相対評価  戦後最高クラスの歴史的談話である。高評価。溜飲下がる。負け犬でない日本という未来の姿を明言。



 「日本では、戦後生まれの世代が、今や、人口の八割を超えています。あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。」

評価 花まる

ここが安倍世代、「戦争を知らない子どもたち世代」であるわれわれ戦後生まれの言いたいことをズバッとついた名文句である。この談話の肝のひとつで、最大評価。

石原慎太郎の「ノーと言える日本」以来、われわれ世代が常に、戦後談話のたびに、父親世代の「歴史の敗者」としての日本を痛切に思い知らされ、「いつまで誤ればいいのだ」という苦々しい思いで、自分たちがやったわけでもない歴史のために、常に首を下にせねばならなかった、「後ろ向き」なダメ日本人・平和ボケ日本人、心の負け犬日本のマイナーなメンタリティと、いたしかたなく経済にしか光明を見出せず、必然的に即物的・経済的・物質文明しかない、低次元な哲学しか持てないままだった「心の奴隷」としての日本人、アイデンティティなき日本人という屈辱的レッテルを、何度も何度も自分の手で貼り替えねばならなかった戦後70年間のメンタル、インナーの部分での悔しさを、一気に、前向きな世界へ誘う「魔性の言葉」になっている。

そういう意味では、過去の談話の中で、今回の談話は「最大に主張が出た」「前を向いた」日本の方向性を指し示す部分だ。そしてドイツがなしえた、負の連鎖の止揚による新世界の開拓に匹敵するアウフヘーベンを若者や戦中派にうながす名言でもある。少なくとも、次の世代への「やっと出た」親父からの明るいメッセージだと言えよう。


いわゆる村山談話から続く20年間の敗者としての平身低頭の歴史を、安倍は断ち切り、次世代の明るく、前を向いた、胸をはれる日本人のアイデンティティの未来を切り開いたのである。これはいつまでも口を重くして閉ざし続けた、ある意味、親父からあなたへのメッセージでもあるだろう。歴史が変わる言葉である。教科書に載るべき歴史的名言だった



総括的には全体にうまく反日世界を肩透かしにした名文だといえる。
しかし、一方で、日露戦争を持ち出して、持論であろう、明治政府の帝国主義政策に肯定的側面も盛り込むずる賢さも見える。そこは国民の今後の監視の必要な部分で、日本人全体の今後責任でもある。

概して、反日世界が、即刻反論する内容でない「あいまいさ」が、実によい。何が言いたいのかわからないのが非常にうまく作っていて、むしろよいと感じた。相手を煙に巻いた論調で評価できる。大人の国家の談話がやっとできる国家になったという感が強い。社会主義者の村山がしゃべらされた「とにかくおわび」談話の軽々しさに比して、かなり左右意見を取り込み、中和した表現で、長くなったのはいたしかたない。長くさせたのは世論や左イデオロギーや反日社会のせいである。

3300文字に及ぶ談話だったが、あの魏志倭人伝が2800文字でもちんぷんかんぷんである理由が、よく見えてくるような政治言辞ということである。とにかく、それまでの談話が、ただ言われるままに謝罪し、侵略した、わるかったと平身低頭させられたものだったことから考えれば、今回ほど胸のつかえがとれた談話はなかったので、安倍を少し見直したものである。なにしろ、頑固に、言いたくないことは言わないで押し通した知恵に拍手したい。ここだけで心が開放された。

中国は大人物国ゆえに文句は言うまい。小人物国家の韓国は何を言っても知らぬ顔でよい。極東で最重要な相手国は中国とロシアだけである。ほかは何を言おうが、何をしようが、どこ吹く風で聞き流せばよかろう。彼ら小国家は口三味線だけである。とにかく、首相には今後、右で中国と握手しつつ、左でロシアと握手、目でアメリカにウインクするような大人物になっていただきたい。そうすればいずれ首脳会談でメルケルの横に立っていることだろう。そういう本当の大国(メンタルで)になるべし。そして文系ジャーナリズムの左右に大きく振られる思いつき意見にも、客観的理論なき浮遊世論や浮き沈みする支持率などにとらわれない、世界をグローバルに俯瞰する聖徳太子のごとき政治家にならなんことを願う。

ただし原発再稼動は絶対反対
太陽光で十分あまりある電力は得られる。
電力会社を個人や事業者の自家発電桶買いから解放し、国家・電力会社規模で太陽光設備を拡充すればいいのではないか?金持ちのためだけの自家発電などに甘い汁を吸わせ続ける必要なし。







そのほか気になった談話部分


 「百年以上前の世界には、西洋諸国を中心とした国々の広大な植民地が、広がっていました。圧倒的な技術優位を背景に、植民地支配の波は、十九世紀、アジアにも押し寄せました。その危機感が、日本にとって、近代化の原動力となったことは、間違いありません。アジアで最初に立憲政治を打ち立て、独立を守り抜きました。日露戦争は、植民地支配のもとにあった、多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけました。」

評価 安倍首相の「明治維新から日露戦争に至るまでの、帝国主義及びそれまでの戦争・領土拡大政策の肯定」の考え方が見えて、危険な言辞。あえて日露戦争を持ってきてところに、この人の「本音は右」がまるわかり。つまりこの談話は、安倍自身がかなり自説を抑えて、広く人々に合わせようとした努力が見える部分でもある。そうした強硬な自説の押し付けを押し込める機能があるこの国は健全である。

当時、日本は列強の植民地主義に飲み込まれようとしており、特に隣国ロシアには、スターリンの帝国主義共産に立ち向かうために・・・つまり日本が植民地にならぬために・・・日露戦争を起こすしかなかった時代であったことは否めない。ゆえにこそ、のちに第二次大戦で日本が負けたあと、勝者アメリカは極東の堤防としての日本列島の立地を重視した。日露戦争の頃には、ロシアは日本を手中にして完全な属国とするつもりだったが、アメリカは自由主義の立場から、日本の完全属国化はせず、むしろ日本を自由・平等の理想郷としようとして、永続的支配をしなかった。「飴と鞭」の飴政策、「太陽と北風」の太陽政策によって自由主義国の仲間を増やす考え方であった。どちらが敗者日本にとって嬉しいかは、言うべくもないだろう。そ結果が「安保」である。独裁と開放。一見、開放のほうが断然民主的でありがたいはずである。しかし、これは両刃の剣でもある。自由と言う飴に骨抜きにされ、平和ボケ、経済優先、物質文明、平和憲法が押し付けられもしたのである。

 「世界を巻き込んだ第一次世界大戦を経て、民族自決の動きが広がり、それまでの植民地化にブレーキがかかりました。この戦争は、一千万人もの戦死者を出す、悲惨な戦争でありました。人々は「平和」を強く願い、国際連盟を創設し、不戦条約を生み出しました。戦争自体を違法化する、新たな国際社会の潮流が生まれました。
 当初は、日本も足並みを揃(そろ)えました。しかし、世界恐慌が発生し、欧米諸国が、植民地経済を巻き込んだ、経済のブロック化を進めると、日本経済は大きな打撃を受けました。その中で日本は、孤立感を深め、外交的、経済的な行き詰まりを、力の行使によって解決しようと試みました。国内の政治システムは、その歯止めたりえなかった。こうして、日本は、世界の大勢を見失っていきました。

 満州事変、そして国際連盟からの脱退。日本は、次第に、国際社会が壮絶な犠牲の上に築こうとした「新しい国際秩序」への「挑戦者」となっていった。進むべき針路を誤り、戦争への道を進んで行きました。
 そして七十年前。日本は、敗戦しました」
評価 大変分かりやすい世界大戦突入までの経緯と必然のまとめになっている。

「これほどまでの尊い犠牲の上に、現在の平和がある。これが、戦後日本の原点であります。
 二度と戦争の惨禍を繰り返してはならない。
 事変、侵略、戦争。いかなる武力の威嚇や行使も、国際紛争を解決する手段としては、もう二度と用いてはならない。植民地支配から永遠に訣別(けつべつ)し、すべての民族の自決の権利が尊重される世界にしなければならない」

「戦後、六百万人を超える引き揚げ者が、アジア太平洋の各地から無事帰還でき、日本再建の原動力となった事実を。中国に置き去りにされた三千人近い日本人の子どもたちが、無事成長し、再び祖国の土を踏むことができた事実を。米国や英国、オランダ、豪州などの元捕虜の皆さんが、長年にわたり、日本を訪れ、互いの戦死者のために慰霊を続けてくれている事実を。
 戦争の苦痛を嘗(な)め尽くした中国人の皆さんや、日本軍によって耐え難い苦痛を受けた元捕虜の皆さんが、それほど寛容であるためには、どれほどの心の葛藤があり、いかほどの努力が必要であったか。
 そのことに、私たちは、思いを致さなければなりません」
いかに今の日本が平和な国になったかという主張である。




さて、がまんした論調だが、そのあとでまさか今日、靖国参拝のような文科系的な、宗教行為はしないでしょうね?そんなことしたら台無しですぜ。

また、くれぐれも国民におかれては、マスコミの左右に右往左往する振り子のような論調にまどわされず、大人としての独自の見方をしていただきたい。ここまでの政府の論説のすべてに、積極的に戦争に加担するという言辞はないのである。社会主義国家だった日本が、自由主義のための右に、やや傾いた、というだけのことであり、それに対して戦中派や少年少女たちがなぜか「戦争」を持ち出してきて「反戦!」と言い出した段階である。日本は戦争「できない」国である。するはずがない国であることを前提に戦勝国から存在を認められた国である。そういう日本が、あえて自ら戦争などおっぱじめるわけがないことは自明の理ではないのか?

まして、国家戦略を全面的に国民に開放する国家など、この地球上にあるはずもない。機密は当然でてくる。


ゴジラが東京湾に突然現れたと想像してみればいい。
大怪獣が東京をどんどんぶっ壊している。
そこから「じゃあ、しょうがないから自衛隊が自由に動けるようにしましょうか?」と衆参両院で3~4四ヶ月にも渡って決議しているような国に、あなたは安心して住んでいられますか?