
2 母系的・陸稲栽培ー狩猟民文化
3 父系的・ハラ氏族的・畑作ー狩猟・飼蓄民文化
4 男性的・年齢階梯的・水稲栽培ー漁撈民文化
5 父権的・「ウジ」氏族的・支配者文化
http://blogs.yahoo.co.jp/kawakatu_1205/55066280.html

 この日本の来訪神儀礼の源流を、太平洋上のメラネシア・ポリネシアの島々におこなわれている秘密結社の儀礼にもとめる説を提出したのが、日本の文化人類学者の草分けとでもいうべき岡正雄でした(「異人その他―古代経済史研究序説草案の控へー」『民族』三巻六号、昭和3年)。
http://www-cc.gakushuin.ac.jp/~ori-www/suwa-f03/suwa25.htm






民俗学の若き研究者・須藤義人は、琉球列島のマレビト芸能の多くが、もともとは平安時代の熊野補陀落信仰の影響下に生まれたとしているが、その半面で、熊野太陽信仰の大元にある猿田彦の名前が、琉球あたりから「ヤシの実を運ぶ黒潮に乗って、日本本土に来た」と、まったく真逆な説を肯定しようとしている。(『マレビト芸能の発生 琉球と熊野を結ぶ神々』芙蓉書房出版 2015)


一方で琉球のマレビト芸能が熊野から来るといっておきながら、猿田彦だけは琉球のサダル神から逆輸入されたとは、まことに奇妙な話である。

さるたひこは伊勢~熊野にかけての紀伊半島東部の広くに行き渡った「太陽神」であり、それは熊野というよりは、もともと伊勢・鳥羽・賢島以南の海部・海人たちの土地神として、天武・持統朝にアマテラスが統一されるべき国家神・皇祖神としてクローズアップされたときに、その地域を伊勢神宮建設のために譲ったとされる太田命の祖人である。

猿田彦が天孫降臨で、はじめてニニギの眼前に登場したときに、本来アマテラスのそば女であり、ダンサーだったアメノウズメを妻として娶らされたのは、いうまでもなく、伊勢旧族たちの国家への反駁を見張らせるためであり、それが猿女君となって、伊勢の猿田彦神社境内で、神殿に対面する「神霊の監視」位置に置かれるわけもここにある。つまりウズメは地方豪族太田命なる氏族のための”S”として送り込まれたのであろうことは明白である。


琉球、奄美、鹿児島南部などに残存する、マレビトの芸能や祭の大元を、では果たしていずこに求めれば正しいのだろうか?



上記再掲載した記事では、筆者は、岡正雄の説いたポリネシア・メラネシア由来説をとりあげた。そもそもマレビト、来訪神の原始的信仰の形態は、中国少数民や台湾原住民、ボルネオ~南太平洋の島々に、来訪神信仰として根強く、そして広範囲に残された原始的な民間信仰であることは、その類似性が証明する。

しかし、一方では、あとの時代になってから、もともとあったマレビト神たちに、本土移民が意図的に入れられることで、同化策としての仏教由来の補陀落信仰や修験道のしらやま信仰といった、「被差別同化対策」「民族統一」「国家統一」の手段としての侵入もあったことは確かである。

修験道が、被差別から派生し、独特の民間仏教と往古からの神々信仰とを合体=本地垂迹させる、教化宗教であった一面は否めないのである。だから平安時代の熊野信仰渡来は、琉球にとっては大和ンちゅによる信仰統一の波を受け入れていくしかない歴史を語る証拠品にもなってしまうわけだ。


本土の白山信仰やしらやまが、もともと蝦夷俘囚を閉じ込めた「別所」教化・同化のためにあった信仰であることからも、その大元にあった修験道が、彼らも敗者・被征服者・渡来人という存在でありながら、それを目には目にして利用した皇族国家・・・いや、それをも実は手繰っていた為政者豪族たちによって、修験者たち自身も利用されたことは否定しようがないと筆者は感じる。琉球民族にもそれが応用された歴史は、世界史の流れからも動かしがたいことだろう。弱者・敗者はそうやって常に政治によって統一のために同化させられるものだった。

おそらく琉球王も、そういう平安朝の政策を受け入れるしかなかったことは想像がつくことである。それゆえの熊野マレビト・太陽信仰・仏教の祭の残存だけであるならば、なんと悲しい歴史だろうとなってしまう。

しかし、筆者は、その来訪神信仰の根源は、もともと縄文時代から諸島にあって、ちょうどローマ帝国が押し付けてくるキリスト教を、うまいぐあいに折衷しながら、ある部分で絶対に往古からの民間信仰の神々を捨てずに存続した北欧冬至祭のやり方が、琉球や奄美や鹿児島南部にもあったと信じたいのである。





琉球の貝と北部九州の貝輪は、南九州の久米や隼人や木部(岐部)たちが運んだ。その黒潮のルートは、奈良や平安、あるいは中国が求めた時代以前から、自然派生的に民衆の力で切り開かれた。あらゆる世界の、あらゆるパイオニアルートは、みな政治指導などではなく、地域豪族や民衆や、特に言わねばならないのは女たちの美へのあこがれから切り開かれた道である。政治は常に、そこに利益を見出してこそ、その道と人を奪うのである。経済のある悪しき一面でもあるが、それによって動く物量は圧倒的な数量となって、国家全土にいち早く流通革命とボートリぜーションとダイナミズムをもたらした。これは歴史の宿命である。そこから一大経済氏族は生まれ、紀氏や葛城氏もおおいに潤ったのである。


つまり、あらゆる海岸部世界の繁栄は、そうした海上物流から始まるのであり、最初の王は彼ら海人族であったことは、想像するにさほど難しいこととは筆者は思えないのだ。